魔法少女 リリカルなのは AnotherS

 

 


 突然現れたのは 紅い防護服の魔導師
 色は違うけど デバイスは違うけど
 その姿は 寸分変わることなく 私の親友だった
 あなたは
 一体 誰なの

 

 
          第2話 襲撃再来

 
「わぁっ!?」
「くっ!」
 突然の爆発に、なのはは目を閉じてしまった。眩い光と熱気が縦横無尽に駆け回る。抱えていたロストロギアを落としそうになってしまうが、脆いという前情報から、彼女は必至になってそれを抱えた。
 だが爆風は一時的なものだったらしい。すぐに風は収まり、熱気がどこかに消えてしまう。おっかなびっくりに、彼女は再び目を開いた。
 光の球体は、大きな炎に変わっていた。
 人ひとり丸ごと包めそうな炎が、宙に浮かんでいる。しかし普通の炎じゃなかった。青白い、まるで化学の実験で見るような……異質な炎だ。赤い個所など少しもない。
 そしてさらに、異常な個所が1つ。
「……な、中に、人が……!」
 信じられないことに、炎の中に小さな人影が見えた。両腕をだらりと下げ、力なく俯き、手には何か……長い棒を握っていた。そのシルエットは炎と一緒にゆっくり降下し、鏡のような床に静かに降り立った。
 炎が、若干だが小さくなる。それに伴い、包まれていた人影の様子がよく見て取れるようになる。それを見て、
「え―――あ、あれ……?」
 言葉を忘れた。
 現れた人物が、よく知った格好をしていたからだ。
 見た目は10歳くらいの女の子である。自分と同じくらいの背丈に、自分と同じような髪形に、
 自分がいま着ているのと全く同じデザインの……防護服。
 自分がいつも付けているものと全く同じデザインの……リボン。
 そして、その女の子がゆっくりと、目を開けた。

「………………うそ……」

 同じなのは、服装だけじゃなかった。その瞳も、顔立ちも―――まったく同じ。
 『自分』が、目の前にいた。
 ……え、ぇえ? ど、どうなってるの……? ぽ、ポーズが違うから、鏡ってわけじゃないし……。それに防護服も、全部真っ赤だし、リボンだって今の私とは違うから…………い、一体なにが起こってるの……?
 完全にパニック状態で呆然とするなのは。だがその少女が持っているものがデバイスのようであることを確認すると、ある程度だけ狼狽が落ち着いた。歩み寄ってくる相手に向けて、
「あ、え、えと……わ、私たちは時空管理局員です! こ、ここは局の作戦領域内で、現在は任務中です! あなたがどなたかは存じ上げませんが、ひとまずデバイスを待機状態にしてください!」
 ほとんど条件反射に近い形で、慌てたように言葉を並べる。それと共にデバイスを構えるが、先端を相手に向けることはしなかった。それは攻撃の意志の表れであり、下手なことをすると相手を怒らせる、と最近研修で習った成果である。
 それが功を成したのか、少女の足がピタリと止まった。
 そのまま数秒、少女は黙ったままなのはとフェイトを交互に見た。その視線はなんだか鋭くて、なのはの足が知らずに少し後退する。
『ど、どうなってるのかな? フェイトちゃん……。あの子、私とソックリだよね……?』
 助けを求めるように、フェイトに念話を送る。自分の認識が信じられなかったからだ。全然似てない、という旨の回答を期待していたが、
「だ、め…………こ、来ないで……」
 回答どころか、よくわからない言葉が返ってきた。
『? フェイトちゃん?』
 もう一度思念でフェイトに話し掛けるが、彼女は応えてくれない。真っ青な顔色をしたまま、何かをブツブツ呟いている。
『……フェイトちゃん、どうしたの? フェイトちゃん? フェイトちゃん!』
 親友の様子がおかしいことに気付き、何度も名前を呼ぶ。だがフェイトは応えない。時折「連れてっちゃダメ」とか「大切な人なの」等という単語を繰り返すのみで、なのはの方に意識すら向けていない。信じられないといった様子で、目の前にいる少女を凝視している。すると少女のほうは両腕をクロスさせた後、何かを払うように両腕を広げた。途端に残っていた蒼い炎が消し飛び、
「……高町、なのは……。それに、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン……で、間違いないですか?」
 唐突に、言葉を発した。
 その声はなのはと瓜二つのものだったが、なのは本人は気付いていない。
「え? あ、はい。……あれ? わ、私たちのこと知ってるんですか!?」
「はい。あなたたちに会うために、ここに来ました。…………まずは謝罪をさせてください。そのロストロギアですけど―――」
 その時、
「う―――うぁああああああああああああああああああっ!!!」
 突然、フェイトがキレた。
「な、フェイトちゃ―――」
 なのはが何かを言う前に、高速でフェイトが間合いを詰めた。物理法則など無視するような速度で飛翔し、全力で戦斧を叩きつける。だが、

 ガギィッ!! という衝突音。

 漆黒の斧は、銀色のデバイスで簡単に防がれていた。
「問答無用、ですか。エイミィ・エミリッタに情報を流したのは正解でしたね。手間が省けます」
「っ、この……!」
 音を立てて、フレーム同士が軋み合う。フェイトがさらに力を込める。だが、
 キン、という鋭い音と共に、戦斧が簡単に弾かれてしまった。仕切り直しのためフェイトが再び飛翔し、なのはの側に降り立つ。
「な、何してるのフェイトちゃん!? いきなり攻撃なんて―――」
「なのは! 早く逃げて! 私が時間を稼ぐから!」
 親友の突然の暴挙に驚くなのはだが、フェイトは彼女のことを視界にも留めていない。庇うように片手で制し、もう片方の腕でバルディッシュの刃を、紅い少女に向ける。
「なのはを、どうする気だ!」
「……。あなたの想像に任せます。おそらく、何を言っても無意味ですし」
 戦意を剥き出しにするフェイトとは対照的に、紅い少女は落ち着いていた。左手に握る銀色のデバイスを少しだけ横に振り、右の掌を握り、
 途端に右の拳が―――蒼い炎を纏った。
「っ! バルディッシュ、カートリッジロード! サイズフォーム!!」
《Yes sir》
 少女の動作を攻撃準備とみなしたフェイトが、己がデバイスに変形を命じた。途端にバルディッシュの本体である宝石部分のすぐ近くで小規模な炸裂音がし、刃が90度回転。そこから―――黄金色の魔力が噴出され、巨大な刃が形成された。
 バルディッシュの変形バリエーションの1つ……サイズフォーム。その名の通り、それは巨大な鎌だった。
「亡霊なんかに……なのはは、渡さない!!」
 そして再び、フェイトが少女に向かって飛翔した。両手で柄をしっかりと掴み、今度は絶対に弾かせないと全力で握り締め、相手の胴体めがけて金色の刃を、

