第四話の三『なのは様、砲撃す!』 衛兵が並ぶ巨大な門。 広大な敷地。 正面入り口から足を踏み入れれば、嫌でも目に入る装飾の数々。 更に階段を上がり渡り廊下を過ぎれば、今日の舞台へと辿りつく。 「上手くやらないとね」 「ええ、おバカな親友達のためにもね」 おどけた様に言うアリサに少しだけすずかは微笑むと、音楽が聞こえ始めた方へ顔を向ける。 豪華なシャンデリアに絨毯、絵画、彫像……グラスからカーテンに至るまで、 贅の尽くされたその場所で高価な物を上げ始めたら枚挙にいとまが無い。 開けた視界に目を奪われたのも束の間、二人は頷き合うと戦場へと足を進めた。 戦場……夜会と言う名の宴の席へ。 「顔ぶれは……」 「概ね、事前情報から予想したとおりだね」 給仕の男性から飲み物を受け取り、二人は注意深く辺りを見回すと、頭の中の出席者リストと照合を始めた。 もちろん出席者の中で浮いてしまうことがないよう、あくまでさりげなくではあるが。 笑顔の裏でそんなことをしているとは傍目には分からない。 もっとも…… (溶け込んだ裏で、ってのは、あたし達だけじゃないわよね) 情報戦は戦いの基本なのだから。 そんなふうにして何人かマークしたあと、視界と意識の端に捉えた姿を記憶と照合したアリサはちょっと嫌な気分になった。 例えるなら、げんなり。 「アリサちゃん?」 「個人的に顔をあわせたくない連中がちらほらといるだけよ」 アリサの微かな表情の変化に気がついたすずかが声をかける。 それに応じたアリサの言葉は少々投げやりな感じのものだった。 あぁ、と状況を把握したすずかもまた、視線を巡らせた先で幾人かの人物を認め苦笑した。 「今の私はアリサちゃんの奥さんだから、きっと平気だよ」 「まぁね……しつこい男は嫌われる、って言葉がまともに通じればね」 そう言ってアリサはすずかの腰を抱き寄せた。 誰にも渡さないというアリサからの意思表示に、大人しく抱き寄せられたすずかは微笑んだ。 今夜の夜会に参加しているのはミッドの貴族達だけではない。 今夜の『本命』とも言える件のディザ領領主、ナスティ・グリーアブルはもちろんのこと、 一部の領主達やその名代、更には公国各地の有力貴族達まで参加している。 それだけ規模の大きな夜会は年に二、三回程度しか開かれない。 ゆえに各領から足を運んでいる領主に連なるものは、皆交遊関係の確保や利権の共有、 情報のやり取りや腹の探り合いに余念がない。 「おや……これはすずかさん……にバニングスさんもいらっしゃいましたか」 「カスト子爵……」 もちろん、真面目に仕事をしている人間ばかりではない。 アリサとすずかの前に現れたこの男も断然後者だろう。 ついでに言えばさっきアリサが見つけた嫌な奴の一人でもある。 にっこりと笑顔で近づいてきて、すずかにだけ爽やかに声をかける時点で何を考えてるか見てとれる。 「いるに決まってるでしょ、夫婦なんだから」 カスト子爵と呼ばれた人物の露骨な反応に、アリサもまた相応しい態度で返す。 カスト子爵はミッド貴族の言うなればボンボン。 しかも本人の能力はさして高くもなく家自体も力が強いわけではない。 遠慮する必要はどこにもない。 「それですよ……すずかさん、貴女のような聡明で美しい方が女性同士で結婚だなどと…… 私は未だに信じられません。非生産的にも程がある。私なら貴女を正しい道に導くことが出来ると言うのに……」 信じられないと繰り返し、ため息をつくカスト子爵。 人の奥さんを口説くとか、信じられないのはこっちの方だ。 大体非生産的ってなんだ。 女は子供産む道具じゃないのよこの三下が! ……そうアリサが言うよりも早く、言葉を紡いだのはすずかの方だった。 「お言葉ですがカスト子爵、幸いこの国では同性でも子を成すことが出来ます。その様にご心配いただく必要はありません。 それよりご自分の方こそ、ボンボンだからといって遊び歩かずそろそろご結婚の一つでもしてみたらいかがでしょうか?」 笑顔と温度のギャップにビシッと空気が凍りつく。 奥さんの素早く容赦のない『口撃』にアリサはポカンと眺めているだけだった。 