第三話の四『なのは様、略奪す!』 地平線を染めていた太陽が完全に沈む。 漆黒の闇が覆う夜の世界。 部屋の中に差し込むのは僅かな月明かりだけだ。 そんな中にあって、はやては手元の燭台に火を灯すこともせず、ただじっと暗闇を睨むように見つめていた。 「……はやてちゃん」 「……リインか」 「もう、夜ですよ」 「そやな」 「それに……そんなふうに眉間に皺を寄せていたらせっかくの美人が台無しです」 「……そやな……」 見かねて声をかけたのは八神家の末っ子……亜精霊のリインフォースUだった。 茶化すように、場を少しでも和ませようと。 けれど、はやてはリインの言葉に淡く微笑むと、ゆっくりと目を伏せた。 主の明確な拒絶……正確にはその悲しみのベールにリインはそれ以上踏み込むことが出来ない。 踏み込めるはずがない。 あらゆる幸せと引き換えに、はやてに悲しみのベールを贈ったのはリイン達、書の遺産なのだから。 書に関わる者ではダメなのだ。 躊躇い無く手を伸ばせない。 そしてまた、書より弱い者でもダメだった。 書に頼ることも、書に呑まれることもなく、はやてを守れる存在。 この世で、たった一人の。 「はやてちゃん……リインは、リインは……」 「……ごめんな、リイン」 「あや、まるのは、私達、で……」 「……リイン達が謝ることなんて、なんもあらへん。私に家族をくれた書には感謝しとる。……なぁ、これでも私は、随分と幸せなんよ?」 宥めるようなはやての言葉に、それでもリインは首を振る。 その拍子に、溜まっていた大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。 主だから、大切な家族だから分かってしまう。 それがはやての本心からの言葉で、そして一番大切な者から目をそらした言葉であると。 理解していながら何も出来ない自分。 リインは悔しくて悲しくて、泣きたいのに泣けない主の代わりに涙を流し続けた。 「リイン……」 「はやてちゃ……わ、私、私達は……」 「なぁリイン、なんもかんも終わったことや。私はこれからもリイン達と一緒にいられるんや、それ以上望むことなんて……」 「う、そです……そん、な、悲しい、顔で、言わないで、くださ……」 「嘘やない、私にとって一番大切なんは、皆と一緒にいることや。せやから……」 「……出来れば、その皆の中に勘定してもらえるとありがたいんだけどな?」 「っ!?」 「あ……」 ぼろぼろと泣き崩れるリインを撫でるはやて。 末っ子への想いとどうにもならない現実がはやてを苛む。 それでももう譲るわけにはいかない。 後戻りは出来ない。 そう、全てを切り捨てるために言葉を紡ぐはやてとリインの間を一陣の風が吹きぬける。 バルコニーに続く窓が開け放たれ声の主が姿を現す。 風と、夜天を背負って。 「……何しに来たんや」 「……ご挨拶だね、はやてちゃん。あんなに熱烈な歓迎をしてくれたのに」 「……私は、来てほしくない言うたはずや」 搾り出すように言葉を紡ぐはやてにふっと笑みを漏らして答えるなのは。 そのなのはの衣服は先ほどの『熱烈な歓迎』のおかげであちこち切り裂かれ焼け焦げていた。 ヴィータとシグナムの二人を相手取ったのだから、三人の戦いの詳細を知らないはやてとリインにして見れば、 この程度ですんだことの方が驚きであった。 ……現実は、ちょっとお茶目なイカサマをした挙句、焦げた部分は自分の砲撃の余波でしかないのだが。 「……シグナムとヴィータは?」 「加減はしたけど、撃墜しちゃったからね。リイン、悪いんだけどシャマルさん達と手当てに行ってもらえるかな?」 「は、はい」 「……リインまで行くことあらへん。シャマルとザフィーラが出れば大丈夫や」 「私がはやてちゃんと二人きりで話したいの。お願いできるよね、リイン」 「何をアホな……マスターは私や、なのはちゃんより私の……」 「り、リインはヴィータちゃん達のところに行ってくるです!」 「……リイン?」 「は、はやてちゃんは、なのはさんとちゃんとお話しないとダメなんですぅ〜!」 バチバチと静かに火花を散らすはやてとなのはに臆しながらも、リインは大事なことだけ叫んで部屋の外へと駆けて行った。 リインの行動に少し驚いた様子を見せるはやてとは対照的に、そうなることが分かっていたなのはは笑みを深くした。 こんなにも家族を愛しているのに、はやては愛されることにどこか鈍感だ。 ヴィータ達から迷いが抜け切らなかったことも、はやてを想って出て行ったリインも、部屋に踏み込んでこないシャマル達も。 ……本当に願っているのは、ただ一緒にいるだけじゃなくて。 「……はやてちゃんと一緒に『幸せ』に過ごすことだよ」 「そんなん……一緒に、いられるだけで……」 「ダメだよはやてちゃん、だって一緒にいられても、一番大切な人が笑ってないのに……幸せになんかなれないよ」 「……ただの、夢物語や」 「そうだよ、だからねはやてちゃん、私、その夢物語を叶えに来たんだ」 皆が皆、笑って過ごせるわけじゃない。 きっと世界は辛いことや苦しいことの方がずっと多くて、たくさんの悲しみで溢れてる。 でも、だからこそ、願ってしまうのかもしれない。 誰もが求めて止まない『幸せな結末』を。 「現実はちゃう。私がなのはちゃんと一緒に行ってどうなるん? もっと辛い未来が続いていくだけや」 「そうしていつまでも幸せに暮らしました……御伽噺の中だけだもんね」 「せや、今以上の最善の選択なんて……」 「それでも」 「なの……」 「辛くて醜い現実を、私ははやてちゃんと一緒に歩いていきたい」 「っ……」 めでたしめでたし……そんな言葉で括ることは出来ない。 そんなに綺麗で簡単には出来ていない。 だけど、続いていく現実の中で……その隣を一緒に歩くことは出来るから。 「……はやてちゃん」 「近寄らんといて」 「……」 「……もう帰って、お願いやから……」 「……ごめんね、はやてちゃん」 「や、離して……」 「ごめんね、離さないよ。もう、離せない……」 「ふっ、くっ……なんで、今頃……」 「遅くなって、ごめん。でももう迷わないから」 領主という地位は、思っていたよりも簡単に物事を動かせたが、思っていたよりも身軽なものではなかった。 本当はもっと早くはやてとフェイトをなのはは迎えるつもりだった。 けれど関わったばかりに知ってしまった。 自分の傍にいる人達が、臣下が、領民が、なのはの行動の一つ一つにどれだけ影響を受けるのか。 迷わずに攫ってしまえばよかった、そう思うには皆大切な者が多すぎた。 そうしているうちに随分と時が過ぎてしまった。 なのはが覚悟と力を手に入れるまで、はやてとフェイトはその身一つで戦ってこなければならなかったのだから。 「望んで、はやてちゃん。私といることを。そうしたら私は、どんなことからだってその願いを守ってみせる」 暗く深い闇の中で、待っていたのはたった一つの光。 「……私を攫ってぇな、なのはちゃん」 「お望みのままに、お姫様……」 はやてからもたらされた願いを、大事そうにその腕に抱いてなのはは微笑んだ。 一度だけ合わされた唇は涙でしょっぱかったけど、はやてもなのはも笑っていたから。 その日を境に、はやて達は首都クラナガンから姿を消した。
...To be Continued
2009/11/25著
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