 しかし、
 結果は、同じだった。

 1度目より、さらに激しい衝突音。金色の魔力が火花のように散る。……だが、それだけだ。
 先ほどと同じように、攻撃は簡単に、銀色のデバイスで防がれていた。
「っ!? こ、の……!」
「彼女を守りたいのでしょう。なら、全力で来ることを勧めます。その程度で斬れると思ってるんですか」
「―――はあぁっ!!!」
 相手の言葉に激し、フェイトは今度は距離を取ることはせず、そのまま再度刃を振り回した。受け止められている銀色のフレームを滑るように切り、勢いを殺さず反対側から攻撃を仕掛ける。次は掬い上げるように下方から、次は振り下ろし、1回転して再び右胴に刃を走らせ、
 ―――だが、当たらない。
 刃が届かない。
 幾度斬撃を繰り出しても……全部、銀色のフレームに止められてしまう。
「ぐっ! この……このっ! はぁ!! ―――ぅあああぁぁっ!!」
 半ば混乱状態で、出鱈目に刃を振り回す。もうどこに当てるかなど気にしている余裕もなかった。ただ速く、前の一撃より少しでも速く、相手の防御を掻い潜ることのみに固執し、
 それでも、相手の防御は崩れてくれない。
 左手一本でデバイスをくるくる回す少女は、あくまで冷静だ。必要最低限の動きしかせず、フェイトの攻撃を面白いように防いでいく。その場から一歩も動いていない。
 動く必要もない、とでも言うように。
「ああっ!! は、あぁ―――あああああぁっ!!!」
 デバイスを振るう度、フェイトの焦りに拍車が掛かる。自分の攻撃が通じないどころか、相手の実力が尋常じゃない。それに自分の攻撃を防いでいるのは……『魔法ではない』ことが、あまりに常識からかけ離れていた。少女はデバイスで受け止めている。防御魔法を、一切用いてない。
 フェイトの頭の中で、亡霊という単語が別のものに変わっていた。
 化け物……っ。
「う――――――うあぁあああっ!!!」
 もうまともな思考をすることも怖くなって、フェイトは鎌を振り上げた。とにかく全力で斬る。デバイスごと。その想いのみで、魔力をありったけ刃に込め、

「バルディッシュ、戦闘中止」

 振り下ろした。だが刃が銀色のデバイスに衝突するのと同時に、
「――――――なっ!?」
 フェイトの魔力刃が―――なんと、『砕けた』。
 デバイスには損傷はない。だがそれが形成していた魔力の塊だけが、ガラス細工のように粉々に砕け散ったのだ。小さな破片となった魔力はすぐに形状を崩して、紫電となって空気に霧散していく。
 常軌を逸していた。
 大体にして、目の前の相手は、―――『魔法を使っていない』というのに。
 そ、そんな……なんでっ!?
 驚愕に打ちのめされ、知らず後退するフェイト。だから気付かなかった。
 唯一魔力を放出している右の拳が、蒼い炎をさらに噴出させていることに。そして目の前の少女が……腰を軽く落としていることに。

「フレイムランス」
《Flame lance》

 静かで、小さな声。
 だが動きは―――あまりに鋭かった。
「っ―――!」
 予備動作無しの突然の拳は、フェイトが常時展開していたフィールドタイプの防御魔法を簡単に貫通。バリアジャケットまで到達し、着弾と同時に炸裂した。フェイトの身体が……投げ飛ばされた玩具のように、宙を舞う。
「―――フェイト、ちゃ―――」
 それを、なのはは、
 あまりに突然のことの連続で、見ていることしかできなかった。

 力なく吹き飛ばされる、小さな身体。
 手から離れる、漆黒の戦斧。
 落下する……金色の、

「―――フェイトちゃん!!!」
 条件反射のように身体が動いた。両手で抱えていたロストロギアを手放し、全力で跳躍。落下し始めていたフェイトの身体を空中で抱き止める。
 だがその程度では、人ひとりを吹き飛ばした威力は弱まらない。フェイトの身体をキャッチしたなのはも、慣性力を止めきれずに吹き飛び、
 幾多の黒い机と椅子を巻き込みながら、落下した。


「…………い、た……」
 ガラガラと音を立てつつ、周りのものを退かす。その間も……身体全体が、痛かった。
 周りを見れば、整然と並んでいたはずの机と椅子は、ものの見事にガラクタになり果てていた。固そうな印象のあった黒い材質は、そのほとんどが折れ曲がっている。
 ……ううん……これ、違う…………鉄じゃ、ない……?
 身体を支えるために床に着こうとしていた手が、机の足に触れた。途端にそれは、粘土のように簡単に曲がってしまった。
 柔ら、かい……。なんなの、これ……。でも……お蔭で助かった……。
 全身の痛みに顔を顰めつつも、何とか上半身を起こす。そして思考の隅で、少しだけ安堵していた。骨くらいは折れるかも、と考えていたからだ。
 自分の向こう見ずな性格にも呆れてしまう。何も考えずにフェイトの身体を抱きしめ、落下する時に黒い机と椅子が迫り来るのを見て、実は心臓が止まるくらい怖かったのだ。あんな固そうな机と椅子の群れに突っ込んだら、タダでは済まない。それくらいは瞬時に理解できたし、防御魔法も間に合わないこともわかっていた。それで……覚悟を決めたのだ。
 せめてフェイトちゃんだけでも、と。
 だが結果として、自分の身体は問題なさそうだった。身体中が痛いけど、骨折とかはしてなさそう。裂傷もないし、たぶん打撲程度だと思う。
 そして、自分の膝元を見る。
「よ……よかった……」
 意識を失っているようだが、フェイトにも怪我はなさそうだった。直撃を受けたボディスーツの胸元が少し破けているが、下から覗く白い皮膚にも傷はない。このスーツは……バリアジャケットという名の役目を果たしてくれたらしい。
「フェイトちゃん……」
 不意に涙が出そうになって、意識のない彼女の身体を抱きしめる。華奢で、脆そうで、でも……暖かかった。
「威力は最小限に抑えてます。……それに椅子と机も緩衝材になったはずですし、ケガはないはずです」
 不意に、
 少し遠くから、どこか聞き覚えのある声がした。
「…………」
 目を向ける。
 紅い魔導師は、こちらにゆっくりと、歩いてくる。
 ……思い、出した。
 この声……私の声だ。
 口調は全然違うけど……ビデオメールで、撮ったときの…………自分の声だ……。
「あなたたちを傷つける気はありません。大人しくしていてください」
 少女の脚が止まる。距離は5メートルもない。
 だから、フェイトの身体を抱いたまま、見上げた。
「どう……して……」
 知らずに、そう言葉が漏れる。なのは自身、その問いの意味がわからなかった。
 どうしてフェイトちゃんを攻撃したの、という意味合いなのか。
 どうして私と同じ姿で、同じ声なの、という意味合いなのか。
 自分自身でも、判断ができない。
「……。彼女が攻撃してきたから応戦した、という答えでは納得できませんか」
「―――っ」
 少女は……自分とそっくりな女の子は、「どうして」という問いを先ほどの攻撃に関するものだと解釈したらしい。
 だけど、その言葉を聞いた途端、どっちでもいいと思った。どっちにしても、
 自分が怒っていることに、変わりはなさそうだから。
「……もう1度言います。大人しくしていてください。あなたじゃ私に勝てない」
 その声を無視して、フェイトの身体をそっと床に下ろして、立ち上がる。
 そして……デバイスの先端を、目の前の少女に向けた。
「…………」
「…………」
 数秒の沈黙。
 なのはは少しの敵意を瞳に宿し、
 少女は無表情に、お互いを見つめる。
 どこかで見たことのある瞳だと思いつつ、だけど、
「…………フェイトちゃんが先に攻撃したことは……悪かったと、思います」
 その感情を無視して、なのはから口火を切った。
「よくわからないけど、フェイトちゃんは混乱してて……ううん、何か怖がってました。理由まではわからないけど……。だから、謝らないといけないのは私たちのほうだって……それだけは、わかっています」
「理解はしてる。だけど、それを承知してもなお、抑えられない気持ちがある。そう言いたいのでしょう、あなたは」
「っ」
 考えを読まれていたことに少し動揺し、目を逸らしてしまうなのは。だけどすぐに目線を戻し、真っ直ぐ見つめ、
「……ひとまず、謝らせて下さい。すいませんでした。攻撃なんかして」
「……」
 今度は、紅い少女のほうがなのはから視線を逸らした。下を向き、小さく溜め息を吐き出し、
「やっぱり、優しいですね。あなたは」
 少しうれしそうに、だけど悲しそうに、笑っていた。
「え……」
「そして強い人です。友人想いで、真っ直ぐで……」
 意図が掴めない、寂しそうな言葉。それを聞いて、なのはの怒気が収まっていく。
 …………この子……一体……。
「いつでもどうぞ。受けて立ちます」
「……え?」
「こっちの準備は出来ています。あなたは優しい。だから、彼女を攻撃した私を許せないのは……充分理解できます」
「―――」
「それを承知で、私も彼女を攻撃したんです。だから謝る必要なんてありません。あなたの謝罪を受け取る資格なんて、私にはありません」
 再び少女が目線を上げる。
 もう、寂しそうな様子などなかった。
「最初から……戦わずに済む選択肢なんてなかったんでした。私もバカですね。「大人しくしろ」だなんて言葉、無意味でした」
「…………あなたは、一体……?」
「……。その問いも意味がないですよ。私の目的が何にしろ、戦わずに済ませる気は、あなたにもないはずです。……私は、彼女を攻撃したんですから」
「っ」
 その言葉に、ちらりとなのはの視線が、フェイトに向く。
 眠るように横たわっている親友の姿が、また、なのはの心の奥で火を灯した。

