第二話 名前を呼んで

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「おはようなのは」
「おはようなのはちゃん」
「あ、すずかちゃん、アリサちゃん、おはよー」
 
 
 
 
予期せぬ邂逅の翌週、アリサちゃんとすずかちゃんも交え、全員で一緒に昼食をとることになった。
フェイトさんと友達……ううん、知り合いになったって言ったら、二人にはとても驚いた顔をされた。
アリサちゃんに至っては、どうやって手なづけたの? なんて言われる始末。
動物じゃないんだから……と思うけど、
確かに彼女の『一匹狼』な面しか知らない人からすれば、何があったと思うのも仕方がないのかもしれない。
 
 
 
 
「……でもあれを知らないのは損だと思う……」
「ん? 何か言ったなのは?」
「え、あ、ううん、なんでもないよ」
 
 
 
 
ポツリとこぼしてしまった独り言。
内容までは聞こえていなかったらしく、アリサちゃんはすぐに教壇へと向き直った。
私も授業中なんだから集中しなくいけないんだろうけど、この後のお昼を思うと、どうしても浮ついた気持ちになってしまう。
あの邂逅から今日まで何度かお昼を共にした。
彼女は私のお弁当を気に入ってくれたみたいで、相変わらず口数は多くないけど、
お弁当を頬ばっている間はいつもよりちょっとだけ表情が柔らかい。
私だけじゃないかもしれない。
でも、きっとほとんどの人が知らない。
カッコいい、だけじゃなくて、可愛い彼女のことを。
 
 
 
 
「……あー、終わった! ノートばっちり! さ、行くわよなのは!!」
「ふぇっ!? ちょ、なんでそんなに張り切ってるのアリサちゃん」
「当たり前でしょ! 見かけることはあるけどそれ以上のことは何も知らないんだから、さっさと紹介なさい!」
「しょ、紹介って言われても……」
「ふふ、アリサちゃんは、なのはちゃんに悪い虫がついたんじゃないかって心配してるんだよね?」
「えぇっ!?」
「ちちち、違うわよ! 単にどんな奴か気になるだけよ!」
 
 
 
 
顔を真っ赤にしてうろたえるアリサちゃん。
そっか、心配してくれてたのか……やっぱり優しいなアリサちゃん。
確かにフェイトさんは、学内で交友を持ってる人はいないみたいだし、
そんな人と急に知り合いになりました、なんて言われたら心配にもなるのかもしれない。
でも紹介って言われてもなぁ……あまり話さない人だから、私もまだよく分からないんだよね……




「あ、あれそうじゃない?」
「え……あ、ほんとだ……フェイトさん!」
「……あぁ……おはよう……」
「おはよう……ってもうお昼だよ?」
「ん……あの講義……眠くて……」
「あの講義って……」
「……ひょっとして、哲学?」
「うん……」
 
 
 
 
哲学、それはこの大学において、一般的に睡眠導入授業のことを指す。
実際には知ること、考えることを学ぶ授業なのかもしれないが、
その学問の性質ゆえに、説明する教授によっては面白みがない、または眠くなると評判の授業でもある。
いい人に当たれば哲学の面白さを学べるのかもしれないが、
ご多聞にもれず、私達の大学の教授も子守唄に近いお経を唱えるような人であった。
週に二コマあるうち、どちらか一コマの履修となるのだが、フェイトさんは私達とは違う曜日のを履修していたらしい。
……同じ曜日じゃなかったのがちょっと残念。
 
 
 
 
「あの眠気を我慢するのってつらいのよね……分かるわ」
「アリサちゃん、いつも真面目に聞いてるから」
「そういうすずかもでしょうよ」
 
 
 
 
だけど同じあの授業の被害者であるフェイトさんに、アリサちゃんとすずかちゃんも親しみをもったようだ。
反目するよりはいいけど、難敵の哲学が縁を取り持つというのもどこか不思議だ。
 
 
 
 
「まぁ突っ立ってるのもあれね。移動しましょうか?」
「うん、いつものところでいいんだよね、なのはちゃん」
「あ、うん、じゃあ行きましょうかフェイトさん?」
「ん……分かった……」
 
 
 
 
まだ少し眠いのか、コクっと頷いてゆっくり歩き出すフェイトさん。
隙のない普段の装いしか知らないアリサちゃん達は、その様子にまた目を瞬かせる。
クールで近寄り難い雰囲気が、時にはこうして眠気からきていたものだとは思いもしなかったのだろう。
近づいて、よくよく観察をしてみれば、こうした一面がぽろぽろ出てくるのだから人間って面白い。
 
 
 
 
「わ……だいぶ暖かくなってきたねー」
「そうね……近いうちに半袖じゃないときつくなりそうね」
「その前に梅雨があるから、まだ衣替えしちゃだめだよアリサちゃん?」
「わ、分かってるわよ。すずかは心配性なんだから……」
 
 
 
