第八話『なのは様、絶不調』

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「う……っ……」
 
 
 
 
光の届かない迷宮の最奥、神殿の少し手前の通路でフェイトは目を覚ました。
起き上がろうと力を入れれば、身体のあちこちが鈍く痛む。
咄嗟にバルディッシュがフローターと衝撃緩和の魔法を発動したのだが、
速度を殺しきれずに床にあちこちぶつけてしまったらしい。
 
 
 
 
『sir…Are you all right?』
「いたた……うん、大丈夫だよバルディッシュ」
『It finishes being able to spoil speed…』
「気にしないで、元々私のミスだったんだし。助かったよ、ありがとうバルディッシュ」
 
 
 
 
完全に落下を止められなかったことを、気にしているらしいバルディッシュに笑いかけると、フェイトは壁に手をついて立ち上がった。
ライトの魔法を行使。
すぐに明るさを増す周囲に、目を慣らしてからゆっくりとあたりを見回した。
 
 
 
 
「……ここどこだろう。だいぶ奥の方にきちゃったみたいだけど……」
 
 
 
 
より力の強い石を使っているのか、入口近くの通路より魔力が結合しにくく、サーチの精度がいまいち心許無い。
それでも奥の方だということは分かるし、何より通路の作りや装飾が明らかに入口の近くとは全く違う。
 
 
 
 
「……神殿の近く、みたいだね……」
『A movement reaction perception』
「うん……この先に誰かいるみたい、だね」
 
 
 
 
バルディッシュが警告を発する。
フェイトも気が付いていた。
この先、おそらく神殿の入口付近であろう場所に、誰かがいる。
動体反応は一つ。
なのはやはやてであれば一人ということはあり得ないし、そもそも落下で気を失っているフェイトを置いて行くはずがない。
 
 
 
 
「……行こうか、バルディッシュ」
『Yes, sir』
 
 
 
 
相手は一人だが、今はフェイトも一人だ。
それでもここでぼーっと立ち止まっているわけにはいかない。
相手の目的がなんであれ、宝玉を持っていかれてしまっては意味がない。
覚悟を決めてフェイトは注意深く歩を進める。
やがて神殿前の開けた場所まで来ると、神殿の入口付近に佇む女性を見つけた。
艶やかな銀の髪の、美しい女性を。
 
 
 
 
「……やっぱりダメ、ね……」
 
 
 
 
その女性は数度、扉の中央を押す仕草をしていたが、やがて小さく首を振るとフェイトがいる方へと向き直った。
どうやら相手も人が来たことには気がついていたらしい。
 
 
 
 
「残念だけど、ここには資格のある人間しか……あら、貴女は……」
「え……?」
 
 
 
 
同業者が来た、とでも思ったのか、女性は戻るよう促すつもりだったようだった。
けれど言葉の途中で、後から来た人物がフェイトだったことに気がついた彼女は、軽く瞳を瞬かせた。
けれどフェイトはその女性に覚えがない。
フェイトは首を捻る――直接会ったならこんなに綺麗な人を忘れることはそうないと思うんだけど……?
 
 
 
 
「……そう、貴女がここにいるということは、あの人も近くにいるということなのね……」
 
 
 
 
そう呟いて女性はそっと目を伏せる。
寂しげに見えるその様子とは別に『あの人』と呼ばれた、誰かの存在を感じ取ろうとしているようにもフェイトには見えた。
……いや、それよりもどうして自分のことを知っているのか、それを探る方が先決だとフェイトは慌てて思考を切り替える。
銀の髪と青の瞳の女性に知り合いはいない。
だけど相手は自分のことを知っている。
最近自分の周りで彼女に似た容姿の人の話は――ぁ。
 
 
 
 
「……もしかして……ルーナ、さん……?」
 
 
 
 
記憶の端から引っ張り出してきた名前を口にすると、フェイトの目の前の女性――ルーナが驚いた様な顔をする。
ルーナは少し考えて、すぐに小さく頷くと、顔を上げフェイト見た。
 
 
 
 
「古代ベルカの騎士様、ね?」
「あ、はい、シグナムと一騎打ちをした、と……」
 
 
 
 
ルード王国による海鳴領への侵攻。
その際に、シグナムが一騎打ちをした相手がルーナであった。
銀の髪に青の瞳の槍使い、その姿を語るシグナムが幾分嬉しそうにしていたことをフェイトは覚えている。
理由はともかく、そのシグナムと打ち合えるだけの腕を持った相手が今目の前にいる。
 
