第五話の三『なのは様、籠絡す!』 「えーっと……おはよう、フェイトちゃん」 「……なのは?」 翌日、訪ねて来た人物を迎えに入口まで下りてきたフェイトは、そこにいた人物――なのはに目を瞬かせた。 エリオとキャロが帰ってきたか、お客さんが来たものと思って開けた扉の先にいたのは、昨日に引き続きなのはであった。 いつも扉なんか無視してバルコニーや窓から入ってくるのに……珍しい。 「また明日、って言ったでしょ? 今日はね、ちょっとフェイトちゃんに話があるんだ」 しかも今日のなのははいつもと服装が違う。 バリアジャケット姿や私服は見慣れているが、この服は久しぶり……いや、初めて見る物だった。 白が基調であることには変わりないが、青いラインと金の刺繍が入った衣服。 前に見た物とは違う物だが、フェイトには察しがついた。 領主の正装、だ。 「……話?」 「うん……大事な話」 大事な話。 こんな格好で、なのはが来た理由。 そんなの一つしかない。 「あ、あの……」 「フェイトちゃん?」 話を聞くべきなのは分かっていた。 なのはがフェイトとの関係を望むにしろ望まないにしろ、フェイトはなのはに言わなくてはならない。 もう、貴女の傍にはいられない、と。 だけどもう少しだけ、時間が欲しかった。 まだ、なのはの前で笑えない。 「もう、少し、待って欲しいの……」 「え、あぁ、うん……」 「今は、ちょっと……」 「うん……そうだね……」 「だから……」 「確かに今はちょっと、私もまずいかも……」 「……え?」 噛み合っているようで噛み合っていない二人の会話。 なんかおかしい、とフェイトがなのはの様子を窺うと、なのはの視線はフェイトのことを見ていなかった。 いや、正確にはフェイトの顔を見てはいなかった。 なのはの視線を追って、フェイトもまた視線を自分の身体に向ける。 「……っ!?」 「うーん、朝から刺激的な格好だねフェイトちゃん」 「な、な……」 「ほら上着か何か……」 「あ、う……」 バッと慌てて手で隠そうとしたが遅かった。 黒のネグリジェ姿でなのはの前に立っているなんて、今の今までフェイトは気が付いていなかったのだ。 なのははフェイトに自分の上着をかけようとして……ニヤリと笑った。 あ、なんかやな予感。 「……ごめん、やっぱり脱がしてもいいかな?」 「〜〜〜〜っ!?」 よくないよくない、と首を振るフェイトにいいからいいからと詰め寄るなのは。 こんなんだから悪魔とか言われたりするんだろうが、なのはの脳内に天使が存在しないわけではない。 ちゃんと天使の話だってなのはは聞いた。 YOUやっちゃいなよ、と。 全なのは合同会議はものの三秒で閉幕した。 「は、話をしに来たんじゃなかったのなのはっ!?」 「大丈夫大丈夫、最終的には同じところにつながるから♪」 「意味分からないよ!?」 「あ、やっぱりベッドがいい?」 「そういう問題じゃないってばっ!!」 自分の身体を抱いたままじりじりと後ずさるフェイト。 それを追うなのは。 傍から見たら何してんのこのバカップルな状況だが、本人達は至って真剣だ。 特に直前までかなりシリアスだった分、フェイトのパニックは頂点に達していた。 (な、なんでこんなことに……いや、私が服を確認しないで、寝ぼけたまま出ちゃったせいだけど…… で、でも、なのはだってこんな格好で来たくせに、そんな方向に話を持っていこうとしなくたって……うあぁぁぁぁ……) いっぱいいっぱいだった。 「や、ほら、ちゃんと優しくするよ……たぶん」 「な、なっ……ほ、他に言うことないのなのは!?」 「美味しそうなフェイトちゃんが悪い」 キリッとした表情でそんなことを言わないで欲しい。 さっきからパニックを起こしていたフェイトは、なのはのこの言葉でついに切れた。 『Sonic Form』 それはもう盛大に。 「え、ちょ……バリアジャケットプレイも悪くはないけど……」 「〜〜〜〜っ、な、な、なのはのばかぁぁぁぁっ!!」 「あぁっ!? フェイトちゃん待ってーっ!?」 うわーん、とソニックフォームに身を包み、飛び立つフェイト。 慌ててバリアジャケットに身を包んだなのはも、追いかけたが…… 「……う……み、見失った……」 やっぱりヘタレな部分もあるなのは様だった。 ◇ 「う、ぐす……なのはの馬鹿……」 あっさりとなのはをまいて森の中に降り立ったフェイトは、ぐしぐしと目をこする。 夢中で飛んできたため、どこに降りたのだろうとあたりを見回せば、見慣れた大木が目に付いた。 「ここ……」 それはフェイトのお気に入りの場所だった。 海鳴の学校を出る前、進路を悩んでいたフェイトに、なのはがあの研究塔をこの場所でくれたのだ。 あそこをフェイトちゃんにあげる、と。 