第四話 遠雷 さんさんと降り注ぐ太陽。 九月に入ってもその勢いが衰えることはなく、毎日暑い日々を過ごしている。 もう数日で夏休みも終わり大学も始まるから、その頃にはもう少し涼しくなっているといいな、って思う。 「ただいまお父さん、お母さん」 「お帰りなさいなのは」 「お、お帰りなのは、もう買い物はすんだのか?」 「うん、秋物はばっちりだよ」 まだしばらくは夏服でも全然問題ないくらいの暑さだけど、気候が変わる時はあっという間に変わるものだ。 早目に次のシーズンの服を入手しておいて損はない。 今からあれを着よう、これを着ようと楽しむことが出来るのは女の子の特権かもしれない。 ……お財布はちょっとさびしくなったけど。 「フェイトちゃんに車出してもらったんだろ、一緒じゃないのか?」 「うん、フェイトちゃん、図書館に返却する本が今日までみたいで、そのまま図書館に行っちゃった」 「そうか、じゃあ今日は晩御飯は食べないのか」 「たぶん。ついでに大学の教授のところに顔出してくる、って言ってたから遅くなるんじゃないかな?」 夏休み前の試験勉強以降、我が家にちょくちょくやってくるようになったフェイトちゃん。 最初は翠屋でご飯を食べていたのだけど、わざわざお店に移動するのも、ということでいつの間にか夕飯はちゃっかり食卓に加わってしまっていた。 食事代の代わりに、材料を買ってきてくれるのはいいのだけれど、要求スペックが高いので手は抜けない。 舌が肥えてるのか、味には結構敏感なのだ。 どれも美味しいとは言ってくれるけど、ちょっと失敗してる時なんかは一瞬箸が止まる。 何か言われるわけじゃないけど、なんとなく『う、頑張らなきゃ……』って気持ちになってしまう。 いい練習になると言えばそうなんだけど、おかげでフェイトちゃんは、自炊をする気が皆無になってしまったみたいで、一向に自炊は望めそうになかった。 私の手が空かない時の食生活が物凄く心配だ。 「ちゃんと食べるとは思うんだけど……いや、パン一個と缶コーヒーの前科があるか……」 甘やかしてはいけない、と思うものの、無いならないで適当に済ませてしまうのだから仕方がない。 こうして車を出してもらったり、試験勉強を手伝ってもらったりと、恩恵にあずかっている部分もあるから無碍にも出来ないし…… 「いつかちゃんと矯正しよう、うん……あ、手伝うよお父さん」 「おお、じゃあこれとこれ運んでくれ」 「うん」 まぁ、今ここにいないフェイトちゃんのことは、またフェイトちゃんが来てから考えることにして、 私はお店のエプロンに袖を通すと、言われたトレーを持っていく。 もう夕方の時間帯、ピークの時間は過ぎたからお客さんはそこまで多くないけど、手伝いは欠かさない。 ちょっとさびしくなったお財布のためにも、出来ることはやっておくに限るのだ。 「お父さん、次は?」 「次は……おや?」 「え?」 次の指示を求めてお父さんのところに戻ると、お父さんが私の背後、店の出入り口へと視線を向けた。 お客さんかと思い、対応しようとした私が振り返るより早く、来訪者はやってきた。 否、飛びかかってきた。 「なーのはちゃーんっ!!」 「にゃぁぁぁぁっ!?」 カランというドアの閉まる音に重なるように、襲撃者と私の声が響く。 後ろから抱きつかれた私は身動きが取れず、襲撃者の姿を確認することは出来ないが、間違いない。 こんなピンポイントに胸を鷲掴みするようなお客さん、もちろん知り合いにおいてもそんなの一人しか該当しない。 「は、は、は……」 「おぉ、相変わらずええ乳や!」 「〜っ、はやてちゃん!!」 「手に収まるジャストサイズ、揉みごたえ抜群、これぞまさに、ベストオブ乳やっ!!」 思った通り、お客さんを装った襲撃者は、夏休み中は海外に発掘に行ってくる、とか言って旅立っていったはやてちゃんだった。 ベストオブ乳、って何? それ以前に挨拶より先に揉むってどうなの!? 「帰ってきていきなりそれなのっ!?」 「当たり前や! どれだけ角ばった個体を相手にしてきたことか……いくら相手が女性でも、化石になっとる恐竜に揉めるとこなんてあらへんねんっ!!」 