『なのは! 早く逃げて! 私が時間を稼ぐから!』

 なんで彼女があんなことを言ったのか。なんで彼女は突然少女を攻撃したのか。それは……わからない。だけど、
 わかる事柄が、ひとつだけあった。
 彼女は……理由はわからないけど、自分を守るために攻撃してくれた。自分を守るために、戦ってくれた。
「私も……バカみたいです」
「……」
「私たちのほうが悪いってわかってても…………あなたは、私の大切な人を、傷つけた。だから」
 だから、想いに応えようと思う。
 今度は……自分が守る番だから。
「ええ、わかってます。いつでもどうぞ」
「―――」
 それ以上、うまく言葉にできなかった。
 次に出てきた言葉は、
 ――――攻撃の狼煙だった。

「レイジングハート! バスターモード!!」

 主の命に応じ、レイジングハートの先端部分が光を帯びた。黄金のフレームは一度消え、しかし再び……別の形となって再構築される。
 バスターモード―――中〜長距離射程を誇る、なのはのデバイスの変形バリエーションである。
「……? それ、長距離狙撃用の……」
 紅い少女の表情に疑問が浮かぶ。なのはの選択が意味不明だったからだ。
 お互いの距離は5メートルもない。一歩踏み出して手を伸ばせば触れられるほどの、そんな距離である。だが、
「非殺傷設定で行きます……。でも、痛いはずです! フェイトちゃんと同じくらいに!!」
 なのはにとっては、距離などどうでもよかったのだ。
 理由はわからないけど、この子は、フェイトちゃんを傷つけた。意識を、失わせるほどに。
 だから……だから同じくらいの、おもいっきり痛いのを受けてもらわないと、
 私の気が……済まないっ。
「そっか。優しいですけど、あなたは……容赦がないんでしたね」
 また小さく笑う少女。普通ならこの状況、そのタイミングでの笑みは挑発以外の何ものでもない。
 だがやはり、少女のそれは……寂しそうに、なのはには見えた。
「……っ」
 少しの迷い。だけど、それを無理やり胸の奥に押し込む。相手はいとも簡単にフェイトを倒した魔導師だ。油断などできない。躊躇などできない。何より―――どうしても、許せないから。
「ディバイン―――」
 デバイスに魔力を送る。途端に杖を覆うように環状魔法陣が編まれ、先端にはチャージされた魔力の塊が、桜色の光を放出し始める。
「砲撃魔法の近距離発射……。これだけ近いと、避けるのはめんどくさいですね」
 そして、なのははありったけの魔力を込め、
「―――バスターーー!!!」
 すぐ目の前の少女めがけて、砲撃を放った。
 だが、
「これ、強度上げて」
《Yes master》
 自分がチャージしていた魔力の光が邪魔で、なのはには見えていなかったのだ。
 少女が、側にある椅子の1つに手を伸ばしていたことに。
 なのはの攻撃魔法発射と同時、
 少女は、その黒い椅子を振り回した。

 桜色の砲撃と、矮小な黒い椅子が衝突。
 出鱈目な爆風が周囲の椅子と机を吹き飛ばし、
 しかし、吹き飛ばされたのは椅子と机だけではなかった。
 なのはの砲撃も―――ただの椅子に弾き飛ばされた。

「――――――う、うそ……」
 標的から逸れた砲撃はそのまま直進。黒い壁面に衝突し、爆散した。爆音が大気を揺さぶる。
 だけど、少女はその場から動いてもいなかった。いくら出鱈目な防御法でも反動はあったはずであり、幾分はダメージを負うのが普通だ。それなのに、
 無傷で、無表情のままで、彼女は平然としていた。
 フェイトが……何に恐れていたか、わかった気がした。
「……。予想以上に貫通力が高いですね。ただの一撃で、私の炎を喰い破るなんて」
 横一線に振り回した椅子を降ろす少女。しかしその椅子は、以前と様子が異なっていた。
 小さな蒼い炎。燃えるように、椅子がその歪な火を纏っていた。
「…………なに、今の……」
「ただの魔力付与ですよ。あなたもベルカ式魔法は知ってるはずです。……あれと一緒にされたくはないですが、似たようなもんです」
 そう言うと、少女は興味を失くしたかのように、ぽいっと黒い椅子を投げ捨てた。途端に炎が消え去り、
 床に接触すると同時、ほとんど音も立てずに椅子が形状を崩した。砂のように、サラサラと。
 戦慄だけが、なのはの胸に堆積していく。
「あなたは……一体、なに……?」
「言ったでしょう。そんな質問、意味がない」
 そして少女は無表情に目線と、左手に握ったデバイスの先端をなのはに向け、

「モード、アロー2」
《Yes master. Mode “ARROW2”》

 途端に、バキバキ、ベキンッという音と共に、銀色のデバイスが変形を始めた。
 長かった杖の柄は一瞬にして短くなり、本体部分を覆うフレームの中に消えていく。残っていたフレームは2つに割れ、翼を広げるようにバカンッと展開された。すぐ側の何もない空間で白い光が発生し、その中から足りない部品が出現、本体と融合しながら大きくなっていき、
 現れたのは……少女と同じくらいの背丈はある、長く銀色のゴツゴツした『棒』だった。その姿は原型の杖の部分などほとんど残っておらず、唯一同じ部分なのは本体である深緑色の宝石だけだ。変形というより、完全に別の武器になり果てている。
 ―――……あ、アロー、2? あれは、弓矢の……矢……なの……?
「先に、謝らせて下さい」
 混乱の極みにいるなのはに向かって、少女は、なのはが先ほど言葉にしたのと似たようなセリフを口にした。
「……え、」
「これは……少し特殊です。痛くさせない攻撃方法が、ありません」
 そして、ガシャッと音を立てて、その銀色の棒を持ち上げる。攻撃の構えのようだが、それにしてはおかしな構えだった。
 棒の先端はなのはに向けず、床と垂直になるように持ったのだ。まるで、
「でも安心してください。うまくいけば、あなたたちが起きた時……全部、終わってますから。だから」
 あの構え……もしかして、
「……少しだけ、寝ていて下さい」
 そう少女が言い終わった途端、