アリサも当然弁論術は修めているし論戦ならそう負けはしない。 ただここまで素敵な笑顔で強烈な毒を吐く奥さんには敵わない。 見ればカスト子爵は青い顔で目を白黒させながら固まっている。 喧嘩を売った相手が悪かった。 夫婦となった二人のうちアリサを攻撃すればすずかがついてくるのは当たり前。 同情する気にもならない。 「いきましょうあなた、他の方々にもご挨拶にいかないと」 「ええ、そうね……」 そうすずかに促されたアリサは、すずかと連れ立ってその場を後にする。 公の場以外であまり言われない『あなた』というすすがからの呼びかけに、ちょっとだけドキッとしたのはアリサの秘密だ。 固まったままのカスト子爵は……まぁ誰かがなんとかしてくれるだろうと丸投げした。 喧嘩売ってきた相手の面倒なんか見るわけがない。 「おお、バニングスご夫妻ではありませんか」 「まぁ、ご無沙汰しております伯爵」 「お二人ともますますお綺麗になられて」 「ありがとうございます、男爵夫人にそう仰っていただけて光栄です」 早々に目的外のところで一戦やりあった二人だったが、その後は順調に各貴族や各領主周りの人物達とのやり取りを進める。 「やれ不作続きだ、やれ盗賊団が活発だ……とか、面倒な話が多いわね」 「そうだね……どこも問題抱えてるのは同じだね」 「まぁ、それに比べればうちは概ね平和なんでしょうけど……」 収穫・漁獲共に例年並み、盗賊や魔獣の類いは……なのはとスバルがぶっ飛ばしたので平和。 日常的な仕事は山のようにあるが、これといって危機的な状況にはない。 目下最大の問題は、それこそなのはのお嫁さん問題に他ならない。 当分それが続くのだから人より強靭な精神のアリサでも目眩がする。 凶作よりはまし、と思うくらいしか道はない。 目眩で倒れたら治療費はなのはに請求してやる。 「おっと、ようやく目眩の一部がお出ましだわ」 「グリーアブル候と……側近のディオニス様も一緒だね」 「楽しい博打の時間よすずか」 「ふふ、望むところだよアリサちゃん」 敵地へ赴く戦友である二人は笑い合って準備についた。 泣いても笑っても一発勝負。 リスキーだが賭けるだけの価値はある。 「お待ちしておりましたぞグリーアブル候」 「さぁさ、こちらへ」 「中々お姿を見せてくださらないので、どうしたのかと思いましたよ」 矢継ぎ早に、集まってきた貴族達から言葉を浴びせられるグリーアブル候、ナスティ。 親和派の貴族達なのだから当然だが、その表情は皆芳しくない。 恐らく事情を知っている者達なのだろう。 「いやご心配をおかけして申し訳ない」 「おぉ、では……」 「いや、それは……」 「これはグリーアブル候、よくおいでくださった」 「グランバルド候……」 「そういえば、今日は貴殿とはやて様の結婚について、日取りをお教えいただける日でしたな。して、はやて様はどちらに……?」 親和派の一団とは別の人間からの呼びかけに、一瞬狼狽えた様子を見せたナスティだったが、すぐに笑顔を浮かべ話始めた。 「はやて様は少し体調を崩されていまして……今朝も様子を見てきたのですが、大事をとってお休みいただきました」 「そうでしたか、久しぶりにお顔を拝見できると思いましたが、残念です」 ナスティの言葉を聞いてアリサとすずかは視線を交わした。 そうきたか。 「お集まりいただいた皆様によろしく伝えてほしいとのことです」 はやての居場所を掴むことが出来なかったのだろう。 発表だけすませて急場を凌ぎ、その間にはやてを探す算段らしい。 「なお結婚式の日取りについてですが……」 「お待ちください」 「は……?」 ナスティにしてみれば、早く済ませてしまいたかったに違いない日取りの発表。 その発表を遮るように、凛とした声がホールに響いた。 声を張り上げたわけでもないのに、なぜこんなにも響くのか。 昔誰かが言っていた、彼女の芯の強さが、その声に乗って人に届くからだと。 「お話の途中で申し訳ありません。非礼をお許しください」 「貴女は……月村……いや、今はすずか・バニングスだったか……確か海鳴領の?」 「はい、海鳴領領主、高町なのはの名代として参加しておりました。