塔近辺の土地の使用許可もくれた。 無償で受けるわけにはいかないと譲らないフェイトに、屈託のない笑顔でなのはは言った。 『私は未来のお嫁さんにプレゼントをしてるだけだよ? 受け取ってくれないのフェイトちゃん?』 言葉に詰まってしまったフェイトにもう一度笑って、なのははフェイトにキスをした。 あれが初めての口付けだった。 フェイトは無意識でもここに来てしまう自分自身に苦笑する。 ……諦めると決めてなお、どうしてこんなに好きなんだろう。 「なのは……っ?!」 大木を見上げていたフェイトはガサッ、と音を立てた茂みの方に振りかえった。 なのはが追ってきてくれたのだろうか。 ……だけど、そんな期待は脆くも崩れた。 「これはこれは……偵察の段階でお姫様に当たるたぁ、俺もつくづく運がいい」 「っ……貴方は……」 「行かせたのは使者だったが、俺の顔くらいは知ってるようだな」 茂みの奥から現れた数人の男達。 中央に進み出た男にフェイトは見覚えがあった。 直接会ったわけではなかったが、写真で見て顔だけは知っていた。 「フェルナンド……E・ルード……」 「正解だ。褒美に俺が今すぐ連れ帰ってやるぜ」 「っ」 「おっと動くな、多勢に無勢だ、俺だって撃ちたかねぇが必要なら躊躇はしねぇぞ」 「くっ……」 フェルナンド・E・ルード……ルード王国第一皇太子。 以前使者が来てフェイトにこの男と結婚するよう打診……いや、強要された時に写真を見て知っていた。 傲慢な態度と不法入国、国内禁止武器の所持……やはり前評判通りの男らしい。 フェルナンドと、フェルナンドが連れて来た男達の数は合わせて7人。 フェルナンド以外の全員が銃を構えているが、フェイトのソニックフォームなら、 さすがに無傷というのは難しいが切り抜けることは出来るだろう。 待機状態のバルディッシュを起動し、離脱しようと考えたところで、フェルナンドが再び口を開いた。 「こんな国にいて何になる」 「え……」 「お前がいてもいなくても変わらない、ここの領主だって他の女と婚約した」 「それはっ……」 「ここに拘る必要はもうないはずだ、そうだろう?」 フェルナンドの言葉は的確に、フェイトの弱い部分を捉えていた。 知っている。 この国に必要とされてないことも、いてもいなくてもどうでもいい存在だということも。 なのはがはやてと先に婚約したのは、ただ時間的な問題とフェイト自身がそれを願ったからだったが、 それでも心のどこかで、自分でなくてもいいのだと思ったのもまた確かだった。 私はここにいる資格はないのかもしれない。 そんなずっと昔からの宿題が、今もまだ解けずにいる。 「居場所なんざ自分の力でもぎ取るもんだ、奪えねぇ奴に価値はない。……俺はそうした」 「私、は……貴方とは、違う……」 「そうだ、お前は奪えない、求められない。ここにお前の居場所なんてない」 突き刺さるような言葉に、反論らしい反論を返すことも出来ない。 ここにフェイトがいなくても、この国は困らない。 家族や友達は怒るかもしれないが、もう誰も、自分のせいで苦しまない。 だから使者が話を持ってきた時、話への嫌悪感はあったが選択肢の一つだとは思った。 ……でも決断は出来なかった。 そして今も、まだ。 「だから……」 「やめて」 揺れるフェイトにたたみかけようとした、フェルナンドの言葉を遮る。 自分の想いに正直になることも、この国を出ることも決められずにいるフェイト。 それでもたった一つだけ、捨てられないものがある。 「居場所がないことぐらい分かってる! ずっと私自身が逃げてきたことだって分かってる! だけどそれでも……私、私は……なのはの傍にいたい……」 涙がフェイトの頬を伝う。 でもフェイトはそんなことはもう気にならなかった。 逃げて逃げて、逃げ続けて、何一つ選べなくても、捨てられなかった、想い。 「想いが叶わなくても、傍に、いたいの……」 なのはを愛する気持ちだけは、捨てられない。 「……そうかよ……だったら力づくで……っ!?」 「おぉぉぉっ! フェイトに……触るなぁっ!!」 「アルフ!?」 『barrier break』 「ぬぉぉっ!?」 「皇子!?」 「ば……勝手に持ち場を離れるなっ……!?」 『Charge completion』 「人のお嫁さん(予定)に……手ぇだすなぁっ!!」 『Divine Buster』 「ちぃっ!?」 「うわぁぁっ!?」 フェルナンドがフェイトに手を伸ばそうとした時、飛び出してきたアルフがバリアを砕き、フェルナンドを蹴り飛ばした。 森の中まで飛ばされたフェルナンドが起き上がるより早く、上空から光が瞬く。 自分の部下が易々と吹き飛ばされる様は、恐ろしい光景だったに違いない。 撃った本人は爽快かもしれないが。 