 
 
 
「……そうね、ここで貴女と戦うのも面白そうだけど……今日はその為に来たわけではないから……」
「じゃあ、なんのためにここへ?」
「それも、貴女に話すことではないわ……」
 
 
 
 
警戒しデバイスを握るフェイトとは対照的に、ルーナに戦う意思はないらしい。
もっとも目的が分からない以上、その言葉を鵜呑みにするわけにはいかないが。
 
 
 
 
「……綺麗ね」
「え……?」
「貴女の瞳。深く鮮やかな紅……貴女が纏う鮮血の色のよう」
「なっ……!?」
 
 
 
 
綺麗、と言いつつその目を見ればそう思って言っていないことはすぐに分かる。
冷たく冴えた双眸は射抜くように鋭さを増していく。
 
 
 
 
「ど、どういう意味……!!」
「……自分で分かっているでしょう? 自分が何をもたらしたのか。十年前も、今も」
「……っ!?」
 
 
 
 
放たれた言葉が、鋭い刃になってフェイトの胸に突き刺さる。
十年前も、今も。
それが何を意味するのか分からない程フェイトは鈍くはない。
大切な人が狂気に走った十年前。
大切な人を苦しめた……苦しめ続けてるかもしれない、今。
 
 
 
 
「たくさんの血が流れたわ……そうでしょう?」
「それ、は……」
「そうね、別に貴女が何かしたわけじゃない。……でも呼び水は貴女」
「っ……」
「そして貴女を迎えたあの人は、平穏な日常の全てを手放した」
 
 
 
 
淡々と述べるルーナに対し、フェイトは否定の言葉一つ口に出来ずにいた。
言われるまでも無く知っているから。
自分がいなければ流れずにすんだ血があることを。
……だけど、一つだけ……
 
 
 
 
「……それでも……」
「?」
「……それでも私は、なのはと歩いて行くって決めたから。自分から、逃げたりしない。なのはが私を必要だって言ってくれるなら、どんなことだって乗り越える。そう決めたんだ」
 
 
 
 
誰に何を言われても、これだけは譲らない。
なのはが迎えにきたあの日に決めたことだから。
 
 
 
 
「……そう」
「ルーナ、さん……貴女は……」
「……勘繰る必要はないわ、貴女が思っているようなのとは違うから……」
 
 
 
 
貴女はひょっとしてなのはのことを?
そう問おうとしたフェイトを遮ってルーナは告げる。
恋人だったわけでも想いを寄せているわけでもない、と。
ルーナは胸中で笑った。
嘘ではない。――そもそもなのはは『ルーナ』のことを認識すらしてはいないのだから。
 
 
 
 
「っ、どこへ……」
「戻るわ。やっぱり資格がないと入れないみたいだから」
「資格? 戻るって……ルード王国へ……?」
「さぁ……、どこへかしら、ね……」
 
 
 
 
踵を返し出口へと向かうルーナは、本当に戻るつもりらしい。
どこへ戻るのか、資格とは、ルード王国はまた何か関わっているのか……
そんな風に聞きたいことは色々あるのに、なんとなくそれ以上フェイトは言葉を紡げなかった。
どこへかしら、と囁くように呟いたルーナの横顔が、酷く頼りなげで寂しそうに見えたから。
 
 
 
 
『sir…』
「……大丈夫、平気だよ」
 
 
 
 
厳しい言葉もぶつけられたかもしれないが、それも否定できないフェイトが纏う側面だ。
過去は、変えられない。
だけど……『だったら背負って歩けばいいんじゃない?』……なのはならきっとそういうはずだ。
あっさりと割り切れはしないけど、自分なりに歩いて行くことは出来るから。
 
 
 
 
「……えっと、でも、まずは宝玉を手に入れて、ここから出ることを考えようか?」
『…Yes, sir』
 
 
 
 
ルーナの登場でかなり真面目にあれやこれや考えてしまったが、よく考えたら未だに絶賛迷子なわけで……
地上に戻れなければ悩むどころの騒ぎじゃない。
帰り道を知っているっぽいルーナについてった方がよかったんじゃなかろうか、
とか今になって思っても後の祭りってやつだろう。
 
 
 
 
「これもうっかり、なのかなぁ、はぁ……ぁぁああっ!?」
 
 
 