「え、そっち!?」 「あ……忘れとった、ただいまぁなのはちゃん♪」 「今更っ!?」 てっきり、男性職員に囲まれていたことを言ってるのかと思っていたけど、どうやら化石の方だったらしい。 もちろん男性職員ばかりだったのも無関係ではないだろうが、毎日毎日手にするのは化石になった固形物ばかりだったと力説してくれた。 「もっ……分かったからそろそろ放してよ!?」 「いややっ! 空港からここまで、愛しの乳に触るためにどれだけ急いできたか分かるかなのはちゃん? バスと電車とタクシー乗り継いできたんやで?」 「普通でしょ!」 「そうとも言う」 「そうとしか言わないよ!!」 これが久しぶりに私に会いたくて、とか言うんだったらまだ分かる。 なのに、愛しの乳とかどういうことだ。 自分の一部ではあるが、災厄以外の何物でもないものを招いている時点で、色々とやるせない。 「あ、あかん。はよお土産持って帰らな、ヴィータ達が拗ねてまう」 「……先にお家に帰ろうよはやてちゃん」 「あははー、いやせやかて、ここ通り道やし」 「まったくもぉ……」 堪忍堪忍、そうけらけらと笑うはやてちゃんは、ようやく私の背中から離れてくれた。 胸からも離れて、名残惜しそうにわきわきしていた両手は、しっかりと叩き落としておいたけど。 「あ、ほななのはちゃん、これお土産、みなさんで食べてや〜」 「あ、ありがとうはやてちゃ……お土産?」 「そや、お土産や」 「お、悪いなはやてちゃん」 「いやいや、気にせんといてください〜」 「……」 はやてちゃんとお父さんはにこやかに言葉を交わしているけど、どうやら私はその輪に混じれそうにない。 私の手の中にあるのは『化石シリーズ・ビックバン』とかいう名前が書かれた、得体の知れない箱だった。 食べる、ということは食べれる代物だとは思うのだけど……普通に手をつけるのが怖い物を、お土産になんかしないでほしい。 「ネタやもん」 「食べないの前提っ!?」 それは普通にひどいよねはやてちゃん!? 「や、食べれるはずやで? ちゃんと試食用並んどったし」 「……食べたの?」 「……じゃ、とりあえず私帰るわー」 「ちょ、やっぱり食べてな……」 「ほなな!」 「まっ……うぅぅ……あ、相変わらず逃げ足だけ早いんだから……」 言いたいことだけ言って、脱兎のごとく逃げていったはやてちゃん。 ずしっと、存在を主張するお土産……もとい物体Xを今すぐゴミ箱に放るべきか、判断に迷う。 「はは、まぁ食べられないってことはないだろう」 「うぅ……だと思うけど……」 「なんならお父さんが最初に食べてやるさ」 それならば、とはやてちゃんのお土産はその日の夜、皆で食すことになった。 「なんかやな予感するんだけどね……」 結論から言えば、中身は普通に色んな化石の形をしたクッキーだった。 ただロシアンルーレット的に、トウガラシが練りこまれた物があって、見事に大当たりを引いたお父さんとお兄ちゃんが悶絶をしただけで。 やっぱり、はやてちゃんのお土産は、ただ美味しいだけとかあり得ないない物だった。 ◇ 「はぁ……」 「どうしたのなのは?」 「うぅ……ちょっと昨日の惨事を思い出しちゃって……」 「?」 台風のようにはやてちゃんがやってきた翌日、いつものように翠屋で昼食を取るフェイトちゃんに、食後のコーヒーを出す。 その際、思わず口をついて出た溜息に、フェイトちゃんが首を傾げた。 いや、うん、友達は選んだほうがいいかもみたいなごにょごにょ…… 「私の幼馴染なんだけどね……」 「アリサ達?」 「じゃなくて、もう一人いるの」 「もう一人?」 「うん、違う大学に行ったから、フェイトちゃんはまだ会ったことないんだけど……ちょっと、何かにつけて色々してくれて……」 「ふぅん……」 「昨日も来たと思ったらいきなり人の胸揉むし、変なお土産は置いてくし……」 「……揉ませたんだ」 思わずはやてちゃんの愚痴を、フェイトちゃんの前で口にしてしまうと、フェイトちゃんが瞳をスッと細めた。 その仕草にギクっと身を竦める。 