 
裏庭に出ると、ちょうど真上にきていた太陽からの直射日光にさらされる。
今くらいの季節はまだいいけど、それでも近いうちに長袖じゃいられなくなりそう。
横目でフェイトさんを窺うと、彼女も目の上に手をかざして目を眇めて空を見上げていた。
黒いシャツを着ている彼女は、これだけ日差しが強いと少し暑いのかもしれない。
 
 
 
 
「とりあえず奥に行こう?」
「ええ、ここにいても暑いだけだわ」
 
 
 
 
いつもの場所、すなわち私とフェイトさんが出会った場所であり、私達がいつもお昼を食べている裏庭の奥に四人で一緒に移動する。
木々の合間を抜けるとぽっかりと開けるので、位置的に丸くなるようにそれぞれ腰を下ろした。
フェイトさんは最初茂みから抜けてきたけど、ルートを教えてあげてからはちゃんと合間を抜けてくるようになった。
改めて考えれば、この茂みを抜けてきたのだから凄いと思う。
 
 
 
 
「さて……なのは」
「あ、うん……えとフェイトさん、こちら私の友達でアリサちゃんとすずかちゃんです。
 で、アリサちゃんすずかちゃん、こちらは……知ってると思うけどフェイトさんです」
「月村すずかです、よろしくフェイトちゃん」
「アリサ・バニングスよ、よろしくねフェイト」
「……よろしく、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです……」
「……で?」
「ふぇ?」
「ふぇ? ……じゃないでしょ、他になんかないわけ」
「え、えーっと……」
 
 
 
 
簡単にそれぞれの名前だけ紹介すると、アリサちゃんからもっとないのかと言われる。
他に、って言われても、まだそんなにフェイトさんのことは知らないし、説明のしようがない。
 
 
 
 
「……アリサ、と……すずかは、何学部なの?」
「ん? あたしは経営学部ですずかは……」
「理工学部だよ。フェイトちゃんは?」
「私は、法学部……」
「へぇ、法学部なんだ。じゃあ将来は弁護士か検事?」
「どうだろう……まだ分からないかな」
 
 
 
 
わたわたする私を見かねたのか、それと単純に興味からか、フェイトさんがアリサちゃん達に学部を尋ねた。
そうか、学部の紹介って手があったか。
一人そう納得する私をよそに、やれ経営は授業はつまらないだとか、理工は実験が多くて大変だ、とか何気にスムーズに話は進んでいく。
饒舌、というより無口なイメージが強いフェイトさんだけど、
さすが話上手なアリサちゃんと聞き上手なすずかちゃん、そんなフェイトさんから色々な話を引き出していく。
この分ならぎくしゃくする心配はなさそうだ。
 
 
 
 
「あ、そろそろお弁当にしようよ」
「そうだったわね。今日は顔合わせもだけど、なのはのお弁当の日だものね」
「私とアリサちゃんは先週だめだったから二週間ぶりだけど……フェイトちゃんはよく一緒に食べてるんだよね?」
「うん……今日のお弁当、何?」
「えっとね……じゃじゃん、今日はハンバーグと煮物、それにサラダのセットで〜す♪ あとはデザートにサクランボもあるよ」
「おぉ、今日も豪華ね」
「この煮物も美味しそう……あとでレシピ教えてねなのはちゃん」
「うん、いいよ〜」
 
 
 
 
四人分のお弁当を広げると、皆でいただきますをしてから食べ始める。
うん、今日も悪くない出来に仕上がった。
チラっとフェイトさんの方を窺うと、時々アリサちゃん達としゃべりながらも、いつものように早いペースで消化していた。
最初は食べるのが早い人なのかな、って思ったけど、どうも美味しいものの時は箸が早い傾向にあるようだ。
その証拠に、この間ピーマンが入ってた時は、ちょっと動きが鈍かった。
概ね好き嫌いはないみたいだし、味付けもこだわりはないみたいだけど、ピーマンは苦手らしい。
もちろんちゃんと食べさせたけどね。
ただその様子が、小さい子が一生懸命嫌いなものを克服しようとしている姿を彷彿とさせて、
凄く可愛かったのだけど、あれは私だけの秘密にしておこうと思う。
 
 
 
 
「……あれは?」
「あぁ、これだよね……はい、卵焼き」
「ん……」
 
 
 
 
お弁当も半分くらい進んだところで、フェイトさんの箸が止まる。
何事かと首を傾げるアリサちゃん達にも見えるように、私はタッパーを取り出した。
中身はもちろん、フェイトさんの好きなあの卵焼き。
 
 
 
 
「なに、フェイト専用?」
「にゃはは……」
 
 
 
 
そんなアリサちゃんのからかいの言葉も、その通りといえばその通りなので笑ってごまかした。
最初に食べたお弁当に入っていた甘い卵焼き。
二回目のお弁当には入れなかったのだけど、そうしたら少ししょんぼりしていたので、次のお弁当からはタッパーに詰めて別に持ってくることにした。
以来、彼女のお弁当に卵焼きは標準装備である。
 
 
 
 
「……」
「……え? どうかした?」
「……」
「? ……あっ」
 
 
 
