第五話 目覚め

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
終わりはいつだってあっけない。
 
 
 
『私は君のそういうとこ、嫌いだ』
 
 
 
その一言で、簡単に終わってしまう。
積み上げてきた時間も、温もりも、すべて。
 
 
 
 
「……ふ、自分で終わらせておいて、言うセリフじゃないね……」
 
 
 
 
唇から漏れた自嘲の笑みは、次の瞬間言い知れぬ息苦しさに変わった。
終わった、いや終わらせたのだ、他でもない私自身が。
言葉を投げつけた後、結局私は振り返らなかった。
……振り返れなかった。
彼女の嗚咽が、風に乗って微かに耳に届いてしまったから……
 
 
 
 
「……今更だ」
 
 
 
 
彼女が……なのはが泣いていたから、なんだ。
口にしてしまった言葉は、どうやってももう元には戻らない。
翳りも、涙もなく、笑い合える場所は手放してしまった。
 
 
 
 
「……一番最初に、戻っただけだよ」
 
 
 
 
この手のひらには、もう何も残っていない。
他愛ない友達との一時も、飾らないでいい時間も、あの場所と同じ木漏れ日のような頬笑みも……
指の隙間から、砂のように零れてしまった。
もう一度触れることすら、きっともう許されない。
 
 
 
 
「……一人なんて、慣れてることじゃないか」
 
 
 
 
寂しい、などと思ったことはない。
一人でいる方が気楽で、落ち着く。
私の領域に入ってくるのは、家族だけで十分だ。
他人は身勝手で煩わしくて、存在自体が相いれない。
それなのに……
 
 
 
 
「どうして、いなくなってくれないのかな……」
 
 
 
 
たったの四カ月だ。
一年の半分にも満たない、短い時間を一緒に過ごした。
出会った時の少し驚いた表情、お弁当を美味しいと言った時の照れたような顔、わがままを言った時の困ったような頬笑み、それから……花のような、笑顔。
いっそ消えてくれたらと思うのに、思い出すのは彼女が私に向けた表情ばかりで。
最後によぎるのは、泣き出しそうな彼女の瞳。
 
 
 
 
「はは……道化もいいとこだ……」
 
 
 
 
みっともない自分に笑いが止まらない。
知らなければよかった、一人が寂しいものだなんて。
触れなければよかった、あの温もりに。
 
 
 
 
「……ただいま……」
 
 
 
 
機械的に足を動かして、喫茶店からマンションまでの道を辿り家のドアを開けた。
誰もいないと分かっているのに、ただいまといってきますを言うのはもう習慣だった。
……あぁ、そういえば、一度だけ……
 
 
 
 
「なのはが来てる時に一回出たから、おかえりって言ってもらったっけ……」
 
 
 
 
いってらっしゃい、気をつけてね? おかえりなさい、早かったね? そう言って微笑んだなのはを思い出す。
物珍しそうに部屋の中を眺めて、私の部屋では、あまりに物がなく殺風景なことに文句を言って、二人で過ごした後は晩御飯と卵焼きを作ってくれた。
……彼女がいないはずのこの場所にさえ、彼女の影が残っている。
 
 
 
 
「……なのは……」
「……トちゃん、フェイトちゃん、おぉーい、フェイトちゃ〜ん?」
「……っ!?」
 
 
 
 
ふと自分を呼ぶ声に我に返る。
『フェイトちゃん』そう呼ぶ彼女の姿を反射的に探しかけて、それが叶わないことに気づく。
代わりに私の目に映ったのは、茶色の髪の女性と緑色の髪の女性……久しぶりに見た家族の姿だった。
 
 
 
 
「……エイミィ?」
「帰ってきたなら返事くらいしなさいフェイト、おかえりって言ってるのに応えてくれないんだもの……もぉ……」
「母さん……?」
「フェイトちゃん、思いっきり私達の前を素通りするんだもん、びっくりしちゃったよ」
 
 
 
 
少し眉を寄せて私に文句を言うのは母、リンディ・ハラオウン。
隣では兄クロノの奥さんであり、私にとって義姉にあたるエイミィがあっけらかんと笑っていた。
 
 
 
 
「……なんでいるの?」
「久しぶりに会った母に言う言葉がそれなのフェイト!?」
「っていうか、フェイトちゃんこそどうして気づかないかなー? 玄関に靴あったし、電気だってついてたのに」
 
 
 
 
よよよ、と泣き真似をする母さんと、苦笑するエイミィ。
言われてみれば、確かに玄関に靴があったから、踏まないように避けて靴を脱いだ気がする。
どれだけ自分が腑抜けているのか、突き付けられたようで、胸にじわりと苦いものが広がる。
 
 
 
 
「それは……ごめん、少しぼーっとしてたみたい」
「まぁ別にいいけどね……なんかあったのフェイトちゃん、くらーい顔してるよ?」
「……別に、何も……」
「ふーん?」
 
 
 
 
エイミィの指摘に胸をよぎるのはなのはの影。
だけどそれが言葉になることはない。
口にしてどうなる?
エイミィや母さんになのはとのことを説明して、自分が何をしてきたのか話して……それから?
心配だけかけて、それでどうするの?
 