フェイトちゃんが機嫌の悪い時にする仕草。 笑うか苦笑するかだと思っていたのに、思いがけない反応に少し慌てる。 「ふぇ、フェイトちゃん? あの……」 「こんにちはー、なのはいるー?」 「え、あ、アリサちゃん、すずかちゃん?」 「こんにちはなのはちゃん」 カランカランとドアが鳴る。 何がフェイトちゃんの癇に触れたのか問う間もなく、お店のドアを開けて、アリサちゃんとすずかちゃんが入ってきた。 連れだってやってきたのだから、何か用があってのことだろう。 今日は特に何も約束してなかったはずだし……どうしたのかな? 「いらっしゃい二人とも、どうかしたの?」 「ええ、どっかの狸に呼び出されたのよ」 「お土産があるから、翠屋に集合、ってメールがきたの」 「狸って……」 その言葉に、にしし、と笑うはやてちゃんが思い浮かぶ。 昨日うちには直接寄って行ったはやてちゃん。 だけど通り道じゃない二人の家には寄らず、メールで今日呼び出したらしい。 もし、うちと同じお土産だったら、持って帰らない方がいいかもしれない。 「ていうか……ほんとにフェイト、ここでご飯食べてるのね……」 「……悪い?」 「悪くはないけど、あんたたまには自分で作れば?」 「なのはの方が美味しい」 「そりゃそうでしょうけど……」 チラっと、カウンター席にいるフェイトちゃんに目をやって、アリサちゃんは盛大に溜息をついた。 溜息ついてないで、もっと言ってよアリサちゃん。 「なのは」 「うん」 「あんたもういっそフェイトと住めば?」 「うん……って、そっち!?」 「や、だってもう、ここまで開き直られるとねぇ……」 「ふふ、フェイトちゃん、なのはちゃんのご飯が大好きだもんね」 「あぅ……」 フェイトちゃんにきちんと自炊をさせる、遅々として進まないその計画に対し、アリサちゃんの口から出たのは期待と正反対のものだった。 見込みがないから廃止しろ、である。 事業仕分けじゃないんだから、諦めないでよアリサちゃん…… 「三食なのはのご飯か……」 「ま、真面目に検討してないでよフェイトちゃん!?」 「私はむしろその方がいいけど」 「ご飯くらいちゃんと食べてよ〜……」 美味しい、と言ってもらえるのは嬉しいけど、ここで流されちゃいけない。 見た目よりもかなりずぼら……もとい大らかなフェイトちゃんは、そんなことになったら本当に自分でご飯なんか食べないに決まってる。 自分で普通に作れるくせに、ほんとにどうしてやらないんだか…… 「とにかく、フェイトちゃんは自分一人でもご飯をちゃんと……」 「やはー、遊びにきたでなのはちゃーん♪」 「……」 無駄に終わりそうと知りつつ、それでもフェイトちゃんに言うだけ言おうととしたとこで、派手な音を立てて翠屋のドアが開いた。 なんか今日はこのパターンが多いなぁ、と思うけど、よく考えたら発端はどっちもはやてちゃんだった。 KYって知ってるはやてちゃん? 「お、お揃いみたいやな」 「はやて、あんたねぇ、呼び出しておいて自分が遅刻するんじゃないわよ」 「堪忍なぁ、出がけに忘れ物に気づいてしもて……お、なんや美人さんがおるやん、どちらさん?」 「あ、フェイトちゃん、こっちがさっき話してた私の幼馴染ではやてちゃん」 「……あぁ」 「で、えっと、こちらは今私達と同じ大学に通ってるフェイトちゃんです」 私の隣にいたフェイトちゃんを見て、紹介してー、と視線を送ってくるはやてちゃん。 いや、口にも出してきたけどね。 とりあえず簡単に名前だけ紹介すると、二人の視線が空中でぶつかり合う。 「……八神はやてですぅ、よろしゅうに……」 「……よろしく……」 そしてバチバチ! ……と睨み合うフェイトちゃんとはやてちゃん。 え、……え? な、なんでそんなに、のっけから仲悪そうなの、ねぇ!? 「あ、う、ふぇ、フェイトちゃんは法学専攻で、はやてちゃんは考古学専攻なんだよ!」 「へぇ……」 「そう……」 「……あぅ」 アリサちゃん達との顔合わせの時と同じ要領で、お互いの専攻分野を話題に乗せてみるが反応なし。 一応返事してくれてるけど、二人とも聞いてない、よね? 