閣下、私からもはやて様のことについてお話がございます」 「なに……?」 グリーアブル候と同じく、中央まで進み出たすずかは話を遮った非礼を詫びると、早速一枚目のカードを切った。 はやて、という言葉にナスティの表情が曇る。 なぜここで他の人間の口からはやてという言葉が出てくるのか、答えは一つしかない。 「はやて様、及びその家族の身柄は、現在我が海鳴領が保護しております」 「なっ……!? 先日彼女を屋敷から連れ去ったのは貴様らか! 保護だなどと、何をばかな……!」 「あら、先ほどグリーアブル候は今朝はやて様とお会いになったと仰っておられましたが、 私達がはやて様を連れ去ったと言うのならグリーアブル候は今朝、一体どこのはやて様とお会いになったのでしょうか?」 「ぐっ……!」 先刻のナスティの発言を逆手に取った言葉に、ナスティも二の句を継ぐことが出来ない。 そうでなくとも、すずかが保護であることを主張し続ければおいそれと手は出せないのだ。 そう、連れ去ったわけではなく、保護。 それはつまり、八神はやてが保護を求めなくてはいけない事態であったと言うこと。 「海鳴領領主、高町なのはの名をもって、ナスティ・グリーアブル候を脅迫罪で告発します」 しん、と会場全体が静まりかえる。 驚きで声も出ない者、注意深く発言の真意を汲み取ろうとする者、何か言おうとして結局口を閉ざす者。 反応は様々だった。 言われた本人、ナスティは意味が分からないというように呆然としていた。 なぜ自分が告発などされなければいけないのか。 「ば、馬鹿なことを言うな! なぜ私が告発などされなければならない!」 「はやて様、及びそのご家族と縁者であるグレアム卿に対し、精神的・物理的脅迫双方をもって婚約を取り付けたことについてです」 「そんな証拠がどこにある!」 「あるわよここに」 淡々と告発内容を述べるすずか。 そのすずかに激高したナスティが詰め寄るのを制するように群衆からアリサが進み出る。 証拠であるメモリークリスタルをその手に掲げて。 「このメモリークリスタルには貴方がはやて様に対し、どう言って婚約を了承させたかが記録されているわ。 爆破自体は金で下っ端を使ってやったみたいだけど、わざわざ自分で出向いて脅しかけるなんて余計なことをしたものね」 「爆破って……」 「あれだろ、グレアム卿の屋敷とはやて様の別邸の二つが吹き飛ばされた……」 「あぁ、そういえば……」 半年前に起こった爆破事件。 未だ犯人の捕まらないこの事件は、はやての別宅とグレアム屋敷に仕掛けられたものだった。 極秘裏に処理された闇の書事件の真相でナスティははやてを揺さぶり続けていたが、 それでも中々折れなかったはやてに業を煮やしたナスティが強硬手段に出たのだ。 次は殺す、そう告げられたはやてが、これ以上周りの人間に危険が及ぶことを避けるため、 望まない婚約を承諾したのはその翌週のことだった。 「で、でたらめだ! その証拠も捏造した物に違いない!」 「出るとこ出て照合すりゃすぐ分かるわよ。とはいえ……」 「長期間争うことについては我々も本意ではありません。 ゆえに罪の所在とはやて様の婚約の解消を……決闘裁判によって求めることを希望します」 「決闘、だと……?」 決闘裁判、それはどちらが正しいのかを決闘の勝敗によって決めると言う物騒極まりない代物である。 公国再編の混迷期には行われることも度々あったが、新暦に以降してからは初期の頃に二例あるだけだった。 今回のように早期に解決を望む場合や、どれだけ疑わしくも証拠不十分の時などに用いられることが多かったらしい。 過去には剣等の武器を用いた戦いが一般的だったが、 現代に近づくほどに命のやり取りにまでならない魔法戦へと切り替わったと記されている。 「勝負は明日正午、ミッド中央闘技場にておいて高町なのは候、及びナスティ・グリーアブル候双方の戦いをもって決着と致します」 「ディ、ディオニス……」 「……ナスティ様、決闘裁判は必ずしも受けなければならないものではございません。しかも相手はあの高町なのは。