魔法少女 リリカルなのは AnotherS

 

 

  第1話 異変は遠く

 
 最初の異変は誰にも知られることなく、空間の割れ目で起きていた。
 虹色に光輝き、グネグネと周囲の空間が歪む、生き物の存在を許さない場所。空間と時間が極度に曖昧な海の中に、誰かが漂っていた。
 見た目は10歳くらいの小さな女の子である。
 栗色の髪は頭の両サイドで、細いリボンに結わえられていた。短いツインテールが空間の揺らめきの中、風に舞うようにフワフワと踊っている。服装は黒一色だ。頑丈そうなズボンはサイズが大き過ぎてブカブカで、だが上半身を包んでいるのは肌に貼りつくような、光沢のない長袖のシャツ。その少女は意識がない状態で、次元の海を漂流している。
 普通に考えれば、それは唯の遺体だ。
 この空間には空気が存在せず、重力も存在せず、大体にして物理法則が成り立たない。「世界」と「世界」の間に位置する次元の海は、生身の人間が漂流できる空間ではないのだ。本来なら形を留めておくこともできない。
 しかし、少女の身体は伸び縮みする空間に干渉されていない。彼女の周囲だけはなぜか、空間の伸縮から切り離されていた。
 その少女の周囲に、変化が現れ始める。虹色の光が白い光に打ち消され、時空の波を押し退けていく。

 突然、パキンという音。

 あまりに呆気ない小さな音。それだけで、全てが一変した。
 周囲を包んだのは幾億もの小さな星々。頭から落下を開始する少女の向う先は、あまりにもきれいな青と緑の惑星。
 ―――地球だ。
「…………ん……」
 眠っていた少女が小さく声を洩らす。本来なら生きていけるはずもない空間を漂っていたというのに、彼女は生きていたらしい。
「到着、したの……?」
 目を開き、周囲を見渡し、落下する身体をそのままに、眠たそうな声を紡ぐ。周囲には応えてくれそうな人間などいないというのに、
『はい。10秒前に通常空間へ脱出できました。身体チェック開始……。あなたも私も損傷はありません』
 誰かが少女に、応えていた。
「ここが、第九七管理外世界?」
『待ってください。……星図確認終了。間違いありません。『天蓋の敷石』による転送も正常に働いています。目標地点へのゲートアウトは50秒前。跳躍成功ですね』
「……みんなを、裏切っちゃったね」
『―――皆さん、わかってくれます。たとえわかってくれなくても、結果がすべてを解決してくれます』
「結果がどうなっても、私がしたことは変わらないよ。みんなを戦場に残してきたことに、変わりない」
『……。たとえそうであっても、私は最後まで付き合いますよ。あなたが誰に恨まれても、蔑まされても、最後まで私はマスターの味方です』
「……ありがとう」
 静かに感謝の意を述べて、瞳を閉じる少女。その間にも落下は止まらない。音速すら超えた速度で青と緑で埋め尽くされた世界に近づいていく。だが通常空間であるはずなのに、物理法則が成り立っているはずなのに、不思議と空気摩擦による発火の気配がない。とうに大気圏には突入しているというのに、
 白い雲の切れ目に、少女の身体が滑り込む。
「もうすぐ、会えるんだね」
『はい。作戦準備に170時間ほど必要ですが、それが済めば、すぐにでも』
「……嫌われる、かな」
『それを承知で来たのでしょう? あなたは』
「……。ん、そうだったね」
 何かを決意したのか、再び少女が瞳を開く。
 真っ直ぐ、落下する地点に目線を向ける。落下速度が落ちたのか、周囲の景色の変化が遅くなっていた。
 青い海と青い空。大地には、背の高い建造物。
 その都市の名は海鳴市。
 瞳に宿るのは、強い意志と、固い決意。
「それじゃあ…………がんばろう。母さんを助けるよ」
『任務了解、戦闘起動始めます。バリアジャケットはどうしますか?』
「ヴァージョンA。ゲートアウトと同時に結界を展開、通常空間と位相をずらしてステルスエフェクター全力起動。気付かれるわけにはいかないしね。……できる?」
『たとえ無理でも可能って答えますよ。エフェクター起動準備に入ります。マスター、コマンド入力を』
「うん」
 ひとつ頷き、少女は左手で自分の襟元を握る。途端に握った服の奥底で、何かが光を漏らし始めた。
 それは『魔法』を行使するものが、己が武装を纏う眩い兆し。
 少女が、己が『デバイス』に応える。

「…………セットアップ」

 それは、まだ誰も気付いていない来訪の瞬間。
 時空管理局と呼ばれる、数多の次元世界を監視する巨大組織すら気付けなかった、始まりの瞬間。
 管理局の目があまり行き渡っていない、『魔法』の存在もあまり認知されていない世界の、極東の国の地方都市上空に、
 10歳くらいの少女が、地球と呼ばれる世界に降り立つ寸前の姿だった。

 その最初の異変より数日後。海鳴市藤見町の、とある民家で。
「…………ん……うぅ……」
 1人の女の子が、自室のベッドで丸くなっていた。
 寒さが身に染みる十一月下旬、海鳴市の朝の気温は段々と低くなっている。それは屋内であっても例外ではなく、少女が眠っている部屋もけっこう寒い。
 そのせいなのか、それともそのスタイルが基本形なのかは定かではないが、少女は足の指先から頭の先まで布団の中に潜っていた。一見すると丸まった布団がベッドの中央に鎮座しているようにしか見えない。ときどきモソモソと動くことと、小さな寝息が聞こえなければ、本当にただの布団の塊だ。
 その塊の中から、電子音特有の甲高いメロディが鳴り始めた。少女が持っている携帯電話の音色だ。
「ん……ぅん〜〜……」
 塊がモソモソと動き出す。しばらく動いたあとメロディが止まり、ぽいっと何かが塊から吐き出された。
 携帯電話だった。律儀なことに、電源が切られている。
「あ、と…………あと、3分……」
 誰に向って呟いているのか、すさまじく眠そうな声が布団の塊から漏れる。あと3分寝たところで何かが変わるわけでもなかろうに、しかしすでに二度寝の寝息が塊から漏れていた。
 だけど少女にとって、二度寝は叶わぬ夢である。
《Good morning my master. ……Master》
 少女の部屋にある勉強机、その上に置かれていた真紅の宝石が、輝きながら言葉を発していた。
 喋る宝石。……普通に考えれば、天変地異に似た驚愕の現象である。
「……ご、めん…………。あと3分……3分だけ、寝かせて……」
 だが少女にとっては当り前の現象らしい。驚きもしないし、飛び起きたりもしない。布団の塊から出てくるのは睡眠の催促だけだ。
《Master. Good morning master》
「うぅ…………お願いぃ……せめて、あと1分……」
《Master》
「……」
《Master》
「…………」
《……Master》
「―――わ、わかった。起きる、起きるよレイジングハート。だからそんな、冷たい声で起こさないでよ……」
 ついに観念したらしく、布団の塊の中から、宝石が『主』と呼ぶ少女が姿を見せた。
 肩口より少しだけ長い髪は、現在は少しだけ寝癖が飛び出していた。いつもなら頭の両脇にリボンが付いているが、昨晩は外して就寝したらしい。意志の強そうな大きな瞳も、今は眠気で半分も開いていない。
 要するに、そんなに寝ていない状態だった。完全な寝不足状態である。
「ふぁ……。うぅ、まだ眠いよ〜……」
《昨日の帰宅時間は11時を過ぎていました。仕方がないでしょう》
「うん。それはそう、なんだけど……」
 フラフラしながらベッドから降りて、寝間着から普段着に着替え始める。頭が左右に揺れ動く様は、どう見ても危なっかしい。
だが、あるものを見つけて頭の揺れがピタリと止まった。慌てて掴み、もう一方の手で目を擦って視界を良好にして、電源を入れて、叫んだ。
「―――ろ、6時半!!? な、なな、なんで!!?」
 携帯電話の液晶画面は、正確に現在の時刻を表示していた。
 朝の6時32分。彼女にとっては大寝坊だった。
「あ、あれ? でもでも、どうして!? 昨日は4時半に、しっかり目覚ましセットしたのに!」
 少女にとっての1日は、日曜祝日以外は大抵、朝の4時半から始まる。
 これは普通の小学4年生にしてはあまりに早い。小学校の登校時間までは優に4時間以上あるし、大体にしてこの寒い季節、そんな時間に起きても太陽すら昇っていない。そんな時刻に起きて何をするかといえば、
 ―――そこが彼女にとって、普通の小学4年生と比べると『普通ではない』部分に該当する。
《昨夜の就寝時間を考えると、本日の早朝野外訓練はマスターへの負担が大きすぎると判断しました。よって本日の訓練は中止です》
「……え? い、いいのレイジングハート? 今日、朝練お休み?」
《はい。訓練より、ご友人との時間を大切にすべきだと判断しました》
 ご友人というのは、少女の親友のことだ。
 少女の昨日の帰宅時間が遅かったのは、その親友の家に遊びに行っていたからである。もともと長居する気はなかったのだが、家にお邪魔すること自体が久しぶりで、楽しくて、ついつい話し込んでしまったのだ。
 要するにこの真紅の宝石は……毎朝日課としている訓練よりも、その親友との共通の時間を優先すべきである。だから昨晩のひと時を、訓練時間から削る、と言っているのだ。
 その想いは正しく、少女に伝わったらしい。
「……ありがとう、レイジングハート。やっぱりレイジングハートはやさしいね」
 優しく笑って、感謝の意を込めて、机に置いた宝石を少しだけ撫でる。呼応するように、宝石は赤く輝いていた。
 と、そこで少女に疑問が生じる。
「? あれ? じゃあさっきの目覚ましって……」
 つい先ほど電子音を鳴らした携帯電話を見つめ、首を傾けつつ思案する。
 鳴ったと思ったんだけど……。だけど私は4時半にセットしたし、当然だけどレイジングハートには腕がないから、設定だって変えられないし……。
 なんで鳴ったんだろう?
《その機器でしたら、通常通り4時30分に電子音を発していました。マスターは起きませんでしたが》
「ふぇ? わ、私、起きなかったの?」
《はい。かなり熟睡していましたし、先ほども言った通り今日の訓練は中止にする予定でしたから、改めて私が声をかけることもしませんでした》
「……。レイジングハートが設定を変えた、わけじゃないんだよね?」
《私にその機器を操作する機能はありません》
「そ、そうだよね。じゃあさっき、なんで……」
 不思議そうに首を捻りながら、携帯電話を操作して設定状況を確認し始める少女。どうも目が覚めた直後なので、まだ本調子ではないらしい。
 携帯電話が鳴る意味など、本来は1つしかない。
「あれ、着信履歴が…………着信!? うわわ、誰から―――っ! フェイトちゃん!?」
 履歴に表示された名前を見て、途端に少女の脳裏に昨日の出来事が蘇った。
「そ、そっか、昨日の夜、明日は一緒に登校しようって約束して…………た、大変!! いま何時!?」
 ……。まだ寝惚けているらしい。
《6時33分です。昨晩の話では、合流予定時間は―――》
「うわわわわ! わ、私まだ着替えてもいないのに! せ、制服! リボン! ハンカチは〜……あった! それにカバンは……あ、あれ!? ない!!」
《―――……。落ち着いてください、マスター。カバンはベッドの下です。それに昨晩の話では》
「あったあった! ありがとレイジングハート! 待ってね、すぐ着替えるから! よ……っと。ああでもリボンとかは……ああもう、歩きながらでいいや!」
《……マスター、聞いてください。昨晩の》
「んーっと、たぶん忘れものなし! それじゃあ行くよレイジングハート!」
《あの、マスタ―――》
 言うが早いか、大慌てで着替えた少女が机の上の宝石を電光石火で掴み取る。頭の中にあるのは、待たせている友人の想像図のみだ。
 まるで体当たりでもするように自室のドアを開き、勢いそのままに廊下を出て階段を降りる。その間も宝石は何かを訴えていたが、彼女に聞いている余裕はこれっぽっちもなかった。
 宝石が言いたかった事柄は、昨日の約束の詳細である。
 待ち合わせ場所は、お互いの家から同じくらいの距離にある交差点。待ち合わせの時間は、
 ―――午前8時。
 寝惚けている少女が本当の意味で起きるには、もう少し時間がかかりそうである。

 高町なのは。
 それが少女の名前である。海鳴市の私立聖祥大付属小学校に通う、小学4年生の、ごく普通の女の子だ。性格は真面目で、たまにおっちょこちょいで、でも曲ったこととか悪いことは嫌いで、とにかく真っすぐな少女。得意科目は数学で、苦手科目は社会などの文系と体育。……どこにでもいそうな、本当に普通の女の子である。
 ただし『普通でない』部分も存在する。喋る宝石と対話していたことが何より証明しているだろう。
 ―――実は彼女、『魔導師』と呼ばれるカテゴリに分類される。
 「魔法使い」、「魔法少女」と呼び変えても語弊はない。呪文を唱えて、他人にはできないような『魔法』を使うことができるのだ。
 その証と評していい存在が、彼女と話していた真紅の宝石、レイジングハートである。見た目はキレイな宝石だが、もちろんただの宝石ではない。言葉を話す時点で鉱石ではないのは明白であろう。宝石という分類ではなく、『彼女』は『インテリジェントデバイス』と呼ばれるものに分類される。
 自我を持ち、思考でき、所有者を自らの意思でサポートする……この世界から見れば常識外の、魔法演算補助装置。
 偶然で手に入れた神秘の力。強くて、頼もしくて、悲しさや寂しさ、不幸な運命を打ち破ってくれた……大切な力。それを彼女が手に入れたのは、もう1年以上も前の話だ。
 大切な人ができた。
 守りたい人ができた。
 守れる力を、自分は持っていた。
 ……だけど彼女は、まだ気付いていない。異変は彼女の周囲から遥か遠く、まだ兆しすら現れていない。平和な毎日がずっと続くと彼女も思っていたし、周囲の人たちもそう思っていた。
 しかし異変は確実に、
 平和な日々の何気ないところで、見え隠れしていた。