「……ま、ええわ。それより今日最初の一揉みやっ!」 「ふぇ……きゃぁっ?!」 「!?」 「今日もまたええ乳やなぁ〜♪」 「はやて、あんたねぇ……」 「変わらないねはやてちゃん……」 バチバチと二人の間で散っていた火花が、違う方向に飛び火する。 睨み合いから一転、私に向き直ったはやてちゃんの両手が電光石火で伸びてきた。 避ける間もなくつかまってしまった私は、なんとか身をよじって逃げようとするけど、しっかり張り付いたはやてちゃんがどうやっても剥がれない。 ちょ、アリサちゃんもすずかちゃんも、眺めてないで助けてよ〜…… 「うひょひょひょ、ええ揉み心地♪」 「まっ……ふっ……く、くすぐった……あはは……」 揉む、というよりはなんだかくすぐりがメインな気もするけど、相変わらず私の胸のあたりを動き回る両手。 片方落としても、もう片方を相手にしているうちに、落とした方も復活してくるのだからきりがない。 それでも、くすぐったくてあまり力の入らない体で、抵抗を続けていた時にそれは起こった。 「く、はは……は、はやてちゃ……そろそろ許して……」 「えー、なのはちゃんかてこんなに楽しそうやのに?」 「た、楽しいんじゃなくて、くすぐったいんだってば……」 ドンッ! 「ひょわっ!?」 「ふぉぉっ!?」 「ちょ、何事?」 「フェイトちゃん?」 「……」 カウンターを拳で叩きつけたのか、鈍い音が辺りに響いた。 慌ててフェイトちゃんに視線を移すと、当のフェイトちゃんは渋い顔をしたまま、 お昼御飯代をカウンターに置くとこちらを見ることも無く、お店の外へ出て行ってしまった。 「……ちょぉ、やりすぎたやろか……」 「……はっ、ちょ、ちょっと待ってフェイトちゃ……いい加減放してはやてちゃん!!」 「えー、まぁほら、明日にはけろっとまたご飯食べに……」 「いいから離れなさいよ」 「はぶっ!?」 「なのはちゃん、行って」 「ありがとうアリサちゃん、すずかちゃん!」 我に返り、急いでフェイトちゃんを追いかけようとして、張り付いたままのはやてちゃんを引きずる形になってしまった。 にもかかわらず、剥がれないはやてちゃんは凄いと思うけど、今回ばかりは恨めしい。 見かねたアリサちゃんとすずかちゃんが引き剥がしてくれて、ようやく私は自由を取り戻すことができた。 お店の外に出ると、足の早いフェイトちゃんは、すでにかなり離れたところを歩いていた。 「はっ、はっ……フェイトちゃん!!」 「……何?」 「はぁ……あ、あのね、フェイトちゃ……」 「なのはは誰にでもそうだよね」 「え……?」 追いついたフェイトちゃんは、足を止めて振り返ってくれたけど、出会った頃のように鋭くて棘のある視線を向けてきた。 久しく向けられなかった……ううん、フェイトちゃんから初めて向けられた明確な敵意に、私は足が竦んで動けなくなった。 「誰が相手でも、へらへら愛想良く笑ってる」 「そ、それは……」 「別に、君のことだから君の好きにすればいいけど」 へらへら――いまだかつて表されたことのない形容詞に思考が硬直する。 無理に笑っているつもりはない。 けれど、状況に応じて笑みを浮かべるようにしていることもまた確かで、反論の二の句が継げなくなってしまう。 「でも」 「フェイ……」 「私は君のそういうとこ、嫌いだ」 「っ……!?」 放たれた言葉が、胸の奥を貫く。 たった二文字の言葉が、私をどこか違う場所へ叩き落としたのを感じた。 じわり、と滲む視界の中で、フェイトちゃんが踵を返すのだけが分かる。 引き止めなくちゃ、話をしなくちゃ……そう思うのに動かない体はおろか、言葉すら出てこない。 「っ……ぅ……」 次第に涙が溢れて、言葉の代わりに嗚咽が漏れた。 フェイトちゃんの姿は、もう通りの先へ行ってしまったのだろう、霞のように滲んだ視界にはその背中は映らなかった。 「ふぇ……とちゃ……」 ただ、心だけが痛かった。
...To be Continued
2010/6/14著
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