 
自分のうっかりさ加減に、慣れているとはいえ溜息くらいはやはり出る。
でもそこから先はまったくの予想外。
溜息とともに手を置いた先の扉は音も立てずにあっさり開いた。
受け身が間に合うはずもない。
ドタッとそのまま前のめりに倒れ込むフェイト。
かろうじて顔が地面に突っ込むのを回避できただけ上出来かもしれない。
……他の場所はとにかくあちこち痛いけど。
 
 
 
 
「いたた……うぅ、あ、開かないはずじゃ、なかったの……?」
 
 
 
 
強かに床に打ち付け痛む身体をなんとか起こすと、現れた光景にフェイトは目を奪われた。
 
 
 
 
「すごい……」
 
 
 
 
扉の先の神殿内部。
おそらく宝玉を安置している場所であろうそこには、一面に深海の風景が広がっていた。
 
 
 
 
「ガラス……じゃないな、なんだろうこれ、魔法障壁の応用かな……?」
 
 
 
 
近づいてそっと触れてみる。
ただのガラスでは水圧に耐えられるはずがないから、特殊な加工がされているか障壁の応用とみて間違いない。
詳細は分からないが凄い技術だ……地下深くの迷宮は深海の神殿へと続いたのか。
 
 
 
 
『sir』
「ん……あれが宝玉、かな?」
 
 
 
 
バルディッシュに呼ばれフェイトが視線を巡らすと、奥まった場所にそっと青い色の宝玉が置かれていた。
周りの海の様な深い青。
しげしげと宝玉を眺め、今度はちゃんと周りに罠がないか確認すると、
少しだけ躊躇してから、フェイトはそっとその宝玉を持ちあげた。
 
 
 
 
「少しの間、お借りします……」
 
 
 
 
誰にともなしに呟いて、手の平に収まるそれをバルディッシュの中に収納する。
……これでここでの目的は達したはずだ。
 
 
 
 
「よし……あとはなのは達と合流しないとだねバルディッシュ」
『Yes, sir. A route search』
 
 
 
 
フェイトの声に応えバルディッシュが帰還ルートの検索を開始する。
サーチの精度が心配ではあるが、それでも帰り道くらいはなんとかなりそうだとフェイトは安堵の息をついた。
……でも世の中そんなに甘くはないらしい。
 
 
 
 
『ガ……ギィ……』
「……ん?」
 
 
 
 
他に誰もいないはずの室内で微かに音が聞こえた。
慌てて周囲を見回すが、宝玉が置かれていた台座に罠はなかったし、
さっきみたいにいきなり床が開くなんてこともない。
空耳かな……?
だけどそう首を捻ったフェイトは、入口近くに置かれた石像を見て気がついた。
――入った直後と、向きが違う。
 
 
 
 
『ギッ……ガァァァァッ!!』
「っ!? ガーディアン!?」
 
 
 
 
カッ、と石像の目が開き石の翼が大きく羽ばたく。
耳障りな鳴き声を上げながら、宙に浮かびあがったガーディアンは石造りの悪魔――ガーゴイルだった。
 
 
 
 
「くっ……戦うしか、ないっ……!!」
『Get set. Haken Form』
 
 
 
 
神殿から出るには、ガーゴイルが塞ぐように背にしている扉をくぐるより他にない。
バルディッシュを構え、戦闘態勢をとるフェイトに呼応するように、ガーゴイルもその翼を大きく広げた。
じりじりと僅かな移動を繰り返し、互いに飛びかかるタイミングをひたすらに待つ。
勝負は一瞬――覚悟を決めたフェイトがバルディッシュを握る手に力を込める。
 
 
 
 
「いくよバルディッシュ! ハーケンセイ「フェーイトちゃぁぁぁぁん!!」バー……って、え?」
 
 
 
 
今まさに、先手を取ろうとバルディッシュを振りかぶったフェイトは、そのままの体勢で固まった。
キィィーーン、と空気を切り裂く速度で迷宮の奥からかっ飛んできたのは、
どこをどう見ても自分の婚約者、高町なのはその人だった。
迷宮を飛び回るなんて非常識――もとい無謀と言う名の勇敢さだ……
さすがなのは、と思わずフェイトが場違いな感動を抱くほどに。
 
 
 
 
「……って違う! そんな場合じゃなくて、っていうかなのは危なっ」
 
 
 
 
ゴッチーンッ!!
 