 
 
 
「……フェイトちゃんはさー」
「……何?」
「無口で冷静でクールな自分が何気に好きで」
「は……?」
「そのくせ実は感情的で、油断すると態度にぼろぼろ出ちゃうんだよねー」
「エイミィ……」
「あら、そこが可愛いんじゃない」
「まぁ分かりますけどねー」
「母さんまで……」
 
 
 
 
それなのに、どうして私の家族は、こんなに簡単に踏み込んでくるのだろう。
見なくもいいものは平気で見ないふりをするくせに、私のことはいつだって放っておかない。
温もりを手放すことを、許してくれない。
 
 
 
 
「……終わったことだよ」
 
 
 
 
だけど、本当の私は、弱くて臆病な私は、それに触れられることを拒絶する。
失うことに怯えるくらいなら、初めから、求めなければそれで済むから。
彼女を手放して、家族すらこれ以上踏みこまれないように遠ざけて。
 
 
 
 
「だから……」
「……ねぇフェイト」
「母さ……」
「『終わった』のと『終わらせた』のとでは……随分意味が違うんじゃないかしら」
「っ……」
 
 
 
 
穏やかに告げられたはずの言葉が、重く私に圧し掛かる。
逃げだそうとしている私に、母さんもエイミィも、気が付いている。
無理やり、終わらせようとしていることに。
 
 
 
 
「……フェイトちゃんが、本当にそれでいいなら、私達に言えることはないけどね」
 
 
 
 
気が付いていて、助けることも、責めることも、しない。
逃げたかったら逃げてもいいよ、と。
……だけど『真実』を置き去りにすることだけはしないでほしい、と。
心の底で、私が、本当に求めているのは何なのか。
それを見ないまま、選択をしてはいけないと言うように。
 
 
 
 
「……分からないよ」
 
 
 
 
声が震える。
 
 
 
 
「分からない、どこへ向かえばいいのかも、どうすればいいのかも、どんな……言葉をかければいいのかも……」
 
 
 
 
どうしてこんなにも彼女に執着するの?
いつだって切り捨ててきた。
それでいいと思ってた、それで後悔なんかしなかった。
どうして、彼女だけが、こんなにも私の心をかき乱して離さない?
 
 
 
 
「フェイトちゃん……」
「傷つけたくなんかないのに、どうして……」
「フェイト……大切な人が、出来たのね?」
「っ……大切に、なんか……していない……!!」
 
 
 
 
酷い言葉をぶつけて、傷つけた。
身勝手で、独りよがりな、言葉。
何をしたかった?
傷つけて、彼女の中に私を残したかった、それだけじゃないか。
醜く歪んで、汚して、それでも触れていたい、温もり。
私だけのものじゃないと、知っていたはずなのに。
 
 
 
 
「……あぁ、そうか……」
 
 
 
 
想いも痛みも、全部自分から吐き出して、最後に残った、答え。
 
 
 
 
「私は……」
 
 
 
 
君の、特別になりたかったんだ……なのは。
 
 
 
 ◇
 
 
 
その日から、私の日課にもなっていた喫茶店通いは影をひそめた。
大学が始まるまでの僅かな時間でしかない、時間稼ぎ。
始まってしまえば、嫌でも彼女と大学で顔を合わせることになる。
それまでにどうするのか、決めなければならない。
突き放すのか、求めるのか。
 
 
 
 
「……勝手なことには変わりない、か……」
 
 
 
 
母さんとエイミィはどうしろとも言わなかった。
詳細を知らないのだから当たり前かもしれないが、正直助かったような困ったような、複雑な気持ちだった。
切り捨てるのも誰かが道を示してくれるのも、楽でいい。
楽だから、ずっとそうしてきたのだと、本当はもうずっと前から知っている。
 
 
 
 
「だけど……」
 
 
 
 
今回だけは、いまだに決断出来ずにいた。
初めて私の前に現れた、特別な人。
特別だと、思ってほしい、人。
そして気がつけば、夏休みの終わりはもう目の前まで迫ってきていた。
明日からまた、大学が始まる。
 
 
 
 
「なのは……」
 
 
 
 
どうしたいか分かっていて、それでも足を進めることが出来ない、どうしようもなく情けない自分に目眩がする。
怖いのだ。
もう一度彼女の前に立って、拒絶されるかもしれないことが。
 
 
 
 
「どうしようもないな、ほんと……」
「ほんまやな」
「っ!?」
「今すぐ殴り飛ばしたいくらいや」
 
 
 
 
自嘲的に漏らした言葉に突然返答をもらい、思考が一瞬停止する。
息を吸って、半ば無理やり、その癇に障る声の主の方へ振り返ると、予想に違わず少し口角を上げただけの挑戦的な笑みを浮かべた相手がいた。
 
 
 
 
「八神……はやて……」
「覚えてもらえとって光栄やな、フェイトちゃん」
 
 
 
 
ニヤリと笑う彼女が、光栄だなんて思っていないことは明白で、透けて見える敵意に私も相応しい態度で臨む。
 
 
 