 棒の中央付近から、
 ガシャンと、短く鋭利で、小さな刃の先端が現れた。

 ――――! やっぱり、弓!!
「レイジングハート!!」
《Protection》
 咄嗟の判断で叫ぶが、レイジングハートも警戒していたのだろう。タイムラグ無しに防御魔法が展開され、
 それでも、無意味だった。
「アンカー3射出」
《Connect anchor 3, fire!!》
 落ち着いた声での紅い少女の命令と、喜々として応える銀色のデバイス。それと共に、
 小さな刃から、青白い炎が射出された。
 刃そのものが発射されたわけではない。小さな銀色の棘から蒼い炎が噴出し、しかしそれは炎の形ではなく、まるで蛇のように空間を蛇行した。周りにあった黒い机と椅子を触れた途端に吹き飛ばし、のた打ち回り、そして幾分暴れると……その先端をなのはに向けた。射撃魔法と同等の速度で飛翔し、なのはの展開している魔法障壁に接触。
 何の抵抗もなく、防御を貫いた。
「―――なっ!!?」
 衝突した感覚も、貫かれた感触もなかった。魔法障壁など最初からなかったかの如く結界内に侵入され、蒼い炎がバリアジャケットに触れる。途端に、

 身体が、冷えた。

「あ……ぐ、ぅ?」
 寒く感じた。おかしかった。相手のコレは炎のはずだ。熱いはずだ。それなのに、
 バリアジャケットに触れた3本の炎の触手、それに接触している部分を中心に……身体が凍えた。氷の棒を突き刺されたみたいだと感じ、そうではないとすぐに思い至る。
 急激に魔力を消費した後と、感覚が似てる。
 ……っ!? ま、魔力を、吸い取ら、れ―――
「コアは傷つけないで。残量をゼロにすればいいから」
《All right! Hacking……Start!!》
 そして、ジャケットに突き刺さった炎の触手が、一度震えるような様子を見せた後、
 大切なナニカが、身体から吸い出され始めた。
「う…………あ、ぁあっ、あああああああああああああああああああああああああああっっ!!!?」
 意識が、途切れる。

 
 まどろみの中で、誰かが叫んでいた。
 ズキズキと痛む身体。フラフラする意識。自分は横たわっているんだと頭ではわかっていても、すぐには立てなかった。
 目を開けて視界に映るのは、見知らぬ真っ黒な天井。随分高い天井で、見覚えがなくて、ここがどこだかわからなかった。自分は何で寝ているのかとか、何で身体が痛いのか考えて、痛みの元が胸部辺りだと認識して、
 やっと、現状を思い出した。
 今は、管理局の任務中だったはずだ。
 誰かに攻撃されたはずだ。
 そして、吹き飛ばされたんだった。
 それと、
 ――――――――――――――――――
 ……?
 なにか、ヘンな音が聞こえる。ノイズのようだ。単一の音が、切れ目なく永遠と鳴り響いている。何だろうと思って、身体を起こそうとして、
 ――――――あああああああああああああっ、あああ、ぐっ、うぁあ、あああああああああああああっっ!!
 ノイズじゃ、なかった。
「―――っ!?」
 慌てて身体を起こす。全部思い出した。音の発生源に目を向けて、
 自分の目を、疑った。
 自分を吹き飛ばした、紅いバリアジャケットの少女。形を豹変させた銀色のデバイス。そこから延びる蒼い炎。
 それに貫かれ、苦しんでいる……大切な人の姿。
「な、なの―――」
 駆け寄ろうと思って、全力で立ち上がろうとして、
 ダメだった。
 とす、という小さな衝撃。
「―――……?」
 わずかに起こした身体の、胸元。
 そこに……なのはと同じモノが、突き刺さっていた。
 蒼い炎の槍。痛くはない。苦しくもない。ただ少し衝撃を感じただけ。だけど次の瞬間、
「ぐ、あっ」
 何かが、外に、
「あああっ、あ、や、ぁああああああああああああああああああああああああっっ!!」
 さ、寒い。
 冷たい。抜ける。吸われてる。身体の奥から、何か、大切な、凍え、る、
「あああああああ!? うぁあ、あああああっ!! や、だぁ、あああっ、ああああああああああ!!!」
 意識が、切れ、う、なにこれ 吸われ  違  吸われ   だけじゃな  何か  入っ
 なの は

 
「あああああっ!! や、やだ! やだぁ!! ああああああああっ!!」
 尋常じゃないくらいの寒さが、なのはの全身を駆け巡っていた。
 自分で何を叫んでいるかもわからない。ただ、ものすごく嫌な感じがした。嫌だ。やめて。取らないで。それだけしか頭に浮かばない。
 だけどどうにもならない。身体が自分の思うとおりに動いてくれない。寒くてガタガタ震える。指先から急激に感覚がなくなっていく。視界が時折真っ白に染まって、意識が途切れる。だけどすぐに寒くて意識が戻り、また白く染まって落ちかける。まるで眠るのを無理やり妨害されているようだ。苦しくて仕方がなかった。
 な、なに、これ……!? 普通の攻撃じゃ、な、ない……っ。
 意識が落ちないように必死に両手を握ると、少しだけ指先の感覚が戻った気がした。そして、レイジングハートをまだ手放していないことに気づく。
「あああっ! ぐぅ……れ、レイジング……ハートぉ!!」
《―――ze―――ge ie―――Ma―――Mas―――te―――r―――》
 なのはの言葉に応えるために、必死に言語を刻むレイジングハート。だがその声はノイズ混じりであまりに痛々しい。いつの間にか形状が、バスターモードからアクセルモードに戻っていた。
 ……れ、レイジングハートも苦しんで、る……。こ、このまま、じゃ……。
 相手の攻撃は不可解極まりない。何をされているかもわからないし、対処法がない。だけど……このままではダメだと、なのはは思う。
 な、なんとか、止めないと……っ。あ、アクセルシューターで、妨害、して―――
 歯を食いしばって、ありったけの魔力をデバイスに注いで、何とか魔法を起動させようとするなのは。寒がっている場合じゃない。苦しんでいる場合じゃない。苦しいのは―――レイジングハートも同じ。それならなんとか脱出しないと。そう思って意識を集中させ、
 そこで初めて気付いた。
 ―――――――――ぁぁあああああっ、ぐぁあ、うぁあああ、ああああああああああああ!!!
「―――っ!?」
 自分以外の悲鳴が、この広い空間に鳴り響いていることを。
「ふぇ、フェイト、ちゃ」
「ああああああああっ!! やだ、嫌だぁ!! やぁああああ!! うぅぁああああああああああああっっ!!」
 目線を向ける。自分の後ろ。
 膝立ちの状態で、胸に突き刺さった蒼い触手を掴んで、必死に抜こうともがいている……親友の姿があった。
「ああああああ!! や、イヤ、あ―――ああああああああっ!! な……のは!! なのはぁ!! う…………ああああああああああ!!!」
「フェイ、ト…………フェイトちゃん!!」
 瞬間、何もかも忘れた。
 彼女は何も見ていない。目を瞑って、必死にもがいて、苦しんでいた。自分を呼ぶ声は助けを求めてのことなのか、それともただ叫んでいるだけなのか、判断はできない。
 だけど少なくとも、彼女は、自分の名前を呼んでる。
 助けないと。
 ―――助けないと!
「……フェイト、ちゃん……フェイトちゃん!! わ、たし……私、ここにいるよ!! フェイトちゃん!!!」
 左手に握るレイジングハートに魔力を送りつつも、右手を後方にいるフェイトに伸ばす。そんなに離れた距離じゃない。ありったけ手を伸ばせば、届く。
 だけど身体が動かない。縫い付けられたみたいに、炎か刺さっている部分が少しも動いてくれない。もう少し……もう少しなのに、手が届かない。そして、

 バシュッ、という小さな音。

「―――ッ!?」
 伸ばした右手に、異変が起きていた。
 バリアジャケットが……欠け始めたのだ。
「な、なん、で」
 マッチに火を付ける時のような小さな発火音。それによく似たような音がする度に、白いバリアジャケットが……袖から欠落し始めていた。よく見ると、それはなのは自身だけではなく……フェイトのバリアジャケットも同様だった。パズルのピースが欠けるように、次々に小さく『分解』されていく。
 そして発火音が、不気味に頻度を増し始めた。
 身体のあちこちから音がする。炎が身体を舐め回すように、全身を覆うように発火音が続く。実際にバリアジャケットが燃えているわけではなかったが……自分の身を守っていた衣服が欠落していく様は、燃えているのと大差ない。
 それに寒さが……身体を駆け回る冷たさが、度合いを増していた。
「い―――あ、ああ、ぁああぁあああぁああっ!! や、やだ、やだぁああああああああああああ!!!」
 寒い。凍える。感覚がなくなる。自分の手足が、自分のものじゃなくなっていく。それが怖くて、訳もわからず叫んで、