あまりに力の差が……」 「なお、この勝負に際し、我が主である高町なのはは3ランクの魔力リミッターをかけることを申し出ております」 「3ランク……」 「いけませんナスティ様」 「あ……失礼、グリーアブル候は魔法戦が得手ではございませんでしたね。 なのは様よりいっそ5ランク下げても構わないと申しつかっております」 「っ……!? 馬鹿にするな! いいだろうその勝負受けてやる!!」 無駄に自尊心だけが高い人間は、ある意味でとても扱いやすい。 ディオニスの制止に対し、すずかは魔力リミッターのカードを『二度』切った。 なのはからは「5ランクでも6ランクでも下げてあげるよ〜」と言われていたが、最初からそれを言う必要はない。 勝てるかもしれない、と、見下されている、を同時に植え付けるにはこの方がずっと効果的だ。 「ありがとうございます。では明日正午の決闘では魔力リミッターは5ランク、 デバイスは双方汎用デバイス。保護プロテクトをかけた形一対一での勝負を取り行います」 「また観客席への立ち入り許可をこの場にいる皆様、もしくは名代の方にお約束致します。是非証人のお一人としてご参加ください」 周りを見渡し高らかに宣言すると、アリサとすずかは優雅に一礼をして出口へと踵を返した。 宣戦布告はこれでお終い。 本当ははやてに直接告発をさせるつもりだったため、なのはがはやてを連れ帰った時は効力の低下を懸念したが、 今となってはこれでよかったのかもしれないとアリサは思った。 直接話をさせて細かいところに絡まれるよりは、ずっとスムーズに進んだはずだ。 残る部分は…… 「悪役を打ち砕く強烈な一撃だけ、ってね」 「砕けるのが悪役だけならいいんだけど……」 「闘技場の修理費は勘弁願いたいわね……」 だって決闘の片割れはなのはなのだから。 「待たれよ」 「グランバルド候……」 「見事な演説でありましたなアリサ殿、すずか殿」 「ありがとうございますグランバルド候」 「グリーアブル候にはやて様のことを尋ねて欲しいと言われた時は何事かと思ったが……まさかこんな展開になるとはな」 「有益な情報もいただけました」 「ふ、私はただ当然のことを『尋ねた』だけだ」 「ええもちろん……援助の件、予定通り承らせていただきます」 「ああ、期待しているよ。貴領とはこれからもよい関係でありたいものだ」 では、と軽く手を上げてグランバルド候は通路を戻って行った。 実は二人は事前にアーラント領領主、グランバルド候には協力を打診していた。 協力、と言っても、グランバルド候が言うように、 はやてのことを尋ねて欲しいというそれだけのことであったが、きっかけはなるべく他人が起こした方がいい。 そして当然見返りも忘れない。 アーラント領は先日起きた鉱山の落盤事故で一部鉄の生産がストップしている。 日用品にしろ武器にしろ、欠かせない金属の流れが止まればそれは価格に跳ね返る。 ましてや鉄はアーラント領の主力産出品、このままでは高騰は必至だが、現物での援助があれば話は別だ。 グランバルド候は今回の件に関して元々はやて寄りであったし、たったこれだけのことで援助が受けられるのは願ったりだろう。 ディザ領の情報収集・対応能力の一旦も見えたし、予想通りではあったが実権を握っているのが誰かも確認できた。 ナスティが宣言したあと、苛立たしげに無能め、と呟いた彼の口の動きをアリサははっきりと見ていた。 要注意人物なのはやはりあの男の方で間違いない。 「さて……諸々片付いたし、あとは帰って仕上げに取りかかるわよ、すずか」 「うん、アリサちゃん。……でも……」 「でも?」 「庭園くらいは、お散歩して帰ろうね?」 「……仕方ないわね」 アリサはすずかの提案に少し頬を緩めると、すずかが手をかけやすいように軽く肘をつき出した。 心得ているすずかは、ありがとうと言って手をかけるとアリサへと身を寄せる。 そんな妻に微笑んでアリサは、あたしだって一時間くらいデートを楽しんだっていいわよね、と外の庭園へと足を進めるのであった。
...To be Continued
2010/8/31著
リリカルなのはSS館へ戻る |