「うぅ……」
 で、その魔法少女はというと、
 朝の慌ただしい騒動から数時間後。学校の教室で自分の机に突っ伏して、自己嫌悪に沈んでいた。
「えっと、なのは。その……あ、あんまり気にしないほうがいいよ。すぐに指摘しなかった、私も悪かったし」
「……ううん、フェイトちゃんは悪くないよ……。悪いのは、慌ててた私だし……」
 なのはの後ろでは、彼女の落ち込みようをどうにかして励まそうとしている友人がいるのだが、完全に意気消沈しているなのはには振り返ることもできない。
 結果からいって、勿論なのはは約束の時間に間に合った。あれだけ早く家を出れば当然だろう。間に合わないほうがおかしい。
 だから彼女が自己嫌悪に陥っている理由は、時間に関係した事柄ではない。
「うぅぅ……。穴があったら入りたい……」
「そんな、大袈裟だよ。朝早かったし、私以外はたぶん、誰も見てないよ」
「……。うぅぅぅ……」
 友人の気遣う言葉は、だけどなのはにとっては逆効果だ。
 待ち合わせ場所の交差点には問題なく到着できた。ただ問題ないと思っていたのはなのはだけで、問題はけっこうあったという話である。友人に指摘されて初めて気付いた。
「私、もうお嫁にいけないかも……」
「だ、だからなのは、私以外は誰も見てないし、もし見られちゃってても誰も気付かないよ。心配ないって。遠くからみたら全然違和感なかったし、その…………た、たぶん大丈夫」
 なんと彼女、朝慌てていたのが災いして、
 ―――制服のワンピースを表裏逆にして待ち合わせ場所に現れたのだった。女の子にとっては最大クラスの恥である。
 それに、何が一番恥ずかしいかというと、
「……。見られた……」
「だ、だから、たぶん誰も見てないよ。朝早かったし」
「…………。フェイトちゃんに、見られちゃった……」
 そう、それがなのはにとっての致命傷だった。
 先ほどからなのはを励ましてくれている少女、名前をフェイト・テスタロッサ・ハラオウンという。金色の長い髪が印象的な少女で、その髪は現在はリボンでツインテールにまとめられ、教室の窓から入る朝日で輝いている。彼女も実は『魔導師』で、なのはが魔法と出会うのと同時期に知り合った、今では一番仲のいい親友だ。
 その大親友に朝っぱらから、今年1番といっても過言ではないような恥ずかしい場面を見られてしまった。
 見ず知らずの誰に見られたかもしれないとかスカート裏表が逆とかいう話以前に、彼女に見られたという事実のほうがなのはにとっては重大だった。
「え? ……えと、私?」
「ぅううぅぅっ……。フェイトちゃんに……よりによって、フェイトちゃんに……」
「え、え? あの、なのは?」
「……―――。フェイトちゃん!」
 と、何を思ったのか、突然なのはが机から身を起こした。その瞳は、恥ずかしすぎて何やら輝くモノが滲んでいる。
「わっ、え、な、なのは?」
「今朝のことは心のずーっと奥のほうに仕舞っておいて! で、できれば忘れて! お願い!!」
「う、うん。別にいいけど……」
「ああでも、見られちゃった事実は変わらないから……うぅ……うぅ〜……」
 頭を抱えて悩みながら、ああでもないこうでもないとブツブツ呟き始める。そしてしばらくすると思考の無限ループから無理やり脱出し、フェイトの両手をがしっと掴んで、
「フェイトちゃん!」
「っ、な、なに?」
「いざとなったら、私をお嫁に貰って!!」
 高町なのは、混乱のピークであった。
「――――――、え?」
「だってだって、あんな恥ずかしいところ見られちゃったらもうそれしかないんだもん! いざとなったら私をお嫁に貰って! お願いフェイトちゃん!!」
「な、な、なな、なのは、その、いい、言ってる意味、わかってる?」
「……だめ?」
「ダメじゃない」
 即答だった。今度はフェイトが混乱のピークを迎えているらしい。自分で言った言葉にすぐさま顔が赤くなる。
「あっ、その違、いや、えっと、おお、お嫁さんとかそんな、だって私たち女の子同士で、だ、だからその」
 自分で何を口走っているのかわからず、とにかく潤んだ瞳で見上げてくるなのはの視線から逃れようと、じりじりと後退を始めるフェイト。これ以上見つめられると何を答えてしまうか自分でもわからないと自制心を働かせ、わ、私なに考えてるんだと自問自答して、それでもなのはは手を放してくれず、なぜか距離が縮まって、心拍数が上がり、
 だから気付かなかった。

 そんなに離れていないところから、
 ドサッ、と何かが落ちる音。

 凄まじく嫌な予感がした。フェイトがゆっくりと音がしたほうに目線を向けると、
「な……な、な……」
「―――なのはちゃん、大胆……」
 なのはとは別の、2人の友人が教室に入ってくるところだった。双方とも絶句している。
「っっっっ!!? あ、アリサ!? すずか!!?」
 事の重大さに気付いて思わず叫んでしまう。が、両手はまだなのはの手を握ったままだ。
 事情を知らない者たちから見れば、それは結婚を約束する恋人同士以外の何者でもない。
「ち、違うのアリサ! すずか! こ、これはなんていうか、な、なのはが少し混乱してて」
「――――――なに朝っぱらからやってんのよ2人ともーーーーーーーー!!!」
 アリサの絶叫は、4つ隣の教室にまで響いた。


「はぁ……。ったく脅かさないでよ。ついにフェイトがなのはのことを口説き落としたのかと思ったじゃない」
「……。アリサ、私のこと、いつもどんな目で見てるの……」
「でも、ホントに驚いたよ、私。心臓が止まるかと思っちゃった」
「あ、あはは……。ご、ごめんね2人とも。今朝はその、いろいろあって……」
 そして朝の騒動からさらに数時間後の昼休み。学校の屋上で、苦笑いを浮かべながら素直に頭を下げるなのはの姿があった。その謝罪に意味があるかどうかは別だが。
 あの後、それはもうクラスメイト全てを巻き込んだ、壮絶な大混乱が生じた。
 大声で絶叫しながらフェイトを威嚇攻撃するアリサは、今度は標的をなのはに変更して尋問を開始。「友達以上恋人未満の境目」だとか「同性結婚は別の国では火あぶり」などというわけのわからない説明を繰り返しつつなのはを問い詰め、そんな知識など一切ないというか状況が1番よくわかっていないなのははトンチンカンな返答をしてしまい、さらにその答えをアリサが誤認。混乱と世の中の不平等さにブチ切れ、ついに大爆発してしまった。よせばいいのに気の利くクラスメイトが「あの2人、朝はなんかずっと一緒に話してたよ。スカートがどうとか言って」と証言して火に油、「す、すす、スカートぉ!!? なんであんたたちはこの2人の暴走を止めないのよ!!」と理不尽な怒りが飛び火し、その怒気は飛翔する教科書と散弾するペンの群れとなって教室中を爆撃した。もちろん担任の教師が騒ぎを聞いて駆け付けたが、別の気の利く生徒が「なのはちゃんとフェイトちゃんが結婚する!」などという説明をしたため教師も混乱。朝のHRが無くなり1時限目の授業開始が17分も遅れるという大惨事になった。……余談であるが、この珍事件が長く学園に残るのは語るまでもない。
 だが、その大惨事の原因を1番理解していないのが、やっぱりなのはである。
 そもそも「お嫁さん」発言からして、彼女、そんなに理解していないのだ。姉の中途半端な入れ知恵の結果である。恥ずかしかったからそう言っただけ、というのが本人側からの認識だ。だから頭を下げていても、事の重大さはまったくもってわかっていない。
「で、そもそもの発端となった朝の恥ずかしい出来事とやらは、私たちには言えないってわけ?」
「うっ。そ、それはあの、なんというか……」
「アリサ、もういいじゃない。なのはが困ってるよ」
「……。あいっかわらずフェイトはどんな時でもなのはの味方ね……。一応確認するけど、フェイトがなのはを辱めたって内容じゃないわよね?」
「は、はずかし、め―――っ!?」
「……アリサちゃん、その質問はストレートすぎだと思う……」
「辱める?」
「そーよ。フェイトに何か恥ずかしいとこされなかったかって訊いてるのっ」
「それは…………その、み、見られちゃって、恥ずかしかったけど……」
「………………。フェイト、あんた……」
「ちょっ、だ、だから誤解だってアリサ! わ、私がそんな、なのはに恥ずかしいことさせるだなんて絶対しない!」
「えー……?」
「だ、だから違うのアリサ! その、朝のことはなのはのプライドに関わることだから言えないけど―――そ、そんな冷めた目で見ないでよ!」
 必死に弁明を図ろうとするフェイトだが、やはりなのはに朝の出来事は口止めされているため、うまい説明が見つからない。これも余談だが、しばらくアリサにこのネタで冷ややかな目線を向けられるのは語るまでもないだろう。
「……まぁいいわ。フェイトがスケベだったってことは置いておくとして」
「―――あ、アリサ!」
「それで、なのはは寝惚けて時間間違えて、慌てて待ち合わせ場所に向かった、と……。そこまでは理解できたわ。でも一個だけ、わかんないことがあるんだけど」
「? なに? アリサちゃん」
 首を傾げてアリサに目線を向けるなのは。彼女ら2人の間にはまだ何か言いたそうなフェイトがいるのだが、誰も気付いてない。
「つまりなのはは、約束した時間よりすごく早い時間に着いちゃったってことよね?」
「うん。時計見てなかったから正確にはわからないけど、たぶん1時間くらい早く」
「ふぅん……」
 アリサは思案しながら、納得できないという旨のため息を一回だけ溢して、
「で、何でフェイトまで、約束より1時間も早く待ち合わせ場所にいたの?」
 と、当事者のなのはでも気付かなかった疑問をフェイトにぶつける。
「あ、そう言われてみると、ヘンだね……」
「それは……あれ? そういえば、私も朝慌ててたから気付かなかったけど……。何で私より早く待ち合わせ場所にいたの? フェイトちゃん」
 なのはの問いに、全員の視線がフェイトに集まる。そのフェイトはというと、
「あ……それは、その……」
 なぜか顔を赤らめて、俯いてしまった。
「……? フェイトちゃん?」
 突然の友人の変化に、どうしたのかと顔を覗き込むなのは。その視線から逃れるためなのだろう、フェイトはさらに顔を俯かせる。
 実は彼女、なのはが到着するより30分も早くから待ち合わせ場所にいたのだ。約束の時間から逆算すれば、約2時間近く前である。朝方なのはの携帯に電話したのは、「待ち合わせ場所に早く着いちゃったんだけど、なのはは今どうしてる?」という旨の電話だったのだ。早朝訓練を日課にしているなのはなら、もう起きてるだろうな、という判断の下で。
 つまり、なのはのように朝寝坊して混乱して、時間を間違えたということではない。故意に早く待ち合わせ場所に到着したのである。
 まぁ、彼女が理由を話すことはないだろうが。