 唐突に、どこか遠くで爆音がした。

 

「くそ! 一体どうなってるんだ! ランディ!! 結界の解析はまだか!!」
「ま、待ってください!! いま全力でやってます!! でも……な、何なんだよこの結界っ!」
「アレックス君! まだデータの解析結果出ないの!? 急いで!!」
「あんな5秒くらいのデータログじゃ解析できませんよ!! でも―――っ! 作戦領域に侵入してきたときの飛行魔法はベルカ式です! 間違いありません!!」
「べ、ベルカ式!? でも、あんな速度の飛行魔法なんて」
「絶対にベルカ式じゃありません!! この結界魔法は明らかに別モノです!! 構成プログラムそのものはミッド式に似てますけど―――くそ、振動波形が一定してません!! パターンが全然安定してない!!」
「け、結界、強度を増してます! 可視光すら弾き始めました!!」
「範囲も膨張しています! それに―――ウソだろ……結界周辺に重量場を感知!! この結界、重くなってます!!」
「ちょっ、な、何よそれ!?」
「結界周辺の大気に異常発生!! 熱量が急激に増加していきます!!」
「じ、重力場が反転しました! こ、今度は外側に向けて……斥力発生!? 同時に結界領域、さらに拡大しています!!」
「―――あーもう!! どうなってるのよ!?」
 時を前後して巡航艦アースラのブリッジは、完全な修羅場と化していた。
 作戦領域内に発生した異変を探知してから、未だ5分も経っていない。しかしその様相は5分前とは比べ物にならないくらいに切羽詰まっている。
 突然の結界出現と、それと同時に作戦領域外から高速で侵入してきた……謎の魔導師。
 それら全てはほぼ一瞬の出来事だった。まずは作戦領域からの映像、音声、その他諸々の通信が強力なジャミングを受けた。全員がその瞬間に「結界」という単語を思い描いたが、調べる間もなく今度は作戦領域外から高速で「何か」が飛来。魔導師だと誰もが思ったが出鱈目な速度にセンサーが追い付かず、何とか捕らえようと感度を上げ、しかし次は結界の強度が異常なほど増加。ジャミングなんて生易しいものではなくなり、ついには完全に切断されてしまった。……ここまで20秒あったかどうか。そして状況は、悪くなる一方である。
 発生した結界が、普通のものではないのだ。
 いくら調べても魔法体系すら判別できず、そして不気味に効果範囲を広げているこの結界は、調べれば調べるほど不可解極まりないものだった。外と中を隔てている壁はあまりに強固で、時間を追うごとにその堅牢さを増していく。最初は電波や思念を妨害するに留まっていたのに、侵入する熱や大気も遮断し、最後には可視光まで弾き始めている。そして一番わからないのが膨張していることだ。出現当初はなのはたちが見つけた建物を覆う程度だったのに、今では作戦領域の3分の2を占拠するまでに至っていた。
 結界という魔法にしては、あまりに異様だ。
 大体にして拡大していく意図が不明である。結界魔法と呼ばれるものは多くのバリエーションを持つが、大別すれば用途は2つに絞られる。中に閉じ籠るか、中に閉じ込めるか。この結界は明らかに後者に分類されるが、どちらにしても拡大していく理由がわからない。
 あまりに異様で、あまりに不可解な現象。アースラのブリッジにいる面々が殺気立っているのは、その結界の不気味さが要因の1つになっている。
 そしてもう1つ。
「―――っ、解析や状況分析はもう後回しでいい! なんでもいいから、とにかく内部との連絡手段を見つけろ! 最優先だ!! エイミィ!!」
「わ、わかってるってそんなこと!! でも術式が何なのか特定できなきゃ何もできないでしょ!!? アレックス君! 通信機の出力上げられないの!?」
「もう目いっぱいですよ!! でも光まで弾かれてるんじゃ、いくら信号の強度上げたって無意味ですって!!」
「な、なんだこれ……アースラからの信号、弾かれているんじゃありません! 結界の壁面に、吸収されてます!」
「は―――はぁ!? 何よ吸収って!?」
「ランディ! いいからお前は術式の特定急げって!! それがわからなきゃお手上げだ!!」
「あ、あのな、そっちの方がお手上げだっての! こんな結界見たことも聞いたこともないし、プログラムの構成言語の一部なんてデータベースにないんだぞ!? どうしろって―――」
「ケンカしてる場合じゃないでしょバカ!! 言語の一部はミッド方式なんだからそこを突くような対策考えて! 最悪音声だけでもいいんだから早くしなさい!!」
 これが、殺気立っている原因のもう1つだった。
 結界内部の状況が、まったくもってわからないのだ。
 高速で飛来した魔導師が結界内部に侵入したのは疑うまでもなく、だからこそブリッジにいる全員が焦っていた。これほど不気味な結界に侵入した謎の魔導師。口には出さないが、誰もが理解していた。
 この結界を張ったのは、その謎の魔導師で、
 おそらくそいつは、なのはと、フェイトに接触している。
 ……それを、あろうことか、バックアップであるはずの自分たちが何もできずにいる。焦燥しないはずがない。
 特にエイミィは、焦りが激しかった。
「えっと、ジャミングそのものはベルカの封鎖結界に近いんだから、1年前のデータを……ああダメだ、波長が全然一致しない。魔力の結合様式は…………もう! なにこれっ、第五三世界の南洋古代呪術に酷似? どうしろっての……。き、基礎構造はベジキニアの聖カルタスに似てるから…………ああもう! なんでここだけ言語が別に!」
「エイミィ! とにかくどんな手段でもいい! 可能性があるなら試せ!」
「んなこととっくにやってるってば!! さっきから保護対象の魔法体系のデータまで引っかき回して、あの妙な結界の壁面にぶつけてるの! でも全然効果ない!! 効果ないのよ!!」
 八つ当たり気味に叫んで、艦長席にいるクロノを睨みつけるエイミィ。だがすぐに視線を戻し、眼前のモニタとキーボードに全神経を注ぐ。その目は少しだけ、泣きそうになっていた。
 楽な仕事だと思っていた。
 簡単に終わる任務だと思っていた。
 こんなことになるだなんて、露ほども思っていなかった。
 だって、ロストロギアの回収だなんて今まで何度も行ってきた。作戦中に次元犯罪者に遭遇することだって間々ある。だけど今まで何とかなった。それに今回作戦を遂行しているのは、自分のよく知る……2人の優秀な魔導師だ。
 この2人は今まで、どんな困難にも立ち向かって、打ち破ってきた。そして自分はこの2人のバックアップを、今までずっとやってきた。
 こんなこと、初めてだった。
 何もできないどころか、解決策すら思い浮かばない。
 声をかけることも……2人を見守ることもできない。2人がどんな状況にあるのか、知ることさえもできない。
 自分の無力さと楽観さが腹立たしい。まだフェイトに……自分の妹分に、昨夜のことすら謝っていないのに。
「くそ……くそっ、なに考えてんの私……。集中しろ、集中しないと……助けないと……早く、何とかしないと……」
 そしてそれは、
「…………エイミィ、あとは任せる」
「待って待って! これ試してなかっ―――え?」
 クロノも、同じだった。
「艦は任せる。結界魔法の突破も引き続きな。僕は現場に向かう」
「な、ちょっ、クロノく―――」
「ここにいても仕方がない。僕は艦長代理だが、同時に……魔導師だ」
 こんなにも重たかったのか、とクロノは思う。
 艦長。……乗組員の命と責任を背負う、その名前。
 経験したことがないと言えば嘘になる。実際、この艦の本当の長であるリンディはもうすぐ船を降りることが決定し、代理としてその責務を背負ったのは……今回が初めてではない。
 だが、ここまで危機的な状況に直面するのは初めてだった。
 これほど複雑で不気味な結界を張れる相手。その人物に、自分のよく知る2人が接触している。もしかしたら……戦闘に陥っている可能性もある。そう考えたとき、揺れたのだ。
 艦長としての責務を果たすため、ここで指揮を執るか。
 魔導師として、現場に降りるか。
 ……いや、どちらも違うなと思う。
 なのはは、大事な友人だ。
 フェイトは、大事な……家族で、妹だ。
 どうも僕は、艦長に向いていなかったらしい。……だけど残念には思わない。
 助けたいのだ。艦長失格だと言われても。
 妹を助けないで……なにが兄か。
「こうなったら力押しだ。砲撃魔法で結界を破壊する。もし僕に何かあったら、構わずこの宙域を離脱してくれ。いいなエイミィ」
「ば、ばか! クロノく―――」
 そしてクロノが席を立ち、ブリッジを出ようと踵を返そうとした、その時だった。