「くっ……退くぞっ!!」 「待てこの野郎!」 「追わなくていいよ」 「でもなのは、あいつら……」 「こんなところにいるってことは……もう本隊が国境近くまで来てるはずだから」 その言葉にハッとフェイトは、降りてきたなのはに顔を向けた。 そうだ、確かに最初、偵察に来たと言っていた。 つまり、あれで全てではない。 「分かった……じゃああたしはこいつらを警備隊に引き渡してくるよ」 「うん、お願い。助かるよ」 なのはの攻撃をくらって吹き飛ばされた王国兵士は、 大半がフェルナンドと一緒に退却していったが、直撃した二人はピクリとも動かずにのびていた。 心置きなく話が出来るように、なのは達にも配慮したのだろう。 アルフはひょいっとのびた兵士達を担ぐと警備隊の詰め所へと向かっていった。 「な、なの……」 「誰の想いが叶わない、なの?」 「え……」 王国軍本隊の国境侵攻、当然見過ごせる事態ではない。 自分が発端で戦争になるかもしれない恐怖。 慌ててなのはに声をかけようとしたフェイトだったが、反対になのはの強い言葉で遮られてしまった。 「私は、そんな言葉が聞きたかったわけじゃない」 「っ……!?」 普段なのはがフェイトに向けることの無い感情。 さっきの会話の後半を聞いたのだろう、なのはは怒っていた。 激怒といってもいいかもしれない。 それぐらいなのはは、フェイトの言葉が許せなかった。 「……ごめん、なさ……でも、私がいたら、迷惑ばかりなのはに……」 「だめ、許さない」 「なの……んんっ!?」 鋭く瞳を光らせたなのはは、フェイトに謝罪の言葉すら言わせない。 逃がさないように背後の大木に抑えつけると、フェイトの口を自らのそれで塞いでしまう。 「ん……」 「や……なの、は……んん……」 長く、深い口付け。 息苦しくなったフェイトが、弱々しくなのはを叩いて苦しいと伝えるまでそれは続いた。 「はっ……」 「ふっ……」 二人の間に糸を引く銀糸を追って、一度離れた唇が再び重なる。 今度は優しく、一度だけ。 ゆっくりと唇を離すと、フェイトの目の前のなのはは、叫ぶように言った。 「迷惑? そりゃ迷惑だよ、うるさい連中はいるし、こういう大変な事態は起こるしさ! でもだからってそれが何? 生きてりゃ人に迷惑なんてどう頑張ったってかかるもんなんだよ? 私なんて毎日アリサちゃんに、迷惑の塊って言われてるぐらいなんだからね!」 色んな意味でそれはそうなのだが、最後の一つはどうだろう。 そんな世界からの突っ込みなんて、聞こえやしないなのはの勢いは止まらない。 「そんなことで、フェイトちゃんが私を拒む必要なんかどこにもない」 「だけどっ……」 「……それでもなのはは、フェイトちゃんのことを愛してます!!」 「……っ!?」 「……フェイトちゃんがいない方が……困るよ……」 そこまで言い切って、なのははぎゅっとフェイトを抱き締めた。 フェイトの頬を、新しく溢れた涙が次々と伝って落ちる。 なのはを傷つけてばかりの自分。 存在すること自体が重荷になるのに、それでもなのははいいと言う。 当たり前だ、なのはにとってフェイトは、もう自分の一部も同然だった。 今更いなくなられる方がずっと困る。 ……そんな空白には、耐えられない。 「なの、は……なのは……なのはぁ……」 「それでもまだ不安なら……フェイトちゃんの不安が消えるまで、 私がどれだけフェイトちゃんのことを愛しているか、フェイトちゃん自身に教えてあげるよ……」 だから、私の傍にいて。 そう囁いたなのはにフェイトは泣きながら名前を呼んだ。 出会った頃から、ずっとなのはが呼び続けてくれたから、そしてフェイトが呼び続けたから、今も二人はここにいる。 もし、これから先を、願ってもいいのなら。 未来を願うことを許されるなら。 「私、も……なのはといたい……これから先も、なのはと、いっしょ、に……でも、だけど……」 「でももだけども、もう無しだよフェイトちゃん。……一緒だよ。ずっとずっと、一緒にいるよ。 だから……私のお嫁さんになってよフェイトちゃん」 「……うん、うんっ……!!」 「愛してるよ、フェイトちゃん……」 「なのは……私も、愛してる……ん……」 涙でぼろぼろのフェイトを愛おしそうに包むなのは。 聞きたかった言葉は、今やっと聞くことが出来た。 だから大丈夫。 一番大切なものがこの手にあるなら、どんな困難も、迫りくる軍勢も退けて見せる。 でも今は、そんな野暮な言葉はいらない。 抱き締めて微笑んで、ただそっと口付けた。 泣き虫なお姫様は、もうどこにも逃げなかった。
...To be Continued
2010/9/5著
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