 フェイトがなのはとの待ち合わせ場所に早く来た理由は、その前日の夜に原因がある。
「あれ? エイミィ、いつ帰ったの?」
 遊びに来たなのはが帰ってしまって約1時間後、そろそろ寝ようかと思い、その前に台所で何か冷たいものを……と考えて自室を出たフェイトは、リビングで端末を弄っている女性を見つけて声をかけていた。
 エイミィ・リミエッタ。同じ屋根の下で暮らしている、フェイトにとってはお姉さんのような存在だ。
「あ、フェイトちゃん。いやー、つい10分くらい前にね。ほんとは向こうに泊まる予定だったんだけど、意外に仕事が早く終わってさ。これなら帰ってゆっくりできるかなーって思って」
「そっか。お疲れ様、エイミィ」
「ん、ありがとフェイトちゃん。いやいや、労ってくれる人がいるっていいねー。それだけでも無理に帰ってきた甲斐があるよ」
「ふふっ、エイミィったら……」
 ソファーの上で伸びをするエイミィを見て、思わず微笑むフェイト。トテトテと彼女の下に駆け寄り……その視線が、彼女の操作していた端末に移る。
「でも、まだお仕事の続きしてたの?」
「え? ああいや、これはただのデータ整理。同僚からメールが来ててさ、冷たいもの飲みながら読んでただけだよ。あ、そだ、フェイトちゃんも何か飲む?」
「えっと……うん、じゃあお言葉に甘えて。私も寝る前に、何か飲もうと思ってて」
「そっか。じゃあちょうどいいね」
 そう言うと、端末の側に置いてあったジュースと紙コップを用意するエイミィ。フェイトは向かいのソファーに座って、差し出されたジュースを手に取る。
「ありがとう、エイミィ」
「どういたしまして。てか、実はこのまま寝るの勿体なくてさ。せっかく家に帰ってこれたんだから、誰かと話したいなーなんて思って待ってたの」
「そうだったんだ。それなら、声掛けてくれてもいいのに」
「ああ……その、でももう夜だしさ。みんな寝ちゃったかなって考えもあって」
「あ、エイミィは入れ違いになっちゃったんだね。母さんとクロノ、今いないよ。30分くらい前に緊急の呼び出しとかで、帰ってくるのは2人とも明日以降だって」
 クロノ、というのはこの家の長男で、フェイトにとっては義理の兄にあたる少年のことである。彼もフェイトやなのはと同じように魔導師であり、時空管理局と呼ばれる組織に所属する執務官である。
「そうなの? あらら、なんか人の気配がないなって思ってたら……。アルフは? フェイトちゃんの部屋にいるんでしょ?」
「うん。でもずいぶん前に寝ちゃってて……。だから私も、話し相手がいてくれて、なんだか嬉しいよ」
「―――あはは……。な、なんか照れるな……」
 少しだけ頬を赤らめつつ、くいっと持っていたジュースを飲み干すエイミィ。余談だが、彼女がフェイトと話すとき、たまにこういうことがある。
 エイミィとクロノという少年は、かなり昔から付き合いがある。彼女にとって少年は管理局の同期であり、今は上司であり、だが昔から弟分のように思っている。
 その弟分に最近できた義理の妹。初めて会ったときは笑わなくて、泣いているような瞳で、だけど親友ができて、家族ができて、笑うようになった。
 少女は本当に屈託なく笑ってくれる。辛い過去なんてなかったかのように、笑ってくれている。そしてたまに……自分のことを「お姉ちゃん」と呼んでくれる。それがなんだかくすぐったくて、でも嬉しく思っている自分がいるわけで。
 ま、まぁ……いい感じだよね、こういうのって。
「それでエイミィ。メール、そんなに溜まってたの?」
「うぇ? ああその、溜まってはいないんだけどね。こういう話、私けっこう好きでさー」
 妹分の突然の質問に、つい変な声を出してしまうエイミィ。照れつつ、自然な形で話題を逸らす。
「? こういう話って?」
「あ。……んふふ〜、興味ある?」
 と、今度は意味あり気な笑みを溢す。「こういう話」は、知っている人が多ければ多いほど盛り上がるからだ。
「…………。エイミィ、な、なんだか笑顔が怖いんだけど……」
「え? そう? いやいや気のせいだって〜。で、興味ある?」
「……。お仕事に関係すること? それなら聞かないほうが」
「ううん。ぜんっぜんお仕事とは関係なし。だから守秘義務とかもないし、同僚っていっても同期の知り合いでさ、私的なメールなの。でもこれ面白くってさー。フェイトちゃんも聞くでしょ? 聞きたいでしょ? ね?」
「…………」
 なんだかエイミィの笑みに警戒を覚えるフェイト。しかしこんな聞き方をされたら、興味が出ないわけもない。聞きたいかと問われれば……聞きたくもなる。
「その、どんな内容、なの?」
 だが、これが間違いだったと後になってフェイトは後悔する。この時を振り返っては、フェイトはこう思うことになる。
 ……聞かなきゃよかった。


 まずは次元世界と、時空管理局の話からしよう。
 なのはとフェイトがいるこの世界を、時空管理局は「第九七管理外世界・現地惑星名称・『地球』」と呼ぶ。
 こことは異なる次元で発達した世界、ミッドチルダ。そこでは科学技術だけでなく、『魔法技術』が文明発展に大きく関与していた。大気中に散在する魔力素を特定の技法によって操作し、作用を生じさせる技術体系である。それをもってミッドチルダと呼ばれる世界は発展と衰退を繰り返し、進歩していった。ついには彼らは惑星を離れ、星の海を渡る力さえ手に入れる。
 その過程で、彼らは自分たちが住まう世界とは別の、異なる世界が次元の海の向こう側にあることを知った。それが次元世界である。ミッドチルダが今まで発見した世界は100を超え、そして未だに開拓と調査が続けられている。かつては異世界同士で戦争を行った歴史も存在し、だから異世界を調査するだけでなく、管理する必要性も出てきた。
 そして組織されたのが、時空管理局である。
 といっても名前相応の管理を行っている世界は少数だ。技術が争いごとに特化してしまった世界や、他の文明と好戦的な世界。そういったものには厳しく目を光らせ、時には干渉したりもする。……が、やはりそんな世界は数少ない。大体にしてミッドチルダが発展しすぎているので、いまさら戦争を吹っかけようという輩がいないのが現状だ。だから時空管理局の今の役割は、次元犯罪者や各世界の平和と秩序の維持、文明発展を見守ることが主な役割になっている。ちなみになのはたちの住む第九七管理外世界は、管理局にとっては保護対象として扱われている。文明は発展しているがBランク。質量兵器にかなり危険なものが確認されているが、現在はそれを使って争いを起こすような兆候もなく、それどころか件の質量兵器を減らそうと努力までしている。さらにミッドチルダの文明を発展させた魔法技術というものが、この世界には無いに等しいのだ。管理局が「管理外」と名付けいるのが、何よりも雄弁に語っているだろう。
 ―――とにかく、管理局は広大な次元の海に存在する『世界』を守るために存在している。各世界の発展を見守り、危機的な状況には手を伸ばし、可能であれば導く。それが彼らの存在意義だ。
 そして、そんな別の次元にある数多くの世界を管理しようという組織ならばもちろん、平和機構であってもある程度の武力は保有しているわけである。そしてもちろん、武力を行使する……戦うにはそれ相応の訓練が必要になる。
 不思議なことに、どこの世界にでもあるのだ。『学校』というものは。
 次元の海に広がる異世界を管理し、次元世界の平和を守護する巨大組織。そこにもやはり学校……訓練校というものは存在した。
 さらに言えば、この学校と呼ばれる特異な閉鎖空間は、次元の海すら超えても類似点があるのだから不思議だ。
 エイミィの話とは……つまり同期からのメールというのは、堅苦しい管理局の成り立ちやら次元世界なんていう小難しい内容ではない。大きくて閉鎖的な学校という空間に自然と生まれ出てしまう、人の空想が生み出した奇天烈な話だった。
 怪談話だった。


 本当にどこにでもあるのだ、こういう類の話は。
 訓練校の訓練内容が厳しければ厳しいほど、閉鎖的であればあるほど、こういう話は多く、そしてやたらと濃い。もしかしたら学校の怪談とか七不思議とかいう言葉は次元世界の共通語かもしれない。
 例に漏れず、エイミィがかつて学んだ士官学校にもこの手の話は多かった。エイミィなんて進んでこういう話をかき集めていたのだから、おそらく娯楽が少なかったのだろう。メール相手は同じように怪談話が好きな女性である。
 『血まみれの魔導師』。……この手の話にしてはけっこうまともなタイトルだ。
 ずっと昔……次元世界間がまだ友好的ではなく、小さな小競り合いを繰り返していた頃にまで話は遡る。
 真空環境野外演習。その時代には、そんな名の訓練があったらしい。現在はない。無くなった理由がこの逸話だという。
 次元の海を超える次元空間航行艦船は、しかし次元の海でしか航行しないというわけではない。次元の海は広大であり、航路であり、つまり戦う場所ではない。艦船同士の戦いは物理法則の安定した通常空間で行うのが普通であり、だが大気圏内で戦おうとすると重力という邪魔者がいる。大質量の艦船に浮力を与え続けるエネルギーがあるのならば攻撃力と機動力に割くべきであり、したがって戦場は自然と宇宙空間に限られてくる。
 そうなると問題となるのが船の修理だ。こればかりは空気のある大気圏内で行うのが安全だが、何事にも緊急事態というものは存在する。動力部がやられ、他の次元世界にも行けず、まして地表に着陸するのが困難なほどにダメージを受ければ……その場で直す他ない。実際今でも次元空間航行船には緊急用に、大気圏外でも活動可能な防護服が人数分以上用意することが義務付けられている。
 そして……戦争が多かった昔だ。無重力空間での作業など頻繁にあり、訓練生の時期に一通りできるようになっていなければ、はっきり言って使い物にならない。
 だがその女性は、真空環境野外演習だけが苦手だった。
 無重力。魔法で空を飛ぶのとは理屈が異なる。不安定で、防護服はやたらと分厚く身動きがし難くて、ちょっと油断して壁に触れると反作用で飛ばされる。命綱がぐるんぐるんに絡まってジタバタするのは日常で、ひどい時には周りの訓練生にぶつかってしまって皆ぐるぐる巻き……なんてこともやってしまう。それほどその女性にとっては苦手な演習だった。
 ただ、他の科目については優秀だったらしい。
 インクリースタイプ……治療系の魔法が得意だった彼女は、士官学校に入った時点で魔導師ランクはAA。筆記試験の正解率は必ず9割以上は突破するし、両親も魔導師だったため、魔法知識も豊富だった。将来が有望視されていた優等生である。だから担当教官も、ある程度までは目を瞑っていた。
 だがその日の失敗だけは別だった。
 例の如く命綱に絡まってしまった訓練生は、無重力の中でジタバタと悪戦苦闘。そして運悪く命綱が、教官の首を絞めてしまった。
 といっても窒息しかけたわけではない。首に痣ができたわけでもなく、まして防護服に傷が入って気密漏れを起こしたわけでもない。ただ軽く巻きついただけだ。それなのにその教官は「死ぬところだった!」と大袈裟に叫び散し、その女性に1人、居残り訓練を命じた。
 簡単にいえば嫉妬だ。真空環境野外演習を担当していたその教官は落ちこぼれで、訓練校時代の成績は甘く見たって並み程度。魔法適正だって注目するようなものではなく、前線から弾き飛ばされた出戻り教官だった。
 その日の夜。居残りを受けた訓練生は、船外からの窓ふきを命じられた。艦船にはそんなに窓はないが、一つひとつの窓はかなり大きく、それなのに「全ての窓を拭き終わらなければ船内に戻ることは許可しない」と言われてしまった。時刻は午後の9時半。たった1人では、一晩かけても終わらないような内容だった。
 しかし教官の命令は訓練生にとっては絶対であり、刃向うわけにもいかなかった。彼女はその夜、独りで船外の窓拭きを行った。

 事故を生んだのは、やはり嫉妬だった。

 別の訓練生からの悪戯だった。その女性の訓練生も教官と同じく彼女に対して劣等感を抱いており、彼女が船外に出る少し前に、防護服に仕掛けを施していた。
 5秒ほど、気密漏れするよう細工されていたのだ。
 軽く脅かしてやる程度の気持ちだった。きっとアイツのことだ、突然ぷしゅーっと空気を吐き出す防護服に慌てふためき、いつものように無重力空間でドタバタと暴れ、命綱が絡まって身動きできなくなって、思念通話か何かで「だれかたすけてー」とかいうに決まってる。
 悪戯をした女性の予想は、大体当たっていた。
 実際、彼女は救援を請う通信を行っていた。船の制御室に無線で、彼女からの音声信号は届いていた。
 だがその音声データには……音声データなのに、音が1つもなかったのである。だから担当の通信士は、それを悪戯だと思ってしまった。
 だってさ、仮にも魔導師の卵だよ? 救援呼ぶなら思念通話があるじゃない。なのに防護服についてる通信機使って、あまつさえそれに音が何にも入ってないんだもん。普通は悪戯だと思うって。
 ……これが通信士の言い分である。確かにその考えも正しくはある。
 ではなぜ彼女は、AAランクの優秀な魔導師にも関わらず、思念通話ではなく防護服に標準装備されていた通信機を使ったのか。
 簡単な話である。
 思念通話を行えるような、悠長な状態ではなかったのだ。

 他の訓練生と教官が異変に気付いたのは、翌朝になってからだった。
 彼女の姿がどこにもない。
 まさかホントに、一晩かけて窓拭きやってんの?
 呆れつつも、訓練生たちと教官は非常用出口に向かった。近くの窓から外を見ると、彼女は船外でフワフワと浮かんでいた。命綱は絡んでいない。
 訓練生の何人かが思念通話で声をかける。……しかし返答がない。
 訝しげに思った教官が防護服を着て船より離脱、彼女の様子を見に行った。彼女の側に到達した途端に、教官は絶叫した。
 ―――防護服の中は、真っ赤に染まっていた。
 気密漏れは確かに5秒間だけだったが、漏れた空気の量に問題があったのだ。
 防護服の中という狭い空間。異様に気圧が低いまま密閉されてしまい、空気の圧力から解放された彼女の身体は……内側から破裂していた。
 教官は辞職。悪戯をした訓練生は退学処分となった。

 事故の経緯はこんなところである。が……話はまだ終わらない。

 事故調査のためしばらく船外に出られなくなった訓練生の間で、妙な噂が広まっていた。
 あの子……私たちが見つける10分くらい前まで、生きてたんだって。
 荒唐無稽な話であるが、実は事実だった。調査の結果、防護服に付いていた機器がそれを証明してしまったのである。無重力恐怖症などでパニックになる使用者を識別するために付けられていたもので、要するに着ている人間の心拍数を測定する機器である。記録を信じれば、女性は気密漏れから10時間以上も生きていたことになる。
 普通に考えれば、考えられない話だ。内側から身体が破裂していく中、どうやって生きていたというのだ。管理局の調査員たちは困惑した。
 しかし訓練生たちは、その回答にすぐ辿り着いた。思念通話ができなかった理由もわかってしまった。
 インクリースタイプ。治療系に特化した、ランクAA魔導師。
 アイツは全力で、自分の身体を治療し続けていたんだ。思念通話もできないほど、全力で……。
 通信機に音声が入ってなかったのは、空気がないから、声が……。
 アイツ、ずっと音声信号出してたらしいよ。通信士に何度切られても、その度にスイッチ入れ直して……。