「艦長!! 結界、強度が落ち始めました!!」

「え……ぇえ?」
「―――な、なに……」
 1人のオペレーターの叫びで、場の空気が一変した。
「どういうことだ! 状況は!?」
「結界の膨張、完全に止まっています! いえ、それどころか……ち、小さくなっていきます!!」
「壁面を構成していた魔力も減少しています! 重力場も、周辺の大気も、正常値に戻っていきます!! ど、どうして突然……」
「アレックス君!! 通信機のパワー上げて! 最大レベル!!」
「りょ、了解! 広域探査用第1、第2センサーの出力をレベル2までダウン! 通信装置……送受共にレベル6!!」
「結界の構成術式、縮小していきます!! これは……ミッド式! 介入可能です!!」
「ジャミング信号のパターン、逆算に成功!! 乱れはありますが、内部映像……受信できました! 音声も……よし! いけます!!」
「う、映せ! メインスクリーンにだ!!」
 慌てて艦長席に戻ったクロノが、身を乗り出して画面を凝視する。他の面子もキーボードを叩きつつ……正面のディスプレイに神経を向ける。
 そして大画面に、それが映った。

 膨大なノイズが走っていたが、
 確かにそれは、あの黒い建物の内部だった。

 灰色の砂嵐が激しく、画質もかなり劣悪だ。細部はおろか全体像を把握するのがやっとという、そんな映像。どうやらロストロギアの刺さっていた祭壇を映しているようだが、動くものは映っていなかった。
 そして音声も、何やらノイズが混じってる。大体にして音量そのものが低い。まともに受信できていない証拠だ。
「くそ、アングルが悪い……。別の映像は!?」
「現在受信できるのは、この映像と音声のみです! 他の映像を受信するには、もう少し結界の強度が弱まらないと……」
「音量上げて! 2人の無事を確認しないと!」
 エイミィの叫ぶような要求に応じて、小さかった音声が大きくなる。だが大きくなったのはノイズだけだった。途切れない音だけが、ブリッジに響き渡る。
「ああもう、全然受信できてないじゃない! フィルターかけてノイズを消して! アレックス君!」
 再びエイミィが叫ぶ。普段の様子から想像できないような激しさだ。だが今度は、
 エイミィの言葉に、オペレーターが応じなかった。
「……? ちょっと、アレックス君! 何してるの! ぼーっとしてないで、フィルターかけて!」
 再び叫ぶ。だが彼は大して反応を示さない。巨大なスクリーンを見上げて、そしてゆっくりと、エイミィのほうに視線を移し、

「…………最初から、かけてます」

 何か信じられないものを見たような目つきで、そう応えた。
「……え、」
 エイミィの、小さな声。それを最後に、ブリッジにいる全員が……声を潜めた。
 ――――――――――――――――――――――――
 相変わらず、受信される音声はノイズが酷い。だからこのノイズの向こうにあるはずの声を探すために、全員が声を殺した。
 唯一、彼……アレックスだけが、現状を把握している。
「……これで、フィルターかけてるの……?」
「…………」
 だから、アレックスは応えない。
 応えられないほど……驚いていたから。
 そして、
「…………な、なぁおい、これ……」
「……? あ、あれ、これって……」
 少しずつ、全員が何かに気付き始めた。
 だけど誰も、「それ」を確認しようとしない。もしかしたら、という想いに留まるのみで、まさか、という想いでその想像を上書きしていく。
 ――――――――――――――――――――――――
 そんなはずはない。これはノイズだ。
 まるで地雷原だった。誰かが踏むのを待っている。誰かが踏みそうになるのを待って、それは違うと……そう言う準備を、アレックス以外の誰もがしていた。
 だがやはり、これは唯のノイズではなかった。音の半分近くは確かにノイズであったが……別種の音が、混じっていた。
 そして次の瞬間、全員が、アレックスの到達した回答に行き着いた。
 途切れないその音は、

 ―――――――――――……ぁぁぁああ!! イヤ、ぁ―――ぁぁああああああっ!! なのは!! なのはぁ!! うぁあっ…………ああああああああああ!!!
 ―――――――――――……あ、ああ、ぁああぁあああぁああっ!! や、やだ、やだぁああああああああああああ!!! フェイトちゃん!! フェイ、ト……あっ、あああああああああっ!!!