 
「そない睨まんでもええやん」
「そう? お互い様だと思うんだけど?」
「はっ……まぁ違いないわな」
 
 
 
 
私の剣呑な視線をものともしないで、飄々とした態度で受け流すはやて。
思えば、最初からお互い気に食わなかったのだろう。
私は、当たり前のようになのはに触れるはやてに対し敵意をもったし、はやてにしてみれば、我が物顔でなのはの隣にいた私が気に食わなかったことだろう。
 
 
 
 
「それで、何か用かな?」
「そやな……放っといてもよかったんやけど……あんまりにもなのはちゃんが可愛そうでな」
「なのはが?」
「随分な意気地なしに好かれたもんやと思うてな?」
「……」
 
 
 
 
意気地なし、というのは間違いなく私のことを指しているのだろう。
反論の一つもしたいけど、そのことに関して事実である以上私に言えることはない。
刺すようなはやての視線に対し、顔をしかめながらも目を逸らさないだけで精一杯だ。
 
 
 
 
「ふん……自覚はあるみたいやな」
「……彼女を、傷つけたのは事実だ」
「そういうとこが腹立つんや。傷つけた、やのうて、今もまだ傷つけ続けとるやろが、何で気づかへんのや」
「今も……」
「苦しいのが自分だけや思うたら大間違いや。どっかの阿呆が癇癪だけ起こしておらんようになったから、毎日カウンターの前でなのはちゃんが溜息つくことになるんや」
「……」
 
 
 
 
そう言って頭を振るはやて。
私はそれにも何も言えず、ただ通りの向こうに見える翠屋に視線を向けた。
あそこに、なのはがいる。
今はちょうどお客さんで賑わう時間。
きっと今頃なのはも忙しくしていることだろう、その胸の内はともかくとして。
そうさせている原因は間違いなく私で、笑っているなのはを……いや、笑おうとしているなのはを思うと、胸が痛んだ。
 
 
 
 
「そやのに元凶はいつまでもまぁぐずぐずと……ええ加減にしてくれへんかな?」
「……私にどうしろと?」
「覚悟が無いんやったらそれでもええよ。けどそれやったら……二度となのはちゃんに近づかんでくれへんかな?」
「二度と……」
「せや、意気地なしにはお似合いやろ? なのはちゃんはそんなんにくれてやるほど安うない」
「……」
 
 
 
 
突き付けられたのは、私がずっと手放さなかった選択肢。
どちらにも動けずにいた私の背中を押す一言。
……それも悪くはない。
このまま新学期を迎えるよりずっといいのは確かだ。
だけど。
 
 
 
 
「……断る」
「なんやて……」
「断る、と言ったんだ」
 
 
 
 
静かに、けれど決然と言い放つ。
 
 
 
 
「……ずっと、そうした方がいいんじゃないかと思っていた。何も得られなくても、これ以上なのはが傷つくことも、私が、傷つくこともないから」
 
 
 
 
それが一番安全な道だった。
得られるものが無くても、失うだけだとしても、これから先誰も傷つくことはない。
一つ、大きな痛みが通り過ぎるのを待てばいい。
それさえ越えれば、いずれ時と共に色褪せてくれる。
鈍い痛みだけを胸に残して。
 
 
 
 
「だけど私は……私は、なのはと一緒にいたい」
 
 
 
 
けれど、知ってしまった。
どれだけ自分が、高町なのはという女性を求めて止まないのかを。
いや、思い知った、という方が正しいかもしれない。
飢餓にすら近いこの渇望を。
欲と、傲慢と、嫉妬に汚れていて、少しも綺麗なんかじゃないけれど。
 
 
 
 
「傷ついたって構わない、いつかまた彼女を傷つける時が来ても私は逃げない。なのはの隣も、喜びも、痛みも、悲しみも全部、他の誰にも渡さない」
 
 
 
 
傷ついて、傷つけて、どれだけボロボロになったとしても、それも全部私の物だ。
彼女の隣にいたいなら、抱えていかなくちゃいけない物だ。
 
 
 
 
「……言うやないか、根性無しのくせに」
「好きに言えばいい……私は彼女を手放さない」
「ええで、見せてもらおうやないか……」
 
 
 
 
そう不敵に笑うはやてに、私も笑みでもって応える。
……踏ん切りがついたのは、はやてのおかげでもあるのだろう。
他の誰かに彼女を奪われることへの反発がなければ、もう少しかかっていたかもしれない。
 
 
 
 
「……計算尽く?」
「さぁ? どうやろな?」
 
 
 
 
ほな、と全てを見通したように笑って、はやては翠屋の中へと消えて行った。
食えない奴だ、と思う一方、なのはがはやてを信頼するのはああいうところなのだと納得もいく。
出来るならこのまま私も翠屋に行って、なのはの前で第二ラウンドを仕掛けたいところだけど、残念ながらそれは今日じゃない。
 
 
 
 
「ふぅ……まずは明日、だな……」
 
 
 
 
まずはきちんと伝えよう。
なのはに『ごめん』と『今までありがとう』と、そしてそれから……



...To be Continued


2010/6/18著


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