 調査も終わりに近づいたころ、訓練生の間で、別の噂が広がった。
 窓の外にアイツがいた。
 船外活動用の防護服じゃなかった。
 あの防護服は、魔導師が戦闘時に着るバリアジャケットだった。
 血で真っ赤に染まったバリアジャケットを着て、外に浮かんでた。

 調査が終了した。真空環境野外演習は当分の間カリキュラムから消えることになった。訓練生が地表に帰る日が決まり、しかし噂は薄らぐことなく、詳しくなっていた。
 窓のそばに立つと、さ……。自分の姿が、映るじゃない。ま、まぁそんなの当たり前なんだけど……。
 夜になると、それが変わるの……。私……見ちゃった……。
 窓に映った自分の姿が……真っ赤な防護服着た、アイツに変わんの……。

「はっ、バカバカしい」
 士官学校に帰ってきて数日後、その訓練生は皆の話に嫌気がさしていた。
 やっと宇宙から帰ってきたってのに、ピーチクパーチク飽きないことで……。ま、私にとっちゃ都合がいいけど。
 真っ暗な廊下を歩く訓練生。窓の外からは、月明かりが差し込んでいた。
 あの事故以来、士官学校の夜は静かだった。
 すべてあの噂のせいである。夜になると、窓に映った自分のシルエットがアイツに変わる。どこかから湧いてきたその怪談話のお蔭で、彼女は人目を気にせず大好物のアルコールを飲めるようになった。今では教官すら夜になれば姿を消す。彼女にとってはうれしいことこの上ない。無断外出して、外でお酒買って、帰り道には堂々と飲める。咎めるべき者たちはカーテンで閉め切った部屋の中。本当に彼女にとっては都合がいい。
「いまどき幽霊なんてねぇ……。科学万能、魔法万能の時代に、なに考えてんだかあいつら―――」

 たす て

「―――…………え、」
 と、彼女の足が止まった。
 前を見る。……誰もいない。廊下は照明が切られているが、月明かりでずいぶん明るい。廊下の端までちゃんと見える。
 だけど、誰もいない。
 後ろを振り返る。やはり誰もいない。
 少し躊躇って、窓を見る。一階の廊下からは中庭しか見えなかった。もちろん誰もいない。窓には自分の姿が映っているが、他人のシルエットに変化してなどいなかった。
「……。おい、誰だ! ふざけんのも大概にしろよ! また悪戯でヒト死なせたいのか!? 学習能力ねぇぞおめえら!!」
 彼女の大きな声は、しかし廊下の狭い空間に反響して闇に消えていった。やはり人の気配はない。
「…………。気のせい、か……? はっ、私もセンチなとこがあったのかな? 心ん奥で罪悪感でも感じてんのかね」
 手に持っていた飲みかけの酒を、グイッと飲む。しばらく前まで浮かんでいた笑顔は、どこかに消えていた。
 噂を生んだのは、やはり嫉妬だと、その訓練生は思う。事故そのものだって嫉妬が生んだものだ。
 船外活動用防護服に仕掛けを施したのは、確かにアイツに嫉妬していた訓練生だ。
 そう……「1人」じゃない。「全員」だ。
 細工をしたのは1人だったが、全員が関与していた。悪戯の内容を考えた奴もいれば、部品を調達した奴もいる。あの事故の前日、無能教官に命綱が絡まるよう、細い糸で引っ張ってた奴もいるし……全部知っていながら止めなかった奴もいる。無関係なやつなんて1人もいない。だって、
 アイツは同期の中で一番優秀で、
 つまりここにいる全員がアイツの能力より下ってわけで、
 全員が、嫉妬していた。唯一のアイツの弱点を見つけて、全員が喜んでいた。
 その嫉妬は、今も続いていると思う。
 死んでも尚、アイツの優秀さは幾分も色あせていないから。
 士官入りが真っ先に決まっていたアイツは、訓練生としてではなく管理局所属の士官として「戦死」という形になるらしい。身をもって真空環境野外演習の危険さを証明してくれた、とかなんとかいう理由で。その証拠に、演習はカリキュラムから永久に消えるとか。地位の高いお父様の何らかの力が働いたのは明白だ。
 噂を広めてる誰か……いや、たぶん複数だろうけど。死人にまで嫉妬して何が楽しんだか。こんなことで、アイツの上に立ってる気で

  けて

 どこからか、ノイズ混じりの声が響いていた。
「……ったく、おい! いい加減姿みせろ!! 死人貶めるくらいしかやることねぇくせに、今度は生きてる私も」

  たいの。    らないの。わた 、なお ま うはとくいな  に。

 ぱしゃ、と音がした。手から滑り落ちたアルコールが、廊下の床を濡らしていた。
 ………………。
 うそ、だろ……?

 ぜん んなおらな  。いた 。い  よぅ。だ   た けてよぉ。

 それは、声ではなかった。少なくとも空気振動ではない。それだけは絶対にあり得なかった。
 ―――空気がなかったから、音声データは無音だったのだから。
「は……ははっ……。お、おい……話と、違うじゃねぇか……」
 わ  のこえ  こえ な の? こ    いっし う  めい さ  でい   に   わ  を、む するの?
 ぱしゃ、と音がした。素足が、廊下を濡らしていた。
 それは、どす黒い血液で濡れていた。
「ふ……ふざ、け…………。ふざけんじゃねえよ! 話と違うじゃねえか! な、なん、で」
                 けてよぉ
「ま、待てよ……。私……わたし、なんもしてねぇって……。ぼ、防護服に細工だってしてねぇし、ふ、船の壁面に……不凍液混じった油だって塗ってねぇし! だ、だから」
                  やっ  み  けた
「……じ、自分の姿が変わるんじゃねぇのかよ!!? な、なんでお前―――」
                     わ しの え、き  え んだ
「―――なんで……なんでだよ! どうして窓の『こっち側』にいるんだよぉ!!!」
                                     たす  
「               や                お願           」

 時刻は午後の10時。
 彼女の防護服が、気密漏れを起こした時間と云われている。

「っていうのが私の士官学校でいっちばん怖い話でさ、別名『レッドファントム』。10時以降に窓のある部屋にひとりでいると、窓に映った自分の姿が血だらけの真っ赤なバリアジャケット着た魔導師に変わっちゃって、運悪く月の光がきれいだと、それに押し出されちゃった亡霊が実体化して襲い掛かってくる、っていうのが定説だね。捕まったら宇宙空間まで連れてかれちゃって、レッドファントムと同じような目に遭うの。でね、私の同期ってのの知り合いがさ、なんと最近近くの管理外世界でファントムを見たって……フェイトちゃん? 聞いてる?」
「……」
 エイミィの正面に座っているフェイトは、一口も飲んでいないオレンジジュースを両手に握って、ぴくりとも動かなかった。俯いているので表情も見えない。
「あ、あれ? おーい、フェイトちゃーん」
「…………」
 注意を自分に向けさせようとエイミィが手を振るが、やはり反応がない。しばらく考え、何か妙案が浮かんだらしく、
 かなりワザとらしく、叫んだ。
「ふぇ、フェイトちゃん後ろー!!」
「――――――ッ!!?」
 彼女の反応は面白いくらいに電光石火だった。慌てて振り向き、上半身は居もしない相手から距離を取り、しかし下半身だけは恐怖心でソファーから立つことさえしなかった。
 その拍子に、持っていたジュースが床のカーペットにこぼれてしまった。
「あ……あ〜らら、予想以上にすごい反応……。大丈夫フェイトちゃん? 服、汚したりとかはしてない?」
「――――――」
「? フェイトちゃん?」
「―――え、エイミィ、な、何がいたの……? わ、私、見えない……」
「…………ああ、いや、その……」
 まだ冗談だということに気付いていないフェイトの様子に、今更のように罪悪感が出てくる。
「えっと……ご、ごめん。私の見間違いだったみたい」
「―――そ、そう。よかった……」
「フェイトちゃん、実はこういう話、苦手だった?」
「ううん。全然」
 エイミィの遠慮気味な問いに振り向いて、何やら真剣な表情で答えるフェイト。見ようによっては怖がっているようには見えないが、強がっているのは明白だった。
「……そ、そういえばこの前、なのはちゃんと2人で映画見に行ってきたとき、帰ってきてから様子がおかしかったけど……怖い映画だったの?」
「ううん。面白い映画だったよ。エイミィにもそう話したじゃない。私、ぜんぜん怖くない」
「……」
 怖い映画だったんだ、と心の中だけで呟くエイミィ。
 この手の話は、フェイトちゃんにはまだ早かったかなぁ……。
「あ、ああでも、窓があってもカーテン閉めちゃえば、レッドファントムは出てこないらしいから」
「ふーん……そう」
 興味なさそうに声を出すフェイトだが、若干安心したように肩の力が抜けている。
「……私、もう寝るね。明日の朝、少し早いから。なのはと約束があるの」
「え? あ、ああうん……。あ、ジュースは私が片付けとくね」
「うん。ありがとうエイミィ。それじゃ、おやすみ」
 そう言い残すと、すぐ席を立って自室に向かうフェイト。若干だが足取りが速かった。
 お、怒っちゃったのかな……?
 早足で遠ざかっていくフェイトの後ろ姿を見ながら、少しだけ反省するエイミィだった。


 もちろん、フェイトは怒ってなどいない。
 正真正銘、ビビっていた。
 ミッドチルダにもなのはたちの世界と同じように映画はある。怖い話……要するにホラー映画も存在はする。
 だがその質は……こちらの世界のものと比べると、かなり甘々で薄味だ。
 次元世界間で戦争があったのは事実だが、それはもう100年以上前の話だ。結果、向こうの世界は平和な時期が長く続き、その手の娯楽は発展しなかったのだ。向こうの主流は恋愛ものが中心である。映画といえばそれ以外にジャンルがないくらいに。
 だから実は、フェイトだけではない。総じてミッド人はホラーな話に弱いのだ。エイミィのどうしようもない怪談話だって、向こうの世界の基準から見れば最上級だったりする。クロノも以前になのはに勧められてカルトホラーな映画をDVDで見たことがあるのだが……3日間ほど仕事に身が入らなかったほどだ。
 フェイトが慌てて部屋に戻ったのは、それ以上そこにいると別の怖い話を聞かされるかも、という警戒心からである。怒ってなどいない。
 ただ単純に、ものすごく怖かっただけだ。
 ……あのときの映画よりは、そんなに……だったけど……。
 その夜、フェイトはベッドで丸くなって寝ようとしたが、もちろん寝れるわけがなかった。数分毎にごそごそと寝相を調節し、ベッドの下で丸くなっているアルフを起こそうとして目を開き、その度に部屋の暗闇に根負けする。それを永遠と繰り返していた。部屋の窓はカーテンに閉ざされている。
 だ、大丈夫……。カーテンでちゃんと閉めてる。月だって今日は隠れてて見えないし……。気にすることなんてない。私、怖くない……。
 そんな内容を心の中で繰り返しているのだが、こういうときはそんなもので気が紛れるはずもない。部屋の隅で音が鳴る度に、風で窓が揺れる度に、ビクビクと身体が条件反射する。
 怖くない……。私、こ、怖くない……。もし、もし仮に出てきたって、魔法使えば……。ば、バルディッシュも枕元にあるし……。
 ちらっと目を開ける。いつもはベッドの側の棚の上に置いている黄金の宝石は、フェイトの枕元にあった。彼女のデバイスだ。
 だがそれだけで安心できるはずもない。お化けというのは出会ってしまうのが怖いわけで、出会った後の事を考えたって無意味である。
 ……っ、や、やっぱりダメ……。そ、そうだ。明日は早く家を出よう。な、なのはと一緒だったら、安心だし……。
 そう自己暗示し、ぎゅうっと強く瞳を閉じるフェイト。早く寝なければという一心で、がばっと布団を頭から被る。
 なぜそこでなのはの名前が、と思うかもしれないが、これがフェイトにとって唯一の解決策である。
 以前、彼女はなのはと一緒に映画を見に行ったことがある。
 こっちの世界にはいろんな映画があるんだよ、というなのはの勧めで、休みの日に2人で映画館に行ったのだ。しかしなのはお勧めの映画を上映している映画館は満席で、それじゃあ別のを……ということで見たのは、フェイトの想像力を遥かに凌駕するものだった。
 ジャンルはSFホラーだったが、アクション風味が強い作品だった。最後はハッピーエンドで終わる、後味のいいもの。
 だがその認識はなのはの……こっちの世界の認識であり、フェイトにとっては背筋も凍る内容だった。その日はなのはの家に泊まったほどだ。不思議と怖さがなくなったのは語るまでもない。
 それ以降、アリサなどに無理やりホラー映画を見せられたり怖い話を聞くたびに、なのはに縋るようになってしまったフェイトだった。
 しかし彼女に会えるのは明日の話。約束の時間まではまだ長い。
 寝れるわけがなかった。