「―――っ!?」
「……うそ……」
 雑音混じりだが、完全なノイズではない。
 小さな女の子の、2人分の悲鳴だった。

 
 そして、爆音が響いた。
「……っ。……?」
 グワンと、頭が揺れた。
 目が回っているが自分でもわかる。視野がいやに狭く感じる。唐突に寒気がなくなったが……身体の感覚は全然戻ってなかった。
 理解できることは、1つだけ。
 大きな爆発は、遠くで鳴ったように聞こえたけど……違う。
 自分を中心に、爆発したんだ、と。
 ……バリアジャケッ、トが……バージ、され……た……?
 一度だけ経験があった。戦っている相手の攻撃が自分の防御を全部貫いて、最後にジャケットに接触して、
 レイジングハートが自分を守るために、ジャケットの一部を爆散させて……衝撃を殺してくれたこと。その時と、よく似ている。
 だけど違うのは、レイジングハートがジャケットを爆破してくれたわけじゃないってこと。だって、
 左手に握っていたレイジングハートが…………待機状態に、戻ってしまっていたから。
 強制的に……バージ……され、て……。
「う……ぁ……」
 そこまで考えて、限界だった。
 なのはの身体から、完全に力が抜けた。
 いつの間にか消えていた炎の触手。支えるもののなくなった身体は、簡単に黒い床に落ちた。力なく、床に倒れる。
 側に、カツンという音。無い力をなんとか集めて、視線だけを音のした方向に向ける。
 ……赤い宝石が、そこにあった。
「レイジン、グ……ハート……」
 待機状態の……宝石の形状に戻ってしまったレイジングハートは、不定期に赤く発光していた。まるで痙攣しているように。
 その発光が、段々と、小さくなる。
「く……ぅっ」
 左手を伸ばす。彼女に触れるために。
 だけど、力がぜんぜん入らなかった。腕も脚も、自分のものとは思えないくらいに感覚がない。床に接触している部分は「触れている」と感じ取れるのに、それが冷たいのか、それとも熱いのか、認識することができない。
 唐突に、背後で何かが落ちる音がした。同時に、
「ぐ…………ぁ……」
 よく知る人物の、か細くて力ない声が聞こえた。何とか首に力を入れて、後方……足元を見る。
「……っ! フェイト、ちゃん……」
 大切な……とても大切な親友が、さほど離れていない距離に、倒れていた。
 フェイトのうつ伏せに倒れた身体は、ぴくりとも動かない。なのはと違って、完全に意識を失っているようだった。
「…………ん、ぅ…………。フェイ、ト……ちゃん……」
 右手を、伸ばした。フェイトの右手に向けて。
 だけどやはり、伸ばす腕に感覚がない。力も入らない。まともに指を開くこともできず、フラフラと揺れ、力を込めようとするとガクガク震える。
 負けたんだ……と思い、だけど悔しくはなかった。怖くもなかった。ただ……焦りに似た感情だけ、胸の奥で暴れていた。
 彼女だけは、助けないと。
 私の親友で、大好きな友達で、とても大切な人。
 自分はどうなってもいい。だけど彼女だけは、どうにかして、助けないと。そう思って手を伸ばす。わかってる。手を伸ばして触れたからといって、彼女の手を握ったとしても……どうにもならないことはわかってる。自分の状況は自分が1番よくわかっている。
 さっきの攻撃がどういった類のものなのかはわからない。だけど感じるのだ。
 自分の体内の魔力が、限りなくゼロに近い。それを証拠に、さっきまで自分の身体を守ってくれていた防護服が……なくなっていた。視界の隅に映る自分の姿は普段着に戻っているし、視線の先にあるフェイトの姿だって、バリアジャケットは影も形もない。黒い上着に白いスカート。出動前までの、彼女の普段着だ。
 フェイトも自分も、魔力が完全に尽きている。もう……完全敗北だ。今から状況をどうこう出来る力は残っていない。
 だけど……だけど、諦めるわけにはいかない。
 守らないと。
 助けないと。……フェイトちゃんだけは。
「……モード、ロッド1」
《Yes master. Mode “ROD1”》
 視界には映っていない、頭の上の方で……聞き慣れない声がした。それと共に、なにか金属が擦れ合うような音。
 ……っ! あ、あの子、だ……。
 途端に、先ほどまでの恐怖が戻った気がした。無理やり魔力を吸われて、苦しくて、寒くて、頭がどうにかなってしまいそうになった時に感じた……あの恐怖が。
 ……っ…………く、ぅ……っ。
 手を伸ばす。怖かったが、怖がっている場合じゃなかった。もうフェイトを助けようとしているのか、それとも自分の心を安定させるためなのかわからない。だけど……だけど握りたかった。
 力なく、もう動く気配もないけど、小さなあの手を。
 その時、視界の隅に紅い靴が見えた。
「―――」
 よく……知った靴だった。色は違ったが、間違いなく……自分が防護服を着ているときの、あの靴だ。
 その靴の持ち主が、フェイトが倒れているすぐ側で立ち止まる。心臓が止まる想いがした。まさかフェイトちゃんに、何かするつもりじゃ……。
 だがなのはの予想は、外れた。
「……これは、もう必要ないね」
 小さな呟き。それと共に脚が片方動き、

 フェイトのすぐ側に落ちていたロストロギアを、
 躊躇なく、踏み潰した。

 バギン! という派手な音が鳴り響く。
 青く、脆そうな印象を持っていた古代の剣は、呆気ないほど簡単に折れてしまった。
「……やっぱりオリジナルより強度が低い。データだけじゃ、これが限界か……」
 侮蔑するような静かな声。その温度の無さに……自分の声に、少し驚く。
 私って……こんな声、出せるんだ……。
 まるで他人事のような感想が脳裏を掠める。次々に起こる不可解な現象に、あれ、現実逃避……してるのかな、なんて思う。
 全部が、出来の悪い夢のようだ。
 真っ黒な部屋なのに、どこか明るい不思議な空間。
 自分とソックリで、だけど完全に別人の、紅い女の子。
 圧倒的で、理解不能な、その魔法。
 本当に、ぜんぶ悪い夢のように感じた。手も足も出せずに床に沈む自分と、意識なく倒れている、大切な人。……夢だと思わないと、壊れそうだった。
 だけど……やっぱり夢じゃないんだと、理解してる自分がいる。自分の性根の太さが恨めしい。
 こんなときくらいは現実逃避したいのに、
 心のどこかで、拒絶している自分がいた。
 これは間違いなく、目の前で起きてる現実なんだと、理解している自分がいた。
「……結界、残り時間はどれくらい?」
《残り約90秒ですが、既に内部情報が外に流出しています。急いでください》
「……。ん……」
 また視界の外側で声がした。目線を上に向ければ見えなくもないと思うのだが、目線を動かす力も残っていない。
 今はただ、暴力的なほどの脱力感が身を覆っている。意識を手放したいと……眠りに落ちたいと、身体が訴えているのがわかる。だけど、

 不意に、
 フェイトに伸ばしたはずの手に、感じなかったはずの「温かさ」を感じた。

「……え……」
 眠りそうになる意識を、なんとか押し留める。そして伸ばした手を見た。
 紅い防護服を着た少女が、床に膝を付いて……なのはの右手を握っていた。
 決して強くはない。壊れものでも扱うように……優しく、包みこんでくれていた。
 そして紅い女の子は、握った手を少しだけ動かす。

 導かれるように、
 なのはの右手が、フェイトの手と重なった。

「…………」
 フェイトの手は、思っていた以上に暖かかった。なのはの目に、不意に涙が浮かぶ。だけどなのはには判断できない。
 自分のその涙が、フェイトの手の温もりに反応したものなのか、
 それとも……。
「心配しなくても大丈夫です。初撃は手を抜きましたし、3番アンカーによる攻撃は対人用じゃありません。……少し、気を失っているだけです」
 優しい言葉。自分の声とソックリだったが、それは完全に別の人の言葉だった。
 あなたは、
 一体……誰なの……?
「……」
 紅い女の子は、今度はなのはの手の甲を覆っていた手を滑らして、フェイトの手の甲をそっと撫でた。そして、

「              」

 小さな声で、何かを囁いた。
「―――え、」
 その言葉に、瞬間、すべての思考が麻痺した。
 何で、どうして……。そうなのはが声をかけようとするが、彼女が声を発する前に、紅い女の子は立ち上がって背を向けてしまった。出口に向って歩き出してしまう。
「ま……待っ、て……。あ……あなた、は……」
 その背中に向けて、必死に声をかける。だけど身体には暴力的なほどの、疲労と眠気が襲ってくる。
 小さくて紅い背中が、どんどん小さくなっていく。それと共に、なのはの視界も狭まっていく。……意識が保てない。
「おねが、い…………。ま……って…………あな、た……は……」
 訊きたいことがある。訊かなければいけないことがある。
 だが、それがなのはの口から出る前に、
 意識が、闇に落ちた。

 
 あなたは……私、なの?