 
 
 
「にゃあぁぁぁっ!?」
『グガァァァァッ!?』
 
 
 
 
フェイトが警告しようにも、時すでに遅し。
愛するフェイト以外、これっぽっちも目に入っていなかったらしいなのはは、
スピードを緩めることなく扉……の前にいたガーゴイルに突っ込んだ。
ぶつかり合う頭と頭。
バコーン、と跳ね飛ばされたガーゴイルは勢いそのままに壁に突っ込み、
ガーゴイルに生身で頭突きをかますという離れ技をやってのけたなのは、
ぼふっばふっと床でバウンドするとフェイトの前で頭を抱えて転がった。
 
 
 
 
「う、うにゃぁぁ〜…………」
 
 
 
 
……さすがに痛かったらしい。
 
 
 
 
「なのは、だ、だいじょう、ぶ……?」
「う、うぐぐぐ……ふぇ、ふぇいとちゃ〜ん……」
「うん!」
「……痛い……」
「……う、うん……」
 
 
 
 
えぐ、ぐすっ、と目の端に涙を滲ませているなのはの頭を、よしよしとそーっと撫でる。
よく見ればなのはのおでこはぷくっと赤くなっていた。
いくら骨の固い部分とは言え、なぜこの程度で済んでいるのか甚だ疑問だ。
 
 
 
 
「なのはちゃん、フェイトちゃん! よかった、無事みたいやね……って、おわぁっ!? なな、なんやこの状況!?」
「あー、うーん、えーっと……」
 
 
 
 
後から追い付いたはやては神殿内の惨状を見て目を丸くする。
フェイトの位置を特定したなのはがぶっ飛んで行ったあたり、どこかにつっこむことくらいは予想していたが、
実際にはなのはは床に転がり、代わりに何か別の物が壁に突っ込んでいる。
事情を知らない人が見たら確かになんだこれ、としか言いようがない。
 
 
 
 
「……まぁなのはちゃんは想像つくからええけど……あれ、なんや……?」
「えっと、ガーディアン……の、成れの果て……」
 
 
 
 
余程の衝突エネルギーだったのだろう。
なのはに頭突きをされたガーゴイルは反対の壁まで吹っ飛び、
ぷらーんと壁に首から上を突っ込んだ体勢でぶら下がっていた。
頑丈さと生命力が売りの魔法生物だが、今やぴくりとも動かない。
戦わずにすんだのはよかったけれど、憐れ過ぎてフェイトはかける言葉が見つからなかった。
 
 
 
 
「可哀相に……」
「うん……」
 
 
 
 
しみじみと呟くはやてにフェイトもまた頷いた。
関わった相手が悪かったと諦めてもらう他ないだろう。
 
 
 
 
「いたた……」
「大丈夫なのは?」
「だい、じょぶ……だけど……って、心配したのはこっちだよフェイトちゃん!」
「そやでー? 迷宮は入り組んどるし、中々フェイトちゃんには会えへんし……慌てたわほんと」
「あぅ。ご、ごめんなさい……」
 
 
 
 
二人に言われ、そういえば元々は自分が罠を踏みぬいたせいだったと、フェイトは今更ながらに思い出す。
うっかりは昔からだが、さすがにこのレベルはやばい気がする。
 
 
 
 
「あ、でも宝玉は無事に見つかったよ、ほら」
 
 
 
 
ちゃんと仕事はしたんだよ、とバルディッシュから取り出して宝玉を見せるフェイト。
なんとなく初めてのおつかい、を彷彿とさせる愛らしさに思わずなのはとはやても顔を綻ばせた。
――可愛い。
 
 
 
 
「じゃあこれで地上に戻れるね」
「そやね、はよ戻ってゆっくりお風呂でも入りたいわ〜」
 
 
 
 
え、じゃあ一緒に入る、と勢いよく手を上げて頭をはたかれるなのはを見ながら、
フェイトはそっと宝玉を抱き締めた。
大丈夫、大変なことはたくさんあるけど、きっとこうして一つずつ乗り越えていけるから。
 
 
 
 
「よーし、じゃあぱぱっと帰って三人でお風呂だね!」
「どうやってあの狭い風呂に三人で入るんやほんま……」
「ふふ……あ、でも帰り道が……」
「大丈夫、ちゃんと記録しながらきたから。任せてよ!」
 
 
 
 
お風呂につられて元気いっぱいで歩き出したなのはに苦笑しながら、フェイトとはやても後を追う。
ようやく調子が戻ってきたのもあるらしい。

……そしてものの見事に道を間違えて迷子になるなのは達であった。
 
 
 
 
「……あそこは右だと思ったんだけどなぁ……?」



...To be Continued

2011/5/24


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