 そして今は……なのはが側にいるから怖くはないのだが、アリサに知られるわけにはいかない。
 ……あ、アリサにだけは秘密にしないと……。彼女のことだから、面白がって、いろんな話聞かされるかも……。
「あの……フェイトちゃん?」
「っ、い、いやその……た、たまたま早く起きちゃって……。家には母さんもクロノも昨日の夜からいないし、エイミィも書き置き残して仕事に行っちゃったみたいだし、アルフはまだ寝てたから……。なのはは早起きだから、少しくらい早く出ても、大丈夫かなって思って」
 なのはの視線に耐えかねたのか、素直にそう話すフェイト。ただ、慌ててしまったのがいけなかった。
「ふーん……。なんか、それ以外に理由があるように見えるけど〜?」
 微妙な笑みを見せながら、流し目でフェイトを見つめるアリサ。確実に楽しんでいる目だ。
「……な、ないよ。それ以外に理由なんて、特にない」
「ホントに?」
「ほ、本当だよ。母さんもクロノも帰ってくるのは今日の夜ごろだし……。エイミィだって、ほ、ほら」
 と、フェイトは制服のポケットをゴソゴソし始め、1枚の紙切れを取り出して、皆に見せた。
 そこには、こう書いてあった。

 フェイトちゃんへ
緊急招集受けちゃったから、先に家を出ます
 昨日はゴメンね。埋め合わせに、なにかお土産買ってきます
                          エイミィより

「ね? う、ウソじゃないでしょ?」
 どうだ、と言わんばかりの様子で紙を見せ付けるフェイト。その文面を3人が凝視し、ただ1名だけがニヤリと再び笑い、
「あやしい……」
「っ、な、なんであやしいだなんて思うの、アリサ……。ほ、ほら、この筆跡、私のじゃないし……」
「用意周到に物証を手元に置いて、あまつさえそれを見せびらかすなんて……。アリバイを必死に証明しようとする犯人にはよくある手口よ。そうは思わないかね、すずか捜査官」
 ニヤニヤ度をさらに上げつつ、髭などないくせにワザとらしく顎を撫でるアリサ。なんだかノリノリだ。そんな様子のアリサの問いに、
「え? わ、私? えっと……べ、別にあやしくは、ないと思うけど……。ね? なのはちゃん」
 すずかは困ったように笑って、話題を隣に座るなのはにバトンタッチする。こういう話の振られ方を心得ているのは、この場にいない『5人目』だけだ。
「うん。私も全然あやしくはないと思うけど……。っていうかアリサちゃん、別にフェイトちゃんが何か悪いことしたわけじゃないんだから、犯人とか言うのは失礼だよ」
「む……。ったく、なのはもいつも、フェイトの味方ね……。まさか2人して、口裏合わせてない?」
「もーアリサちゃん! それ以上言うなら、私だって怒るよ!」
「なーにーよ! なのはの貞操の危機を救ってあげようっていう私の心遣いがわからないの!?」
「あ、アリサちゃん!?」
「―――あ、ああ、アリサ、何言って……」
「……? な、なんだかよくわからないけど! とにかく、フェイトちゃんをいじめるのは私が許さないんだから!」
「なによやろーっての!? いーわこの際白黒つけてやるんだから! 賭けなさいなのは! 私が勝ったら、なのはがフェイトに訊くってこと! なのはからの質問なら、フェイトは洗いざらい話すはずよ!」
「いーもん! フェイトちゃんには隠し事なんてなーんにもないんだから! その代わり私が勝ったら、フェイトちゃんにちゃんと謝ること!」
 だんだん雲行きがあやしくなってきた。本人そっちのけで話がとんでもない方向に流れていく。2人とも目がマジだった。だが、
「な、なのはちゃん、アリサちゃん、落ち着いて……」
「そ、そうだよ2人とも、少し冷静になって―――」
「よっし! それじゃあなのは! 勝負形式は」
 次の一言で、場の雰囲気が逆転した。

「いくよレイジングハート!」

 高町なのは、大親友のフェイトのことになると、周りが見えなくなる少女だった。
「……え?」
「……は?」
「な、なのは?」
 ちなみに今はお昼の休み時間。食事を食べ終え、食後のひと時をゆっくり屋上で楽しんでいる生徒は、なのはたちの他にもいっぱいいる。どうもなのはの視界からは削除されているらしい。
《Standby ready》
「ちょ、ちょっと、レイジングハートまで!?」
「ま、た、タンマなのは! そ、それって、もしかして……!?」
「問答無用……全力全開!!」
 改めて状況説明するが、なのは、目がマジだ。
「な、なのは! 落ち着いてーー!!」
 ……こうして、この日の昼休みは慌ただしく過ぎていく。
 午後の授業の後、フェイトに平謝りするアリサの姿があったわけだが、なのはの前ではフェイトをからかうのはやめようと心に決めたアリサだった。
 屋上の惨劇、語るべからず。


 同時刻、惨劇の元となった怪談話を振りまいた張本人は、
「ふぁ……。うーあー、ねむ〜い……」
 仕事中にも関わらず、上司の前で大あくびしていた。
「こらエイミィ。真面目にデータ収集しろ」
「やってるってばー……。でもクロノ君、この仕事、そんなに意味あるの?」
「……い、一応義務化されている。それに、放置しておける問題じゃないだろ」
 場所は海鳴市よりはるか上空の宇宙空間。静止軌道上に停泊している、次元空間航行艦船の内部である。
 ―――巡航L級8番艦、アースラ。
 時空管理局所属のこの船は現在、任務中により全センサーを駆使して目標を調査している最中だ。エイミィは艦が捉えた情報を統括している。だが早朝からの突然の非常徴収と、連日の徹夜が尾を引いているのだろう。彼女の瞼は重そうだ。
「でもさ、私まで駆り出すことないんじゃないの? 艦長だっていないし」
「母さんは本局だ。来年にはこの艦を降りるし、手続きをしにね……。その間は僕が艦長で、さらに人手不足なんだ。つべこべ言わずに仕事をしてくれ」
「へいへい……りょーかいかんちょー……」
「……エイミィ、真面目にやれ」
 彼女の勤務態度にどうしたものかと首を捻っている少年が、フェイトの義兄、クロノ・ハラオウンである。エイミィの士官学校時代の同期に当たるが、現在は彼のほうが階級が上だ。本来ならこんな勤務態度だと左遷されかねない。
 だが、どんなことにも例外はある。
 2人の付き合いは長く、エイミィにとってはクロノは弟分のような存在であり、現在は同じ屋根の下で暮らしている。気心知れている仲なので、この程度で左遷だ何だという状況になることはまずあり得ない。小言を漏らしているクロノでさえ、言葉にしつつも半分以上諦めている状態だ。突然呼び出したという負い目もあるし、クロノ自身がこの任務を重要視していないのも影響している。
「しっかしまー、なんでこんなところで……。でもこれ、自然現象っぽいよ」
「……。やっぱりそうか」
「うん。人為的な傾向は一切なし。震源が多いのはちょっと気になるけど、コンピューターの解析結果でも自然現象である確率が82パーセントだって。……ねーもう帰らない?」
「だから、真面目にやれ。まだ全部調べたわけじゃないだろう」
「それはそうだけど……」
 上官であるクロノの言葉に従って、仕方がなくデータ収集とピックアップを続けるエイミィだが……肩から力が抜けている。完全にやる気ゼロだ。
 なにをしているのかというと、次元震の調査である。
 昨晩、この艦アースラのセンサー群が、微弱ながら次元流の乱れを捉えたのだ。
 その震源の数は4つ。エイミィの言うとおり数は多い。だが先行させた探査機からのデータをいくら解析しても、答えは自然発生した次元の歪みであり、余震の兆候であるという結果しか出ず、さらには終息の兆しが見えているという始末。彼女の士気が低いのはそのためだ。
 次元震というのは、文字通り次元空間の振動のことである。
 管理局は艦船の航路を『次元の海』と呼んでいるが、その名の通り世界と世界の合間にある次元空間は、海に近い性質を持っている。要するに波があるのだ。
 小さな波があれば大きな波もある。渦を巻くことだってあるし、ちょっとしたキッカケで波紋も広がる。次元震とは、次元の揺れが安定しているはずの通常空間にまで波が広がるような巨大な振動のことを指す。だが1番問題なのは、それが誘発してしまう『次元断層』のほうだ。
 地震でいうところの地割れになるが、これは地表で起こるものとは比べられないほど危険度が高い。割れてしまった次元は、周囲の空間を飲み込んでいくからだ。ブラックホールにイメージは近く、規模が大きいものになると、複数の次元世界を消滅させかねない。仮にだが今ここで、彼らが調査している震源地で次元断層が発生したとすると、規模にもよるが……なのはたちの住む世界など木端微塵、いや、跡形もなくなる可能性もある。
 だからこそ管理局は次元震を感知した場合、その調査を最優先任務とすることを義務化している。次元世界の平和と安全こそが管理局の存在意義であり、存在理由であるからだ。
 しかし今回の次元震はあまりに規模が小さかった。通常空間への干渉だってほとんど無いに等しく、さらに弱まってすらいる。振動の特徴も一般的な余震の特徴に合致しており、人為的な兆候など皆無だ。無理やり叩き起こされて召集されたエイミィにとっては、この上なくつまらない仕事だった。
「はぁ……。ったく、朝起きたらフェイトちゃんに謝ろうと思ってたのに……」
「? なんだエイミィ、フェイトとケンカでもしたのか。珍しいな」
「失敬なっ。私とフェイトちゃんは今まで通り仲良しです。……ただその、昨日の夜、ちょっと機嫌を損なわせちゃったかなーって」
「そう、だったのか……。悪いことをしたな」
「……あれれ? お兄ちゃんとしては、やっぱ気になる?」
 と、今までの眠気はどこへ消えたのか。すさまじく意地悪そうな笑顔を浮かべて艦長席に座っているクロノを見上げるエイミィ。
「なっ……。べ、別に兄としてではなく、普通に一般的な意見を述べたまでだ。エイミィを呼んだのは僕だしな」
「はいはい、そういうことにしておきますって」
「……い、いいから仕事しろ。次の震源だ」
 少しだけ顔を赤く染めて話題を逸らす。彼らの正面に位置するモニターを、無理やり別の画面に切り替えていた。
「こっちは少しだけ震度が大きい。しっかりやれよ」
「りょーかいです。……でも確かに、おかしいといえばおかしいよね」
 クロノをからかうのに満足したのか、今度は少しだけ真面目に画面に向かうエイミィ。キーボードを叩きつつ、探査機から送られてくるデータを整理する。
「……なにか、不審な点でも見つけたか?」
「え? ああいや、そういうんじゃないんだけどね。送られてきてるデータには問題なさそうだよ。でも……前のデータと比べると、少しね」
 そう言いつつ、前面のディスプレイに別のウインドウを開くエイミィ。探査機からのデータとは別のものだ。
「これは?」
「えっと、こっちの世界……第九七管理外世界に初めて来た時の、周辺空間の調査データなんだけど。ほらプレシア事件のとき、周辺空間を調査したじゃない。彼女の拠点を探すのに」
「ああ、そういえばそうだったな」
「そんときの調査区域に、今調べてる震源地も含まれてるんだけど。次元震が発生しそうな兆候、一切ないんだよね……」
 彼女が話す間も、その時の……1年半前のデータが次々とメインディスプレイに表示されていく。クロノはそれを細かく丁寧に読んでいく。
「そのようだな……。まぁそんな兆候があれば、当時は事件の調査中だ。見落とすはずがない」
「だよね。考えすぎかな」
「今回の次元震はかなり小規模だ。1年半前はまだ兆候すら現れていなかった、というのが普通の解釈だろう」
「ん、そっか」
 彼女なりに納得したのか、新たに表示していたはずのウインドウを全て消しにかかる。残ったのは現在調査中の次元震の震源地周辺のデータのみ。それが数を増やしていき、ディスプレイを埋め尽くしていく。
 クロノだけが、少しだけ考え込んでいた。
 ……。事件時の調査データもそうだが、管理局の情報でも、この周辺の空間は安定していたはずだ。それなのに次元震が発生し、小規模ながら震源は4つ……。ただの偶然だと解釈すれば、確かに話は早いが……。
「よっし、こっちの震源のデータも大体取れたよ。あとは必要なとこだけ集めて解析するだけだけど、パッと見ただけでも問題なさそうだね。さっきの震源地とあまり変わりない」
 エイミィの現状報告で、考え込んでいたクロノの思考が一瞬だけ緩む。彼もメイン画面を見るが、問題となりそうな数値データは表示されていなかった。
 僕も、考えすぎか……。
 そう結論付け、彼も仕事に戻る。エイミィから随時送られてくるデータを吟味しつつ、現状を把握していく。
 頭の片隅で、今日は徹夜だな、と考えるクロノだった。