 

「……」
『大丈夫ですか、マスター』
「そんなわけないよ。……こんなこと、本当はしたくない」
『……。マスター……』
「でも…………ん、わかってる。理解してる。今しないといけないこと、今するべきこと。……全部わかってる」
『……』
「次に行こう。アースラの索敵範囲はどれくらい?」
『……。この地点を中心に半径2キロ程度をカバーされてます。追跡されるでしょうから、転送は10キロ以上離れた場所で行うべきですね』
「30キロ近く飛ぼう。飛行制御は私がやるから、そっちはステルスエフェクター動かして。……次が本番だ。資料見る限りだと大したことないけど、相手が相手だしね」
『計算ではマスターが勝つ確率が92パーセントと出ました。問題などありません』
「…………はぁ……」
『―――な、何でそこでため息を出すんですか』
「あのね……いつも言ってるでしょ。勝率なんて無意味だよ。勝敗なんて石ころ1つ意志1つ、偶然1つで変わるんだから。余裕もありすぎると油断になるんだし、それに…………信じてよ。勝率なんて計算しなくても、あなたの主は負けたりなんかしない、ってね」
『……そう、でしたね……。ええ、そうでした。あなたは、負けたりしません』
「ん、その調子。……それじゃ、行くよ」
『はい!』

 
「……け、結界の強度、急激に弱まっています。効果範囲も……縮小しています」
「建物の内部映像……すべて受信が可能なレベルに到達しました。画像の解析度はまだ不安定ですが……」
 どこか覇気のない声だけが、アースラのブリッジに響く。
 数分前までその場を支配していた大音量は、今はもうない。それは、何かが終わった証でもあった。
「……全映像を、スクリーンに。画像、音声、周囲の状況全てを漏らさず記録してくれ」
「は、はい」
 どこか感情を抑えるようなクロノの言葉に従い、地表から送られてくる映像すべてがメインディスプレイに表示される。
 やはり、画像は鮮明ではなかった。
 ノイズが酷すぎるのだ。色の識別すら困難な映像もあれば、何を映しているのか判断できないものまである。しかし少しずつ、砂嵐のような乱れが解けていく。そして、
「―――なっ」
「う……ウソだろ、おい……」
「……っ」
 全員が、言葉を失くした。
 いくつも表示されたウィンドウの中に、見つけてしまった。
 ―――黒い床に力なく倒れている、2人の少女の姿を。
「………………フェイト……ちゃ……」
 本当に、何の力もなさそうに見えた。
 2人の身体を守っていたはずの防護服は消え失せ、通常の普段着に戻っている。
 2人の手の側には、待機状態のデバイスが転がっている。
 2人の手は、交わっていても、力なく。
 2人の身体は、ピクリとも動く気配がない。その光景に、
「……フェイトちゃん!! なのはちゃん!! お願い、返事して!! 聞こえてるでしょ!!? フェイトちゃん!!! なのはちゃん!!!」
 最初に、エイミィがキレた。
「え、エイミィさ―――」
「2人とも!! お願いだから返事してよ!!! …………返事をしてぇ!! フェイトちゃん!!! なのはちゃん!!!」
 怒鳴り散らしながら、彼女は泣いていた。
 普段の彼女からは想像もできない。あらん限りの声を上げ、壊さんばかりに手元のキーボードを殴り、ぐちゃぐちゃの顔で……映像に向って叫んでいた。
 悔しくて仕方がない。
 悲しくて狂いそう。
 私は、
 何も……できないの?
「……何してるのよみんな!! はやく2人のとこに救援出して!! 急いで!!!」
「あ、は、はいっ!」
 エイミィの一括で、ブリッジにいたほぼ全員が我を思い出した。食い入るように見つめていたメインディスプレイから目線を外し、一斉に自らのキーボードを叩き、
 ただ1人だけ、未だ画像の群れを見つめていたクロノが、叫んだ。
「一番右下の画像を拡大表示しろ!!」
「え……あ、あの、クロノ艦長」
「なに言ってるのクロノくん!! 今は2人の救援が最優せ―――」

「何か動いてる! 敵だ!!」

 敵。
 その言葉で、全員の動きが加速した。
「5番映像、拡大します!」
「武装局員に出動準備を通達! 転送ポートの準備……3分以内に可能です!」
「受信信号の解析開始!! ノイズ、残り71パーセント!」
「建造物周辺のサーチ終了、魔力素の分布をトレース! 追跡プログラム準備完了! あとは敵さえ捕捉すれば、いつでも追えるっ!!」
 エイミィだけではない。全員、悔しかったのだ。
 いくら資質があるとはいえ、任務に向かったのは……10歳の女の子で。
 もう2年近い間、この船で行動を共にしてきた『クルーの一員』。家族も同然だった。エイミィだけではないのだ。
 悲しんでいたのは……怒っていたのは、全員同じだ。
「ノイズが濃すぎる! どうにかならないのか!!」
「まだ結界が解除されていません! これでもコンピューターの解析速度は最大です!」
「ノイズ、残り59パーセント! 55……50パーセントにダウン!!」
「謎の結界、術式は未だに判明しませが、予測では約8分後に効力を失います!」
 嵐のような状況報告の中、拡大表示された映像の光がブリッジを埋め尽くす。ノイズの乱れは酷かったが、確かに何かが動いていた。
 黒く、しかし明るい建造物の中。小さな人影が、少しずつ遠ざかっていく。
「これ、なのはちゃんの……この映像、レイジングハートからの信号です! 術者からの魔力ではなく、圧縮魔力の残滓を利用して―――いつ途切れてもおかしくない!」
「何とか信号を増幅して! 切れるかどうかなんて考えなくていい! なのはちゃんのデバイスなんだから、絶対に最後まで途切れたりなんかしない!!」
「レイジングハートからの信号を全て記録しろ! ノイズの除去はまだか!!」
「残り42……くそ、処理速度が落ちてます! 解析不能の謎の構成言語がまだ結界を維持してます!! ノイズの完全除去は…………最短でも5分後!!」
「くっそぉ!!」
 ダンッ! と激しい音がブリッジに響く。クロノが艦長席のデスクを叩いた音だった。
 5分。たった300秒という短い時間は、今は待つには永遠にさえ感じる長い時間であり、何かを講じるには少なすぎだ。
「敵の姿だけでも何とか見えるようにしろ! アレックス!!」
「待ってください!! 妙な魔法体系は全部無視して……これなら、どうだ!!」
 オペレーターの1人が激しくキーボードを打ちつける。それが功を成したのか、

 一瞬、画像を乱していた砂嵐の、大半が晴れた。

「――――――な、」
「……え……?」
 全員が、今度こそ、絶句した。
 静まり返るアースラのブリッジ。響くのは、未だに消えないノイズが鳴らす、耳障りな砂嵐の音。
 巨大なメインスクリーンに映し出された映像は、まだ完全にノイズが晴れてはいなかったが、全体像は掴めるくらいに解析度は上がっていた。
 真っ黒な床と、真っ黒な天井と、細い窓から入る光と、散乱する机と椅子と、
 出口に向かう、『誰か』が映っていた。

 血のように赤い、見覚えのある防護服。
 見覚えのない、銀色の、長い杖状のデバイス
 見覚えのある背格好。見覚えのある黒いリボン。
 見覚えのある、栗色の短いツインテール。

 バタンと、扉の閉まる音。それと共に、紅いシルエットが建物から出ていってしまう。
 同時にノイズの濃度が増した。何も映し出さなくなってしまう。
「……レイジングハートからの信号、途絶えました……」
 オペレーターの、力ない声。驚愕の色が濃い。
 それは、その場にいた殆どの人間が同じだった。呆然と、砂嵐しか映し出していない画面を見つめている。
 考えも、同じだった。
 あの防護服は……。
 あの髪形は……。
 あのリボンは……。
 ただ1人だけ、別の結論に達していた人物がいた。
 エイミィだ。

「………………ファン……トム……?」

 亡霊。
 その単語が発せられた後、2人の救援のために皆が動き出すまで、ずいぶんと時間を要した。現実を認識できないでいたからだ。
 まるで出来の悪い夢のよう。
 誰もがそう思い、だけど夢では決してなかった。
 なのはとフェイトが救助され、アースラに収容されたのは……それから10分も後になってからだった。

 

 なのはと一緒に過ごす 2度目の冬
 1年前と同じように始まる 突然の戦いと 謎の敵との接触
 だけど私は 1年前とは違う
 大切な人がいる 守りたい人がいる 笑って 側にいてほしい人がいる
 だから戦う 彼女を守るために
 だけど     だけど
 あなたは 誰?

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 ……なのは、なの……?

...To be Continued

 
 


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