 
取り出した卵焼きに箸もつけず、微動だにしないフェイトさんに呼びかける。
卵焼きを喜んでいるのは間違いないとして、一体どうしてなのか。
じっと見つめてくるフェイトさんを見て、そこでふと思い出した。
そういえば初めての時からずっと、卵焼きだけは私の箸からフェイトさんは食べていたことに。
 
 
 
 
「……」
「えーっと……」
 
 
 
 
表情にあまり出さないのは相変わらずだけど、期待されているであろうことは手に取るように分かった。
何事? と言いたげなアリサちゃんとすずかちゃんの視線が痛い。
フェイトさんを取るか、羞恥心を取るか……
 
 
 
 
「えと……じゃあ、はい……」
「ん……」
「どう……?」
「んぐ……今日のも、美味しい」
「えへへ、よかった♪」
「……何してるのよ、アンタ達は……」
 
 
 
 
一瞬迷ったけど、結局私はフェイトさんを取った。
呆れた目で、何、バカップル? とか口にするアリサちゃんや、隣で楽しそうに微笑んでいるすずかちゃんを思うと、
恥ずかしくて今すぐ隠れちゃいたいくらいだけど、まだまだ卵焼きが残っているこの状況では、フェイトさんがそれを許してくれそうにない。
いいもん、食べてもらえて嬉しいから、そう開き直りながら、今日も卵焼きがなくなるまでフェイトさんの口に運び続けた。
 
 
 
 
「なるほど……手なづけたわけじゃなくて、餌付けしたわけね」
 
 
 
 
違う、と言えないあたり、アリサちゃんの言葉は実に的を射ていた。
 
 
 
 ◇
 
 
 
「さて、それじゃあそろそろお開きにしましょうか?」
 
 
 
 
全員のお弁当が終わり、その後もお互いの話で昼休みを楽しんだ私達。
午後の授業も近づいてきたところで、アリサちゃんがそう言って立ち上がり、全員で片づけを始めた。
 
 
 
 
「……あれ? そういえばアリサちゃん、授業の前にって教授に呼ばれてなかったっけ?」
「は? ……やっば、忘れてたわ!?」
「はいアリサちゃん、これ次の資料」
「あ、ありがとうすずか。じゃあ私先行くわね」
「私も次実験だから先に行くね?」
「じゃあまたねなのは、フェイト」
「バイバイなのはちゃん、フェイトちゃん」
「うん。……わわ、走ったら危ないよ、気をつけてねアリサちゃん、すずかちゃん」
「またねアリサ、すずか」
 
 
 
 
どうやら教授に呼ばれていたことを、すっかり失念していたらしいアリサちゃん。
慌てて駆けだしたアリサちゃんと同じく、すずかちゃんも実験の準備があるから、と足早に行ってしまった。
二人とも大変だなぁ〜……
 
 
 
 
「……じゃあ、私達も行こうか?」
「うん……そうだね」
 
 
 
 
残された私達はといえば、次は一緒に受ける英語の授業のみなため、鞄を持って二人でゆっくり歩いていくことにした。
特に急がなくてもまだ十分授業には間に合う時間だから。
 
 
 
 
「……」
「……」
 
 
 
 
さっきまでと打って変わって、私もフェイトさんも特に話すことはなく、黙々と裏庭を歩く。
ちょっと気まずい……ような気もするけど、これはこれで落ち着くような気もするので対応に困る。
 
 
 
 
「あっ……」
「……?」
 
 
 
 
裏庭を抜け、校舎に入ろうとするところでさっきのやり取りを思い出す。
アリサ、すずか……そう二人の名前を呼んだフェイトさんの姿を。
私……私は、まだこの人に名前を呼んでもらったことがない。
 
 
 
 
「……あの、ね?」
「ん……?」
 
 
 
 
ちょいちょい、と少し先を歩くフェイトさんの袖を引く。
何? と問いかけてくる彼女の視線に、一息ついてから私は言った。
 
 
 
 
「な、名前」
「名前?」
「私の、名前も……呼んでほしいな、って……」
 
 
 
 
だけどいざ口にするとなぜだか凄く恥ずかしくて、だんだんしりすぼみになってしまった。
それでもフェイトさんの耳にはちゃんと届いたようで、彼女は一瞬驚いた表情をした後、いいの? と言った。
 
 
 
 
「じゃあ……私もさん付けじゃない方が嬉しい、かな」
「う、うん、それじゃあ……えと……フェイト、ちゃん?」
「……うん、……なのは」
 
 
 
 
なのは。
たった三文字の自分の名前。
それなのに、どうしてだろう?
囁くように言われた名前を聞いた瞬間、胸が震えた。
ひどく優しい彼女……フェイトちゃんの声に、私は意味も分からず満たされていくのを感じていた。
 
 
 
 
「……えへへ、これで私達も友達……だよね、フェイトちゃん?」
「うん、なのは……友達だ」
 
 
 
 
この日、柔らかな陽光が降り注ぐこの場所で、私達は友達になりました。




...To be Continued


2010/5/30著


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