「ロストロギアの調査?」
「ああ、つい1時間ほど前に連絡が来てな。危険度があるものじゃないが、緊急任務だ」
 時間は変わって午後の6時。アースラにはクロノとエイミィの他に、なのはとフェイトの姿があった。
 いろいろ波乱があった学校が終わって、2人ともなのはの部屋でゆっくりしていた時、クロノからの呼び出しがあってアースラまで出向したのだ。……ちなみになのはの家にフェイトがいたのは、無論泊まるためである。ひとりで寝れるわけがない。
「現場は第九二管理外世界。生き物はいるが、知的生物は存在しない未開の土地だ。そこに設定してあった長距離センサーがある種の魔力波動を感知したらしいんだが……どうも管理局が長年探していたロストロギアである可能性が高いらしい」
 クロノの説明に呼応するように、メインディスプレイに映像が表示される。エイミィが気を利かせて表示してくれたようだ。
 それは静止画像で、映っているものは「剣」だった。柄も刀身も薄く青に輝いていて、刀身の根元には赤い宝石がはめ込まれている。
 ―――ロストロギアとは、要するにオーパーツのことである。
 その世界には……その文明には見合わないほどの技術によって作られた、場違いな加工品。時空管理局は、このロストロギアと名付けたものの調査と回収も主な仕事としている。
 曰く、遺失物は世界すら滅ぼす。
 次元世界の各所で発見されるロストロギアは、その大半が別の次元世界で作られたものだ。あまりに発展しすぎ、そして滅んでしまった文明の遺産。それが次元の海を漂流し、他の世界へ流れ着いてしまう。流れ着いた先の世界にとっては大発見と呼べるものだが、便利なものであればあるほど、危険度も大きい。文明バランスを崩すものもあれば、戦争に利用可能なものもあるし、用途を間違えれば次元断層すら発生させかねない危険極まりないものまである。それを回収、調査研究し、正しく運用するのも……管理局の役目だった。
「名称は『最後の夜の雫(フォールリーフ)』。詳細な能力まではわからないが、魔力を溜め込む性質があるらしい。魔導師でなければ運用できないそうだが、扱いがかなり難しいとされている。他の誰か……次元犯罪者などの手に渡らないうちに回収すべき、というのが局の判断だ」
「なんか、アームドデバイスみたいだね」
「見た感じは……そうだね。シグナムの剣より、少し脆そうな印象があるけど」
「剣としての性能は皆無だそうだ。フェイトの言うとおり、これは強度がさほどないらしい。扱いには注意してくれよ」
 クロノの言葉に、素直に肯くフェイトとなのは。ただなのはのほうは、もう1度だけメインディスプレイを見上げて、
「でも……緊急任務だなんて久しぶりだね。研修期間に入ってからは、全然なかったのに」
「そうだね。なのはと2人だけで任務っていうのも、本当に久しぶりだ」
 お互い目線を合わせて、嬉しそうに微笑む2人。実際、最近は一緒の任務が少ないのだ。
 2人とも、今年の春ごろから正式に時空管理局の職員として入局している。だが進路や所属する部署が異なるため、同じ仕事はそれほど多くないのが現状だ。それに、
「あれ……そういえば、はやては?」
 フェイトが周囲を見渡しつつ、クロノに問いかける。現在アースラのブリッジには、フェイトとなのは、エイミィ、クロノの他に、数人のオペレーターがいるだけだ。彼女が探している人物は見当たらない。
 学校では仲良し5人組といわれて(恐れられて)いるメンバーの『5人目』。管理局の研修生としてアースラの任務には大抵関わる、1人の魔法使い。
 ―――八神はやて。
 それが、この場にいない魔導師の名前だ。
「ああ、彼女は家に戻ってもらった。今回の任務とは別件で、もし出動が必要になった時のためにアースラに待機してもらっていたんだが、そっちはデータ収集だけで済んだんだ。だが艦内で待機してもらっていた時間が長かったし、その後に別の任務に駆り出すのも酷だと思ってね」
「あ、じゃあはやてが今日学校お休みしたのって……」
「うん。実は近くで自然発生した次元震が見つかっちゃって、緊急でヴォルケンリッターの4人と一緒に艦で待機してもらってたの」
「そうですか……。それじゃあ、入れ違いになっちゃったんですね」
 少し寂しそうに話すなのは。彼女とフェイトは、はやてとは親友の間柄だ。今日1日まったく顔を合わせられなかったのが残念なのだろう。
「ああ。だが気に病む必要はない。この後は家族5人で外食だと言っていた。今頃楽しく過ごしているだろう」
「そっか……。やさしいね、クロノ君」
 親友に対するクロノの気遣いが嬉しいのか、笑顔で見上げてそう言うなのは。クロノのほうは、若干だが顔を赤くして、
「べ、別にやさしさとか、そういうのじゃない。勤務時間を考慮しただけだ」
「ふふっ……。だってさフェイトちゃん。フェイトちゃんはどう思う?」
「え? ……うん、クロノ、やさしいと思う」
 なのはに加えて義妹のフェイトの援護射撃により、さらに顔の赤さが増すクロノ。2人の笑顔が気恥ずかしいのか、完全に顔を背けてしまった。
「だ、だから僕は、待機であっても勤務に変わりはないわけだから、上官として適切な対応をしたまでで……とにかくこれから現場に向かう。今から30分近くかかるから、2人はどこかで休んでてくれ」
 話は終わったといわんばかりの様子に、なのはとフェイト、エイミィまでもがクスクス笑っている。
「ったくクロノ君、そんなに照れることないのにー」
「て、照れてなどいない! エイミィ、からかってないで早く航路の確認をしてくれ! 次元震の震源近くを通るんだから、安全を確保しないといけないだろ!」
「そんなのもう終わってますよ〜。艦だってもう自動制御だし、私がすることはしばらくないんだって。それよりさ、なのはちゃん、フェイトちゃん。クロノくんってば最近はやてちゃんに甘いんだよ〜? もー気があるんじゃないかってくらい。艦を離れるときにはやてちゃんに何て言ったか聞きたくない?」
「え? どんなこと言ったんですか? クロノ君」
「……お兄ちゃん、浮気はいけないと思う」
「―――ふぇ、フェイトっ、何言って」
 ……その後現場に到着するまで、クロノは3人にからかわれ続ける羽目になる。
 断わっておくが、なのはとフェイトに悪気はない。
 誰がいけないかと問われれば、エイミィが主犯であった。


 いつもの光景である。
 アースラでの任務は、いつもこんな感じに賑やかだ。3人の少女の進路はバラバラで、所属先での任務は各々真面目にこなしているが、だからこそアースラでの合同任務では楽しさが先行してしまう。仲のいい友人と、共に戦った仲間と一緒に行動できる、やさしい空間。なのはも、フェイトも、もちろんクロノとエイミィも……この共有できる時間が好きだった。
 だが、この時すでに、
『アースラを確認。……いますね、目標』
「だね。準備いい?」
『私は大丈夫ですが……今のうちに寝なくていいんですか? 遅眠剤のストックはあまりありませんよ。無駄に使う余裕はありません』
「使う気無いよ。使わなくても、たぶん寝れない」
『……すいませんでした。あなたの気持ちを考えれば、当然ですね』
「そんなに気を使わなくていいって。……それより、さ。…………反対しないんだね」
『言ったはずです。私は最後までマスターの味方です。お供しますよ、最後まで』
「―――最後、か」
『覚悟はできています。マスターだって……そうでしょう』
「うん」
『終わらせましょう。私たちの手で』
「ん。…………それじゃあちょっと早いけど、行こうか」
『はい』
 戦いの準備は、整っていた。


「うわ、熱帯雨林だね」
「なのは、暑くない?」
「うーん……たぶん、大丈夫。レイジングハートが調整してくれてるから。フェイトちゃんは?」
「私も大丈夫だよ。バルディッシュが周辺の温度を調節してくれてる」
 転移魔法陣から出てきた2人は周囲を見渡しつつ、自分たちが持つデバイスを握り直していた。
 第九二管理外世界。
 なのはの言葉通り、そこはジャングルだった。直径1メートル以上はあろうかという太い樹木が何本も地面に根を下ろし、その木々の合間を毒々しいほどの緑色をした植物が覆い茂っている。所々に花も咲いているが、どれも色が濃すぎて目に眩しい。
 管理局のデータでは、この世界に知的生命体はいないらしい。生まれたばかりの生態系は主に植物しか進化しておらず、動物の類は未発達で小型のものばかり。大気成分は人間が活動するには問題ない状況だが、全体的に暑いのが曲者だった。魔導師である彼女ら2人にとっては些細な問題だが。
「あ、でも、まだ少し暑いかな……。レイジングハート、周辺温度をもう1度くらい下げられる?」
《All right my master》
 なのはの指示を受け、『杖型』の状態のレイジングハートの宝石部分が光を放つ。それに同期して、なのはが着ている服の所々に付いている小さな宝石が僅かな光を漏らした。
 なのはが現在着ている服は、見た目は彼女が通う小学校の制服に似ているが、もちろんただの制服ではない。『防護服(バリアジャケット)』と呼ばれるものだ。
 彼女らが扱う魔法には様々な種類があるが、防御魔法に「フィールドタイプ」という種類が存在する。不可視の力場を術者の周囲に形成させ、特定条件対象の侵入や接近、知覚を阻害するというもので、バリアジャケットはこのフィールドタイプ防御魔法を常時発動させる補助の役割を持っている。つまりは、魔法使いの戦闘服だ。大抵の魔導師は自らが考案したバリアジャケットのデータをデバイスに記憶させ、魔法を行使する際に魔力を編んで着用する。デザインは魔導師自身が決めている。
 なのはのバリアジャケットが学校指定の制服に類似しているのは、彼女にとって制服と「身を守る」というイメージが直結していたのが原因だろう。1年前からほとんど変わっていないそれは、白のワンピースに同色の上着。学園の制服には襟や袖に黒いラインが入っているが、その部分だけは黒ではなく青いラインが描かれている。他に、スカートの裾付近と両肩に小さな赤い宝石が付いている。防御系魔法の常時発生装置だ。
 その白い色が印象的ななのはのバリアジャケットに対し、フェイトのジャケットは黒色が目立っていた。漆黒の外套の下には肌に張り付くような同色のボディスーツ。短く白いスカートは、全体の黒色を逆に際立たせていた。腰と胸の部分には赤いベルトが付いている。
 2人のバリアジャケットの色彩は対照的だが、役割は概ね似通っている。この服はその名が示すとおり術者を守る鎧であり、さらに着用者のコンディションを調整してくれる。常時展開されているフィールドタイプの魔法の設定次第で、周囲の温度を調節するくらいは簡単だ。
「……うん、ずいぶん涼しくなったよ。ありがとね、レイジングハート」
 応えるように、杖の本体部分である赤い宝石が輝いていた。
 現在のレイジングハートの形は、今日の朝方とはずいぶん姿形が異なる。
 宝石は一回り大きくなり、それを守るかのように金色のフレームが覆っている。そのフレームから延びる柄は純白で、端の部分は桜色。……明るい色が多いその『杖型』が、本来のレイジングハートの姿である。
 インテリジェントデバイス、「魔導師の杖」レイジングハート・エクセリオン。なのはと共に多くの苦難と敵を打ち破ってきた、意志を持つ武器だ。
《サー、私も温度調整を行いますか》
 と、なのはが持つレイジングハートとは別のデバイスが声を発した。レイジングハートの声が女性のものなのに対し、こちらは男性の声だった。
「ううん、私は大丈夫。……それより、周辺の様子はどう?」
《周囲に危険性のある反応はありません。目標との距離、360ヤード》
「ん……転送先にズレはなし、だね」
 受け答えるフェイトの視線は、自らが持っている黒い戦斧に向けられている。それがフェイトにとってのデバイスだ。
 ―――「閃光の戦斧」、バルディッシュ・アサルト。
 見た目は杖に近いが、本体部分である黄金の宝石の側には鋭利で頑丈そうな刃が付けられている。柄の長い斧といった風貌のそれは、全体的な色彩は漆黒。柄は白いが純白ではなく、鈍い灰色をしていた。
「それじゃあ行こっか、フェイトちゃん」
「うん。でも、上空からの映像と実際は、結構違うね……。少し迂回して進まないと」
 言いつつ、フェイトが自分のデバイスで目の前にある茂みを少しだけ撫でる。見た目以上に草は多く、根付いているはずの茶色い地面はまったく見えない。
「この茂みを歩いて進むとなると、結構疲れそうだし」
「うーん……。飛んでっちゃダメかな?」
「それもいいけど、背の高い木が多いから、目標のロストロギアが見えなくなるかも」
「あ、そっか。高度が高いと森の木々で見えなくなっちゃうし、低いと、枝にぶつかっちゃうから」
「うん、地道に歩いて探すほうがいいと思う」
「あぅ……」
 肩を落として、なのはが気落ちしたような声を洩らす。彼女は魔法で空を「飛ぶ」ことが好きなので、少しだけ残念なのだろう。
「じゃあ歩くとなると……こっちの獣道みたいなのなら、少しは楽かな?」
「うん、方向もあってるし、いいと思う」
「ん、じゃあ改めて……行こっか、フェイトちゃん」
「うん、なのは」
 そう名前を呼び合って、笑顔をお互いに見せ合ってから、2人は細い獣道に足を踏み入れた。その笑顔は信頼の表れであり、自信の表れだった。

 この瞬間まで、2人とも特に警戒してはいない。
 といっても完全に無防備だったわけではない。相手はロストロギアであり、前情報で危険はないと聞かされていても、注意するに越したことはない。今までの経験上から2人はそう判断していたし、その考えは正しく模範的なものだ。実際、警戒すべきものなど周囲にはなかった。2つのデバイスが周辺で動体反応をキャッチしていたが、それも小型の原生生物の反応であり、危険度など皆無に等しかった。
 だから2人の行動と判断には、別段間違ったところなど無い。軽率に空を飛ばなかったことも良い判断だったろう。「間違った事」と問われれば、その答えは1つだけだ。
 この管理外世界に来たという事実そのもの。2人が悪いわけではない。誰が悪いかと問われれば、それはエイミィとクロノだ。依頼データの「おかしな部分」にこの時点で気付いていれば、結果はもう少し変わっていただろう。それをなのはとフェイトが知るのはもう少し先の話だ。
 ―――罠だった。

「……なに、これ……」
 移動開始から40分後、2人はようやく目的地に着いた。予定ではもっと早く到着できるはずだったが、道なき道を掻き分けて進むのには予想以上に困難を要し、結局こんな時間になってしまった。
 少し疲労が溜まり始めたころに到着した目標地点は、予想外のものが存在していた。2人とも警戒しつつ、それを見上げる。
「クロノくん……見えてる?」
『あ、ああ……。映像で確認してる。だが、これは一体……?』
 この場にはいない……静止軌道上で待機しているアースラにいるクロノに、思念通話で話しかけるなのは。その声にも、受け答えするクロノの声にも、フェイトと同質の疑問が浮かんでいた。
 目の前に聳え立っていたのは、建造物だった。
 熱帯雨林の木々に半分没してはいるが、それは間違いなく建物だった。レンガ造りのそれは背が高く、なのはの世界にあるビルでいえば三階相当に及ぶだろう。正面から見ると正方形だが、木々が邪魔で奥行きが見えない。入口らしき扉が1つと、ずいぶん上のほうに縦長の窓が付いている。
「クロノ……。この世界って、人はいなかったはずじゃ……」
『そ、そのはずだ。人どころか、知的生命体がいた痕跡もその世界では確認されていない』
『ちょ、ちょっと待ってて……。えと、管理局の最終調査日時は2年前。その調査で、文明があった形跡は一切発見されてないよ。それに生物の進化状況はごく初期段階、仮に知的生命体が発生するには……す、数千年先……』
『どう、なってるんだ……』
 思念通話越しでエイミィとクロノの狼狽が伝わるが……混乱しているのはフェイトとなのはも同じだ。
「もしかして……ロストロギアの能力、かな?」
『い、いやそんなはずはない。今回の目標であるロストロギアには、そんな能力は備わっていない。ただ魔力を溜め込むだけの代物だ』
「でもクロノ、これ……どう見ても、おかしいよ」
 警戒を強めつつ、フェイトが建物に近づく。周囲を見渡したあと、そっと外壁をバルディッシュで突く。
「見えてる? クロノ……。ここの壁に付いているコケ……地面にあるものと同じだよ。何年も前から、この場所にあるとしか思えない……」
 戦斧で削り取られた苔が、地面に落ちる。そこには、まったく同じ種類の苔が生えていた。目の前の建造物がつい最近建てられたものではないという、確かな証拠だった。
「レイジングハート……目標のロストロギアの正確な位置、わかる?」
《微弱な魔力波動を感知しています。目標のロストロギアは、この建物の内部です》
 レイジングハートがなのはの問いに答えるが、「彼女」も警戒しているのだろう。一定周期で赤く点滅している。どうやら周囲を調べているらしい。
《周辺に危険反応はありません。魔力素の密度も一定の数値です。魔法が使われた痕跡はありません》
「……。ど、どうしよっか、フェイトちゃん」
「ん……クロノ、どうしたらいい?」
 判断に窮したのか、この場にいないクロノに指示を仰ぐフェイト。だが迷っているのは、クロノとて同じだ。
『ま、待ってくれ。エイミィ、周辺のデータを』
『はいはい。よ……っと、半径2キロ圏内のサーチ終了、メインディスプレイに出すね。フェイトちゃん、なのはちゃん、悪いんだけど、そのままそこで待機しててくれる?』
「うん、了解」
「了解しました、エイミィさん」
 2人とも頷きつつ、思念通信をひとまず切る。その後2人とも目線が合うが、お互い困惑の色しか表情に浮かんでいない。
「……どう、なってるのかな……」
「私にも、わからない。でもこの建物、幻術とかじゃなさそうだし、管理局側の調査ミスかな……」
 言いつつ、すぐ側にある建物を見上げるフェイト。調査ミスという言葉を選んだが、フェイト自身それを疑っていた。
 ……ここまで来るのにずいぶん歩いたけど、管理局のデータ通り、この世界の生き物は小さな動物と、植物だけだった……。生物の進化状況がごく初期段階だっていう情報は、たぶん正しい。それならこの建物は、外部からの……別世界からの干渉……?
 それもあり得ない話ではない、とフェイトは思う。実際、その世界の文明レベルに則していない建造物が見つかるという事例はあるからだ。その大半は、時空管理局の目から隠れるために未開の次元世界に身を潜めている、次元犯罪者の住居や研究施設が主である。
 だが目の前の建物は、それらでもなさそうだった。レンガ造りのそれは頑丈そうだが、それだけだ。研究施設にも見えないし、第一次元犯罪者が隠れ家として建てたものと仮定しても、あまりに不可解である。次元の海を渡れる者が造ったものならば、レンガで建てる意味合いが不明だからだ。
 何かの、カモフラージュの意味合いが……ううん、それこそレンガで造る意味がない。知的生命体がいないんだから、建物の外観をしている時点でカモフラージュになってない。そう、カモフラージュするなら、一見して洞窟みたいに見える形が理想的なはず。……じゃあこれは、一体なに……?
「……フェイトちゃん、どうかした?」
「え? な、なに、なのは」
「あ、えっと、なんかフェイトちゃん、難しそうな顔してたから……」
 なのはに声を掛けられて、意識が現実に戻るフェイト。思考が深みに嵌っていたらしい。
「……ううん、なんでもないよ。ちょっと考え込んじゃっただけ。最近は執務官の勉強ばかりしてたからかな、次元犯罪者に関わりがあるのかも、とか考えてたんだけど……たぶん、違うと思う」
 あまり考えすぎもよくないと思って、正直に感想を述べる。なのはを不安がらせるのもよくない、と思ったのも1つだった。
「? 犯罪者さんとは、関係なさそうなの?」
「うん。仮にこの建物が次元犯罪者の造った隠れ家だとしても、外見も建築方式も、意味不明だしね」
「え、意味不明って……」
「造るとするなら、その世界の文明レベルに合わせるか、絶対見つからないと自負するような特殊結界を張るのが普通だもの。だからこれはもっと別の、次元犯罪者とは関係ない誰かが造ったものなのかも」
「え、え? でも―――あ、そっか。そうだよね…………。あ、あはは、私、少し勘違いしてたよ」
 すると、なのはが少し恥ずかしそうに笑いながら、杖を握っていないほうの手で後頭部を掻いた。自分の考えがトンチンカンなものだと感じたらしい。
「……? なのは、勘違いって?」
「う、ううん、なんでもないよ。私もちょっと、この建物のこと考えてたんだけど、フェイトちゃんみたいに真面目に考えてなかったから、にゃはは……」
「?」
 苦笑いするなのはを見ながら、少し首を捻るフェイト。ただなんとなく、少しだけ興味が出た。
「……ねぇなのは。なのはは、この建物についてどう―――」
『2人とも、いいか』
 ―――どう思ったの、と聞こうとした矢先、通信が脳裏に響いた。クロノだ。
「あ、クロノ君。どうだった?」
『アースラのセンサーで2人の周辺をサーチしてみたが、半径2キロ圏内にはおかしな反応は見られなかった。魔導師がいた形跡もない。その建物がどういったものかはわからないが、トラップ等が仕掛けられているわけでもなさそうだし……悪いがロストロギアの回収の他に、その建造物についても調査してみてくれ。簡単なものでかまわないから』
「? この建物も調査するの?」
『ああ。どういった経緯で建てられたかはわからないが、もしかしたら管理局でも把握していなかった、その第九二管理外世界の文明が建てたものなのかもしれない。そうすると局による過去の調査は不十分だったということになるから再調査という事になるし、仮に別の次元世界の住人が建てたとするなら、その建物そのものが一種のロストロギアだ。どちらにしろ、局に報告するならデータがいる。だけど気を張り詰める必要はない。内部の映像と、構造がわかる程度でかまわないから……。突然のことでこちらも驚いたが、まぁいつも通りの作戦内容だと思ってくれ。さっきも言ったが、危険はないはずだ』
『もし何かあっても、私たちがバックアップするしね。ということで、よろしくね、2人とも』
「はい、わかりました」
「……うん、了解、エイミィ」
 危険はない、という言葉に安堵したらしく、なのはが明るく答える。フェイトも遅れて返事をするが、なんだか肩すかしを食らったような気分だった。
「じゃあ入ろっか、フェイトちゃん」
「うん。……ああでも、油断はダメだよ、なのは」
「大丈夫、わかってるよ。……準備いい? レイジングハート」
《All right》
 そう言うと、なのはとレイジングハートが先行して、建物の扉をそっと開けた。フェイトもいつでも援護できるよう、一定の距離を開けて後に続く。
 思考の隅で、なのははどんな考えを抱いていたんだろう、とフェイトは思っていた。


「うわぁ……けっこう、広い」
「そうだね。こんなに奥行きがあったなんて……」
 木製の扉を開けてレンガ造りの構造物に入った2人は、少し呆気にとられたように言葉を漏らしていた。
 建物の内部は2人が想像していたよりもずっと広く、そして明るかった。
 背の高い建物だったから、2人とも自然に、中は多層……つまり2階か3階ぐらいになっているだろうと勝手に想像していたのだが、まずそれがものの見事に外れていた。内部は多層構造などではなく、単一の部屋だ。学校の体育館のように天井は高く、2人の声も部屋の広さに拡散していく。そして奥行きがかなりあった。正面から見ると正方形だったが、この建物は縦に長い長方形の形をしているらしい。壁の両サイドには縦長の窓が一定の間隔で並び、細い窓ながら、外からの光を燦々と内部に注いでいる。
 ただ広さもそうだが、やはりこの建物は異様だった。
「これ、何でできるんだろう……?」
「わからない……。でも、結構ツルツルしてる」
 外側はレンガで出来ていたが、内部にはレンガの面影すらない。
 天井も、壁も、床すらも、光沢のある黒い材質で覆われていた。
 レンガなどではなかった。繋ぎ目のない黒一色の素材は、床の部分だけはよく研磨されているらしく、まるで鏡のように輝いている。部屋が明るいのはそのためだろう。細くてそんなに光が入り込まないはずの窓はかなりの数があるが、部屋全体を照らすには心もとない。それをカバーしているのが鏡のような床だった。窓から入る光を反射して、光の拡散を助けているらしい。
 そしてもっと異常なのが、部屋に並ぶ……真っ黒な机と椅子だ。
 部屋に入る扉は壁の真ん中にあるが、その延長線上には何も置かれていない。その脇……扉には背を向けるような形で、等間隔で両サイドに、一人用の机と椅子が並んでいる。それを見て、なのはが一言、
「なんだか……おっきな教室みたい」
「……」
 フェイトは応えないが、彼女もなのはと同意見だった。
 そっくりなのだ。第九七管理外世界にある学校の教室と、机と椅子の構造も同じようだし、等間隔ですべてが正面を向いている様は……部屋の広さと色は別にして、よく酷似している。周囲を警戒しつつ、フェイトは思う。
 学校の教室を並べて、廊下を挟んで反対側にも教室を作って、そして壁を排除すれば……こんな形になるのだろうな、と。それと同時に、こうも思う。
 テレビでしか見たことはないけど……。
 なんだか、教会に、似てる……。
「クロノ……。見えてる?」
『あ、ああ……。よく見えてる。し、しかしこれは、何だ……?』
『お、おかしいよクロノ君。この建物、おかしすぎる……』
『……確かにおかしい。外見は単純な石造りだったのに、内部のこの材質は……。エイミィ、調べられるか?』
『え? が、画像解析だけじゃ限度があるけど……。ん、やってみる』
 アースラにいる2人の会話を聞きつつ、慎重に歩みを進めるなのはとフェイト。歩くたびに、カツン、カツンと、足音が高く鳴り響く。
「……教室みたい、だけど…………。なんだか雰囲気は、教会みたいな……」
「あ、なのはもそう思う?」
「フェイトちゃんも? 机とか椅子は、普通の学校にあるものと同じ形だけど、真ん中だけ置かれてないのは、やっぱり教会みたいだよね……?」
「うん。私も、そう思っていたところ……」
「……。レイジングハート、ロストロギアの場所は?」
《まっすぐ行ったところです。距離、43メートル》
「……」
「……」
 あまりに不自然な空間に圧倒されつつも、お互い目線を合わせて、一度だけ肯く。行こう、という声なき言葉だった。
 そして……教室でいえば黒板のある方向、教会でいえば神父等が上がる壇上へ向けて、2人は脚を進める。
 警戒しているために歩みは遅かったが、そこにはすぐに着いた。
「……これで、いいんだよね」
「うん。アースラで見た映像と、同じだ」
 入口とは反対側にあたるその場所は、教室というより、やはり教会だった。床より高い位置には祭壇のようなものがあり、本来なら十字架が祭られているが、
 十字架の代わりに、青く、脆い印象のある1本の剣が刺さっていた。柄にはめ込まれた赤い宝石が、窓から入る光を反射して輝いている。
「……ん。よっと」
「な、なのはっ。気をつけて」
「うん。フェイトちゃんは辺りの警戒をお願い」
「う、うん」
 若干緊張しながら、なのはが祭壇を上って剣の柄を掴む。ただ緊張しているというのはなのはの主観であり、フェイトは少し狼狽してしまった。まったく平然とした様子で祭壇を上ったように見えたからだ。
「……たまに思うんだけど、なのはって、勇気あるよね」
「え? そ、そんなこと、ないと思うけど……」
「ううん、やっぱりなのははすごいよ。私、少し怖くて、上るの躊躇しちゃったし」
「……すごくないよ。私も、ちょっと怖い。だけど……その、フェイトちゃんがいるし」
「え、」
「なにかあっても、フェイトちゃんがフォローしてくれると思ったから……。だから上れたんだもの。だから全然、すごくない」
「……。なのは……」
 そうして、なのはは信頼の眼差しでフェイトを見て、フェイトはそんな信頼を寄せてくれているなのはの気持ちが嬉しくて、見上げる。お互いの視線が交わり、ほんの少しだけ、見つめ合う。
 先に気恥ずかしくなって目線を背けたのは、フェイトだった。
「ま、周りのことは私に任せて。なのはは、そのロストロギアを、お願い」
「うん。じゃあ背中は任せるよ、フェイトちゃん」
 そう言って両手に力を込め、ガスッ、という音を立てて剣を引き抜くなのは。その音を背中で聞きながら、
 ……フェイトちゃんがフォローしてくれるから、か……。
 少し赤い顔で、でも隠せない嬉しさを漏らしつつ、バルディッシュを握りしめて、思う。
 言われるまでもない、と。
 誰かに言われるまでもない。誰かに止められたって、絶対にやめない。後ろにいる彼女は、友達で、最初の友達で、私を救ってくれた人で、始まりをくれた人で、大切な人だから。
 彼女を守る。彼女が自分に信頼を寄せてくれているのならば、尚更だ。
 何があっても、絶対に―――。

『フェイトちゃん! なのはちゃん! すぐそこを出て!!』

「……え?」
「っ! エイミィ!?」
 それは、突然の声だった。あまりの必死さに、思わず2人とも思念通信であることも忘れて、誰もいない天井を見上げる。
『どうしたエイミィ! 何かわかったのか!?』
『建物の解析結果が一部だけ出たの! その場所、やっぱりおかしすぎる! 早く出て2人とも!!』
『ま、待て、落ち着けエイミィ! このデータだとまだ、建物の構成材質だってわかっていないじゃないか。なんでそんなに慌てて』
『違う違うの! 構成材質もそうだけど、設計的にあり得ない! こんなの、形を維持してるだけでもおかしい!』
『―――なに?』
『この内部構造だと絶対に形を維持できない! 構成素材の強度がわからないけど、こんなの全部が金属でも……!』
『ちょ、待て、何を言ってる。ちゃんと説明を』

『柱がないのに形を維持してるって言ってるの!』

 その言葉に、思わずなのはとフェイトは辺りを見渡した。
 言われてみるまで気付かなかった。だが確かにこの建物は、
 信じられないことに、柱がない。
『構成素材が固い金属でも重さで絶対に崩れるし、どんなに軽い材質でも、そんなおっきな天井を支えるだけの強度を壁だけで維持するなんて絶対にできない! 理論上あり得ないの!! いつ崩れたっておかしくない!! 早く逃げて2人とも!!』
 エイミィの必死さが伝わったのだろう、慌てて祭壇から降りるなのは。左手でレイジングハートを握りつつ、両腕で剣を抱きしめ、フェイトの側まで走り寄る。
「フェイトちゃん!」
「うん、すぐここを出よう。なのはは私の後に!」
「うん!」
 頷き合うと、同時に2人は走り始めた。エイミィの言葉が2人の脳裏に焼き付いている。黒くて頑丈そうだった外壁は、今はいつ壊れても不思議じゃないベニヤ板のように思えた。一刻も早く出ようと脚を速め、しかし、

 ザザッ、というノイズが聞こえた。

「っ!?」
「ふぇ、フェイトちゃん! 今の!」
 それは音じゃなかった。頭の内側から響くようなそれは、つまるところ思念通信でしかない。
「クロノ! エイミィ! 聞こえる!?」
「エイミィさん! クロノ君!!」
 本来なら叫ぶ必要もなく心で念じれば事足りるのだが、慌てたフェイトは肉声と思念の双方で叫んでいた。なのはも同じだ。
 だが、
『―――カな、広域結―――ザッ――――に魔導―――応はな―――――――ザザ―――――――レックス――』
『―――ってくださ――――辺に魔―――はありま―――ジジッ――――待ってくださ――ザ――んな、長距離セ―――――速で飛来す――――ザッザザ―――――のはちゃ―――向っ―――――』
『――離は――』
『――50キロは離れ――――ジジジッ――――――速す―――15キロ―――――り3キ――――々に減速し―――ザッ――の――い速―――――』
『ク――艦―――――造物周囲の結―――度を増し―――ザッ―――のままで――ザ―うの映――見れな―――――――』
『――ジジ――ンディ――――界の術――――』
『ベル―――近――ザザザッ――く―――――んだよこ――――――法公―――々に変わ―――きま――――と、特定できま――ザザッ』
『――公式が……変わ―――――どうな―――――』
『―ロノ君―――結界の――――――強すぎ―――――念通信も――と何秒通じ――――ザザッ―――ザ―――うしたら―――』
 もう、遅かった。
 クロノとエイミィ以外に何人かのオペレーターが話しているが、ノイズのせいで何人話しているかも漠然としていた。会話の内容ももうまともに聞けるような状況ではなくなっている。
 そんな、ジャミング? まさか結界……!?
「クロノ! お願い、応答して! どうなってるの!? クロノ!!」
『――イト―――なの―――――辺――鎖結界が――――未確―――導師が接―――ザザザ――ストロギ―――ういい!――――かくそ―――離れ――――聞こえて――ザッ――フェイ――――』
 そして、ブツンッという音。
 通信が、完全に切断された音だった。
「―――っ」
「フェイト、ちゃん……通信が……」
 不安げななのはの声が、フェイトの思考を焦らせる。不安なのは彼女も同じだが、だからといって立ち止まるわけにもいかない。
 ……。ノイズが酷すぎて聞き取りにくかったけど、クロノは結界がどうとかって言ってた。たぶん、魔導師が接近してる、とも……。でも結界が張られている様子なんて、全然……。
 辺りを見渡す。相変わらず異様な部屋は明るく、黒い椅子と机が並んでいるだけだ。
 彼女らが使う魔法には、攻撃魔法や防御魔法の他に「結界魔法」と呼ばれるものが存在する。主にサークルタイプとエリアタイプに分かれるが、前者は魔法陣の内部で効力を発生させる効果範囲の狭いもの。後者は……モノにもよるが、街ひとつさえ効果範囲に収められる広域なものだ。第三者に結界を張られて通信を妨害されているのなら、間違いなく後者である。
 だが、それでも疑問点が残る。
 結界の種類が二種のどちらであろうとも、結界内部に閉じ込められれば、内部の空間は様子が変わるのが普通だ。エリアタイプだと外側からの光が幾分入ってこなくなるので、暗くなるのが当たり前である。
 それなのに、フェイトとなのはの周囲にはこれといって変化がなかった。相変わらず細い窓からは明るい光が入ってきているし、それを鏡のような床が乱反射させている様も、変わりはない。
「よく聞き取れなかったけど……クロノ君、広域結界がって言ってたよね?」
「……私もよく聞き取れなかったけど、そう言ってたと思う。あと未確認の魔導師が、とか……」
「でも結界が張られてる様子なんて、ないけど……」
「…………。でも、通信が途切れたのは事実だし……」
「……。フェイトちゃん、やっぱりここを出よう。どうなっているにしても、まずアースラに連絡を入れないと」
「うん」
 一度肯いてから、再び走り出そうとする2人。周囲を見渡しつつ、自分のデバイスを握り直して、
 だが、その脚が走り出す直前に、

 ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーン…………

「……え?」
「……な、」
 何か、妙な音が聞こえた。
 重い金属が叩かれたような、そんな重低音だった。だがその音は身体に響くような重々しいものではなく、逆に鋭いような、身体をすり抜けていくような澄んだ音だった。
 矛盾した、高音に感じる重低音。突然のことに、2人とも脚が止まる。
「今の……な、なに?」
「……なのはにも、聞こえた?」
「フェイトちゃんも? じゃ、じゃあ空耳じゃ、ないんだよね」
「うん……。なにか、低い音なのに、甲高いような、そんな音……」
 2人とも警戒しつつ、辺りを見渡し始める。だが周囲には異変など見当たらない。黒い壁と床と天井。同じ色をした机と椅子。光を入らせる縦長の窓。反対側にある木製の出入り口。最後に祭壇を見て、
 フェイトの顔色が、変わった。
「!? なのは! 後ろ!!」
「え? ―――っ!」
 彼女の叫びに、慌てて背後を振り返るなのは。そして見たものは、
 祭壇の上辺りで、風に舞うように漂う―――青く輝く光の球体だった。
「な、なにこれ」
「なのは、下がって!」
 両腕が塞がっているなのはを考慮して、フェイトが前に出る。バルディッシュを光球に向けて構え、いつでも行動できるように準備し、
 だが異変はさらに続いた。球体は静止し、その光が増し、周囲の魔力を集め出し、そして、

 ドンッ! という決して小さくない爆発音を撒き散らしながら、
 球体が、弾けた。

「わぁっ!?」
「くっ!」
 爆音の衝撃で、周囲にあった黒い机と椅子が吹き飛ばされる。光は青い炎となって周囲に拡散し、音と熱が2人の身体を通過する。突然の光と熱量に瞼を閉じてしまったが、すぐに目を開き、そして見た。

 炎の塊となった光の球体。
 その青い炎の中に、誰かがいた。

「――――――え……」
 大きくなった青い炎は、現れた誰かを優しく包んでいた。その誰かは宙に浮かんでいたが、ゆっくりと高度を落とし、音を鳴らさず床に降り立つ。
 その姿に、フェイトは言葉を失った。
 眠るように目を瞑った、十歳くらいの女の子だった。
 左手に握るのは、銀色の長い杖。
 身を覆うのは、炎のように、錆びた鉄のように、血のように紅い……防護服。
 茶色の髪が、爆風の余波で舞っている。
 その髪は、黒くて細いリボンで纏められている。
「……な、なん、で…………」
 見覚えがあった。
 よく知っている少女だった。
 だが、それが正面にいることが、異常だった。
「…………まさか……ホントに……」
 茶色の、短いツインテール。
 細い、『彼女にあげた』はずの、かつては自分のものだった、『黒いリボン』。
 後ろにいるはずの、大切な親友の姿と―――まったく、同じだった。
 ただ違う点は、持っているデバイスと防護服だ。
 彼女のデバイスはあんなに長くない。宝石の色は緑でなく真紅。カタチは似ているが、フレームの色は銀色じゃない。
 彼女の防護服は紅くない。彼女の防護服は白い。袖は青いし、ラインも青いし、彼女が防護服を着るときは、リボンは白く変わる。だけど、
 制服に似たデザインは、細部まで―――同じだった。色のみ異なる、まったく同じ防護服。
 その少女が、目を開ける。『彼女と全く同じ顔』が、フェイトに目線を向けた。
 前日の深夜の出来事が、脳裏を掠める。

『でね、私の同期ってのの知り合いがさ、なんと最近近くの管理外世界でファントムを見たって……』

 ノイズ混じりの声。
 窓のある部屋。
 赤い防護服。
 光に押し出される。
虚像を利用して―――現れる。
 すべての単語が、合致した。
「………………レッド…………ファン、トム……」
 話の続きは、

『亡霊が実体化して襲い掛かってくる、っていうのが定説だね』

「……」
 紅い少女はゆっくりと、フェイト達に向かって歩き始めた。紅い防護服を、蒼い炎で彩ったままに。
「……め……」
 昨夜の恐怖が戻ってくる。デバイスを握った腕がカタカタ震える。足腰に力が入らない。身体全体が震えている。視野が狭い。嫌な汗が頬を流れる。背筋が凍る。喉の奥から、声が出ない。
「だ、め…………こ、来ないで……」
 それでも、必死になって声を絞り出す。止めないといけない。怖がっている場合じゃない。近寄らせちゃダメだ。だって、話の続きは、

『捕まったら宇宙空間まで連れてかれちゃって、レッドファントムと同じような目に遭うの』

「だめ……。つ、連れてっちゃ……だめ…………。なのはは…………私の、大切な……」
 背後でなのはが何かを叫んでいる。だが聞いている暇がない。意識をそちらに向けている余裕がない。目の前では、紅い防護服の少女が両腕を交差させ、
 それを、解き放った。腕を広げると共に、纏っていた蒼い炎が消し飛ぶ。
 その瞳は……冷たい色を放っていた。
 その口が、彼女と同じ声で、言葉を発した。

「……高町、なのは……」

「……だめ……」
 フェイトの中で、
 何かが、切れた。
「う―――うぁああああああああああああああああああっ!!!」
 恐怖の中、それでもフェイトは前に突進し、デバイスの刃を紅い防護服に向けた。
 彼女だけは、絶対に守る。
 それだけしか、頭になかった。

 フェイトちゃんと一緒に過ごす 2度目の冬
 異変は 1年前のように 唐突に
 だけど私は 1年前のままじゃない 
 昔より強くなった魔法 昔より大切に想う 大切な人
 だから また戦おうと思います
 だけど     だけど
 あなたは 誰なの?

Next 第2話 襲撃再来

 あなたは……私、なの?

 
 
 
 

...To be Continued

 
 


またまたlightliveさんからいただきました♪
以前いただいたSSの正式な連載になるようです♪

伏線たっぷりのシリアス色満載で、これから一体どうなるのか、第一話から怒涛の展開です!
首をキリンのように長くして、続きをお待ちしたいと思います(笑)

2008/1/20管理人著


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